◯
左右に二人ずつ座れるような長机が部屋のド真ん中に置かれている
その脇を固めるようにホワイトボードや正方形調の背の低いラックがぐるっと部屋の内壁を囲っている
ほこり臭いファイルだの資料だのがビッシリ詰め込まれてはいるが使われているところを見たことがない。
長机の奥にはバヨンバヨンするタイプのガラス窓が壁一面に張られて格子状に分けられている
生地の薄い黄ばんだカーテンが風に揺られて春の日差しを遮ったり遮ぎらなかったりしている
木漏れ日に当てられた担任の顔は妙に真面目で、ある意味さっきの鬼状態よりも不気味さが増している
職員室って話でしたけどなんで進路指導室に移動して来たんですかね?
なんか怖いんですけど
「原津森、これを見ろ」
担任は組んでた腕を解いてこれが目に入らぬかと言わんばかりにオレの顔の前に腕を突き出してきた
「何すか、スマホ?」
「今日のヤプーニュースだ」
...それはいただけないな。
「オレ、ヤプーニュースは見ないようにしてるんですよね」
「は?」
「ヤプーニュースってネガティブなものしか扱わないんで。ネガティブな情報ばっかり集めてると脳が死んじゃ」
うッ!
「戯言はいい、見ろ。」
ヤプーニュースを見るためにはまずオレの左目にギュッと押しつけられたスマホを引っぺがす必要がある
痛い!近すぎて見えません!
よろめきながら左目のくぼみにハマったスマホをなんとか手に取り、久々のヤプーニュースを目にする
その瞬間
一つのニュースがオレを突き刺した
◯
『東京からゲームが無くなります。』
内容を否定したくて震えた親指で見出しをタップする
ゲーム依存症対策条例
コンピューターゲームには依存性が確認され
睡眠障害や視力障害、集中力低下を招き
さらに活動の範囲を狭め、積極的なチャレンジを阻む
子供時代の豊かさを阻害するものである
次世代を担う子供達の健やかな成長と都民が健全に暮らせる理想の社会の実現を目的とする
だと...?
まずはゲームセンターの廃止を目指す。
実際に金銭を投入し勝ち負けを決める対戦型ゲームはギャンブル性が強く
また投資金額に応じて報酬を得るといったメダルゲームやUFOキャッチャーなどのゲーム性は依存性を高めるものと考えられる
よって、まずは子供達が実際に金銭を扱いゲームを行うゲームセンターを都内から廃絶することを第一歩とする。
ふざけるなよ...
オレがどれだけの集中力とチャレンジ精神でゲームに打ち込んできたと思う?
損なわれるどころか死ぬ思いをして育ててきたんだよ
子供時代の豊かさを阻害するもの...?
都民が健全に暮らせる理想の社会...?
「どうするんだ原津森」
「このままだとお前の大好きなロードプルも潰れちゃうな?」
あり得ない...
小学生の頃から毎日通っていたゲーセンがオレが中3に上がる時に潰れた
わざわざ何駅も離れたとこに通ってたんだ
そこしかもうゲーセンがなかったから
質素なシャッターに貼られた閉店を知らせる張り紙を見た瞬間オレから生きる気力が蒸発した
本当にどうでもよくなった。
その年の夏休みは飲まず食わずでずっとベッドに座りながら部屋の天井を眺めていた
そんな時ロードプルができたんだ
もしロードプルができてなかったらオレは今頃餓死している
ロードプルはオレの命綱だ
都知事はオレに死ねと...?
「お前の生きがいを大人に奪われていいのか?」
「......」
「......」
「いいのか?」
「......」
「ゼッタイダメ」
声ちっさ。
「ゼッタイダメ」
「ゼッタイダメ」
電池切れ寸前の喋るぬいぐるみみたいにギーギーうるさいヤツだ
私が、
電池を取り替えてやる。
「手が無いこともないぞ」
「へぇ...?」
沈んだ首をなんとか持ち上げてのぞかせた顔は旅行先で財布を落とした奴みたいな顔をしている
原津森、お前はこんなとこで終わってはいけない。
「署名だ」
「しょめい...?」
◯
「署名活動の本質は可決された議題に対して問題提起をすることにある」
「...。」
「署名の数は多ければ多いほど効力は増す」
「...。」
しょめい?の顔からずっと変わらんじゃないか
「署名内容が議会で取りあげられて実際に署名が国の制度を変えたという事例もある」
「!?」
「だから集めろ、署名を!」
異議あり!と言わんばかりに人差し指でも指してきそうな勢いだ
でもな
本当に異議があるのはそっちじゃなくてこっちなんだよ...!
「署名って、街に出て声かけるあれ...?すか」
「いや。お前が声をかけるのは街行く人々ではない。クラスメイトだ」
「?」
「お前、全く知らない人間に名前とか住所教えるか?」
「教えない!」
「そう。署名をするってことは全然知らない人間に自分の個人情報を渡すってことなんだよ。街中で署名をもらうことのハードルは思っている以上に高い」
なるほど...。
クラスメイトなら知り合いじゃないにしろ互いに名前くらいなら知っている
最初に近寄られた時の抵抗感は全然知らない人間と比べればかなり薄れる
もし個人情報が悪用されても一発で犯人が分かるしな
署名を頼む側も自分を認識されてるから迂闊なことはできない
へー...
この人バカじゃねぇな。
お前にも少しは見えただろう?光が。
今のお前のその重たい足じゃ一歩目を踏み出せない
だから私が押してやる
「...何枚必要なんですか。署名」
その声は井戸から這い出るようにしてやっと絞り出した声で
背中を丸めて脱力してうつむいている
まるでゾンビ
しかし間抜けな顔はもうしてないだろう
きっと目を光らせている
そうだ原津森。
背筋なんて伸ばさなくていい、そのままで居ろ
お前が“戦う”時はいつもそうだろ?
どれだけ負けようと分析して戦略を練り
最終的には攻略してしまう
お前ならできる
「とりあえず1枚だ」
「とりあえず1枚私のところに持ってこい!」
「そしたら協力してやる!」
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