◯
オレに父ちゃんはもう居ない。
積み上げた無数のキャラ対策でオレの記憶の倉庫はパンパンだ
それでも何とか底の方に埋もれてる父ちゃんとの小さな思い出をかき集めるといつもタバコの匂いがしてくる
当時ゲームをやるといえば近所の駄菓子屋だった
今思えば世界文化遺産に指定されてもおかしくないほど希少なものが近所にあったんだなと思う
駄菓子屋の入り口のすぐ横で無精髭をさすりながらタバコをふかしている父ちゃんは
対戦に負けて帰って来たオレに「何回でも負けてこい」と言ってヤニくさい手で無限に小遣いを渡してくれた
父ちゃんなりの美学があったのだろう
小遣いをやりすぎたのがバレて家に帰れば毎回母ちゃんにタコ殴りにされていたのを覚えている
それでもオレは小遣いをもらい続けたし父ちゃんはオレに小遣いを渡し続けた
父ちゃんはラーメンが好きで、オレもよく一緒になって引っ付いてついて行っていた
ほとんど何も喋んない人だったけどラーメンを食う時だけは「チャーシューやるからネギくれ」とボサっとした声で割の合わない物々交換を要求してきた
何をそんなにネギが欲しいのか。
変わった人だった。
最後は病気で大好きなラーメンも食えなくなった
だからうどん屋に行ったんだ
油っこいもんなんか食えないからうどん屋に来たのに
わざわざ海老天うどんを頼んでオレに海老をくれた
「代わりにネギくれ」って言いながらオレのお椀から箸でネギを取ろうとするその手は痩せ細っていた
その時、もう父ちゃんからは小遣いをもらう事はないんだろうなと子供ながらに悟った
食い終わって外に出れば「これが最後だ」と言って笑いながら震える手でタバコを吸っていた
もしタバコなんか吸ってなかったら今も元気で生きてるのかねぇ
一緒にラーメン屋行ってたりすんのかな
そんなことを考えても父ちゃんが生き返るワケじゃない
今はオレと母ちゃんの二人きりだ
だから母ちゃんが別の仕事で忙しい時はオレが代わりに猫番を務める
店内には十数匹の猫が生活しているが一鳴きたりともしない
なぜなら
コイツらはオレに全く懐いてない。
母ちゃんが居る時はグルグル喉を鳴らしながらケージの入り口で暴れやがるクセに
オレだけになった途端ケージの角に引っ付くようにして泣きそうな目でこっちを見やがる
誰も取って喰おうなんて思っちゃういないがオレが近づくと本能が訴えかけてくるんだろうな
「逃げろ...」と。
保健所に連れて行かれたやつらは不遇な目にあっている
家族とも生き別れ、腹を空かせて、カラスやら何やらに襲われたあげく行き着いた先が天国への順番待ちをするだけの墓場だ
そりゃ怯えるさ。
決してオレの人間性の問題ではない。
こいつらは“元々”人間を怖がっている
オレに懐かないのはオレが悪いワケではない
母ちゃんが猫に懐かれる特殊能力を持っているだけだ
きっとそうに違いない。
汚くて、悲惨で、可哀想。
そんな保護猫施設のイメージを変えたくて母ちゃんは内装を綺麗にしてペットショップみたいにした
一匹ずつ綺麗なケージに入れて
少しでも猫が明るく見えるように
人の手に届いて幸せになれるようにした。
その甲斐あって毎日色んな人が猫を見に店に入ってくる
飼うかどうか迷いながら毎日顔を出しては少し可愛がって名残惜しそうに帰っていく常連の人もいる
おかげでこっちはゲームをする時間が取られるって話だ。
幸か不幸かお前たちはこの店に来たんだ
しっかり貰われるように角に居ないで顔を見せたまえ
オレだっていい加減傷つくぞ?
◯
レジの前で深めに頬杖をつくのにも疲れた。
学校で同じ体制で何時間も座っていたことをつい思い出してしまい苦痛が増す
入り口正面に並べられたケージはどんな猫が中に居るのか来た人がは一目で分かるようになっている
ちゃんと人の目の高さに合わせて綺麗に積まれていて入店と同時に視線が猫に向くようにしてある
その視線外の入り口右手にレジがありオレが居る
店に入ってきた客はどんな猫がいるのかを見ているのかもしれないが
オレはそんな客がどんな人間かを見ている。
本当に飼う気があるのか
本当に命をまっとうする姿を見届ける覚悟があるのか
チェックしている
もちろんこのマダムのこともだ。
「はー可愛いでちゅねー」
オレはこのタイプの可愛がり方をする人間を信用していない。
おそらく
全く知らない通りがかりの他人の赤ん坊にも同じことをするタイプの人間だ。
オレがもしその赤ん坊なら顔を近づけてきた瞬間頭突きをかますだろう
猫は繊細でひとりの時間を大切にする生き物だ
個人の自由を奪う行き過ぎた愛情は猫にとってストレス以外の何ものでもない
「んークロちゃんっ、んークロちゃんどしたのっ」
真っ黒な子猫がお好きなようだ。
オレも先日道端で黒猫を撫で損ねたから気持ちは分かる
気持ちはね。
透明なケージのドアを人差し指でさすって仮称クロちゃんと遊ぶマダム
オレより懐いてんじゃねーか。
「邪魔するよ」
野太い複式の効いた声を響かせながら店に入って来た巨人
ここは立ち食いそば屋ではない。
上は迷彩服で下は濃い色のジーパン
靴ひもを穴じゃなくて金具に引っかけて結ぶタイプの登山する時とかに履くゴツい靴
スキンヘッドに漆黒のサングラス
2メートルを伺おうかという背の高さにアメリカで活躍するプロレスラーか軍人でなければ説明がつかないほどのガタイだ
きっと店の前には路駐上等でこの人が4人乗っても大丈夫なドデカい海外の高級車が停まってるに違いない。
「茶トラ、居る?」
あなたが飼うなら猫ではなくシロクマをおすすめします。
「一番右端の上から二番目が茶トラっすよ」
さっきから何故かずっと両手拳を固く握っている
今から親の仇でも取りに行くかのだろうか。
近くに居たら怖いから早く猫を見に行ってくれ
ズンッと胸を張り握り拳を作ったまま足音も立てずにレジを離れてゆっくり茶トラに向かう
その風貌を見れば胸に七つ星の穴が開いていると言われても誰も疑わないだろう
「茶トラが好きなんでございますの?」
マダムが巨人に話し掛けた!
「ええ。」
王族とボディーガードにしか見えん。
「ここの店員態度悪くございません?」
むぅ。
「クロちゃんを持って帰ろうかと思うのですがどうもこの店で本当にいいのか迷ってますの」
オレの態度が悪いのは否定しないし直すつもりもない
「ここの店員は接客業界では類を見ないほど態度も目つきも悪いですが」
巨人がぶつぶつ低い声で語る
「猫には罪はありません。猫との出会いは一期一会です」
「それを大切にしてみてはいかがか。」
複式の効いたカッコいい声に促されたマダムは巨人からオレに視線を移動させバチッと目を合わせてきた
「クロちゃんくださいましっ」
猫との出会いは一期一会ってのには同意だ。
しかし人間は猫を選べるが猫は人間を選べない
一方的な一期一会に過ぎない
どれだけ愛情を持っていたとしても猫にとっては不要なことかもしれない
それを言ったら保護猫活動自体どうなんだって話になる
こいつらが他の人の手に渡る時は何かと考えさせられる
そして相変わらずオレが近づくと怯えて逃げるのな
大人しく捕まりなさい
ケージの四隅を行ったり来たりして逃亡を計っているがそのパターンはオレには通用しない
これでもかというくらいに爪を立てて手の中から脱出を試みるがそれはオレの手が不快なのかマダムのところに行きたくないのかどっちだ?
お前がいくら爪を立てたところで全く痛くないぞ
持ち帰り用の小さいケージに入った途端諦めたのか
耳と体を伏せながら黙って震えている
お前は選ばれたんだ
どこに居たって強く生き抜け
マダムの“可愛がり”に耐えさえすれば美味いメシを食わしてくれることだろう
がんばれ。
じゃあな仮称クロちゃん
母ちゃんが帰ってきたらお前が居なくなって大泣きだよ
読み終わったら、ポイントを付けましょう!