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第四話 10先を制する者は姉木を制す⑩

公開日時: 2022年2月9日(水) 21:03
文字数:3,796



原津森は試されていた。


人として。


男として。


にこやかな笑顔で手招きをする姉木の母


うつむき加減で顔を赤らめている姉木


原津森はなぜ姉木側からの拒否がないか不思議だった。


原津森にとってこんな経験は初めてだ。


ここで帰ることが人として正解なのか


それとも好意に預かることが人として正解なのか


決めあぐねていた。


姉木母への非礼もある


姉木の練習時間にもなる


ロードプルに行っていた時間は本来シュマブラにあてられていた


これで今自分が教えられる機会を棒に振りもし負けることがあろうものなら面目が立たない。


色んなことを考慮すれば


好意に預かることが人として正解なのかもしれない。


しかし男としてはどうか。













原津森は靴を脱いだ。


再び姉木家に足を踏み入れる覚悟を持ったからだ。


お父様が出てきても何も問題はない。


下心は一切ない。


仮に芽生えたとしても完全に押し殺せる。


そんな自信が原津森にはあった。


今から時間をかけて姉木に“キャラ対”を仕込む必要があったからだ。


「原津森くん、ご飯はもう食べたぁ?」


メシが全然入ってこないことに腹の虫がついに絶叫した。


ロードプルに居る間は基本的に原津森はメシを食わない。


エナジードリンク一本でやり過ごす。


ゲームに集中していればそれも可能なのだろうがゲームに関わっていない時の原津森はチョロかった。


姉木母ののらりとした甘いささやきに原津森は操られ


昼に馳せた「お母様の手料理も食べてみたい」が一気に蘇り抵抗などできるわけがなかった。


「ぜひ、いただきます」


腹の虫が喋ってるのかと思うくらい腹から声が出ていて声が紳士化していた。


しかしながら風呂は拒否をした。


着替えもない。


せっかく風呂に入ったのに、風呂に入る前に着ていた服をもう一度着るのは何か気持ちが悪い。


何よりも他人の家で裸になることに抵抗感があった。


たとえ風呂だとしてもだ。


一睡もせずに始発で帰ることが今原津森の中で決定した。


「ちょっとここで待ってて!」


ドタドタと階段を上がっていき着替えをこれでもかというくらい強く抱きしめて姉木が戻ってきた。


できるだけ原津森に背を向けて通り過ぎる姉木。


姉木を追うようにして視線を動かす原津森。


動くものを目で追うのは自然な行為。


しかし見ただけでなぜ姉木が少し怒っているのか原津森には分からなかった。


「優の部屋で待っててねぇ」


姉木母は「うふふ」と言って手で口を押さえている。


原津森は不思議な気持ちで階段を上がった。













女の部屋に男一人を待たせるとは無防備極まりない親子だ。


原津森は心底思った。


と同時にその無防備さは逆に信頼の証だと捉え、裏切ることなく大人しく正座で待っている。


姉木の風呂が終わるのを。


目の前のテーブルには姉木母が用意した晩飯が並んでいる。


ピンクのテーブルにメシが並ぶとどうも味まで変わってしまいそうだと原津森は危惧した。


もしお膳という敷居が無ければ桃みたいな味がうつっていただろう


白飯にハンバーグ、サラダにスープ付き。


つまづこうものなら一発アウトなお膳をわざわざ二階まで運んでくれた姉木母。


原津森はスイーツパラジャイスの件も含め姉木母には大きな借りを作った。


お膳をまじまじと見つめているとあるワードが思い出された。


『お膳を二階まで』


その響きに原津森の目玉はふと隣の部屋に向いた。


当然壁が透けて見えるなんてことはない。


しかし頭の中には見たこともない猫背の少年がうっすらと浮かんでいる。


こうしてる間も隣の部屋では弟が“潜って”いる。


自分と同じ生き方をしている人間がどういう思考回路を持っているかを原津森は知っている。


ゴールのないマラソンを走るのはただひたすらに息苦しい


呼吸も心も息苦しくなる


しかしその息苦しさがなければもはや生を実感できない。


だからまた潜る。


それを繰り返している間に心は凶暴になる。


格ゲーは相手の嫌がることを攻略とする


徹底的に腹を立たせ、圧倒的に萎えさせ、潰す。


それが“勝つ”ということ。


そんなことを追求している人間の人生はどんどん曇っていき、地上には帰って来れなくなる。


ずっと地下だ。


弟がそれでいいのなら別にいい。


原津森はそう思っている。


自身が“そっち派”だからということは言うまでもない。


一方、太陽に照らされて地上でぬくぬくと高校生活を謳歌している姉木。


素直で明るい光の住人であるあの姉木に“勝つ”ことが出来そうにないことは原津森の中でずっと引っかかっていた。


姉木が唯一弟に対抗できそうなのは熱だけだった。


部屋のドアは、心のドア。


向こう側からしか鍵を開けることはできない。


鍵を開けるには熱が必要だ。


姉木の熱が長二郎の心に侵入した時、どうなるのか。


熱をただ熱いと感じて拒否するのか


それとも温かいと感じて受け入れるのか


それは長二郎にしか測れぬことだ。


原津森は長二郎が受け入れる可能性があると踏んで姉木に協力している。


少なくとも姉木の熱は原津森には伝わったわけだ。


対戦相手を潰す技術が無くとも、熱が伝われば長二郎の何かが変わるかもしれない。


悶絶し、立腹し、それでもなお相手と向き合い対戦し続ければ感情の向こう側にいける


それが真剣勝負というもの。


お互いが“越えた”状態になれば普通のコミニュケーションでは築き得ない関係性を築くことができる


それは試合終了のゴングが鳴った直後に抱擁する格闘家のように。


姉木と長二郎は果たしてそんな関係を築くことができるのだろうか。


もし築けたのなら


閉ざされた、重く固いドアはきっと開くだろう。


原津森が思いふけっていると長二郎の部屋のドアよりも先に姉木の部屋のドアが開いた。


風呂からあがった姉木が部屋に戻ってきた。


「食べないの?」


姉木のナイスパスに原津森は安堵した。


お母様の用意してくれたものに手をつけていなかったことに気づく。


よし、これで意識をメシに持っていける!


パジャマを着た姉木に、制服とも私服とも違う親近感を感じた原津森はもう姉木の方を見たくなかった。


濡れた髪は艶やかさを増し、パジャマのボタンは上から二つほどが開いている。


やはり姉木は罪人だと原津森は恨んだ。


言うまでもなくパジャマの色はピンクだ。















深夜3時のこと。


さっきまであった気配が消えていることに気づく。


原津森がそっちの方に目をやると姉木は横になっていた。


ヒジを畳んで腕を枕代わりにしてスヤスヤと寝ている。


スースー寝息をたてる姉木の呼吸から原津森は目を逸らした。


これ以上寝てる人間を見つめている眠気に誘われそうだったからだ。


やれることは全てやらなければならない。


最後に姉木が長二郎と対戦した際、長二郎が使っていたキャラが原津森が使うキャラと同じだったことから


原津森は自身が使うキャラでされて嫌なことを徹底的にスマホに書き出してその内容を姉木のライーンに送信した


自分が使うキャラの手札をすべて姉木に渡して、託した。


後は姉木がどれだけ実行力を高められるか。


実戦では頭に叩き込んだ情報を瞬時に引きだしから取り出して瞬間的に相手にぶつける必要がある。


どれだけ解答を持っていても早押しに勝てなければ負けてしまう。


思考のスピードに追いつけるキャラ操作が鍵になる。


格ゲーは「六十分の一秒」の世界で体力を奪い合うゲーム。


一秒でも遅れをとれば死だ。


まばたきをしている暇すらない。


高速の攻防の中で最適解を導き出した方が勝つ。


相手とのスピードの差を感じれば感じるほど心は萎え、弱い方へ流れていく。


10先は長期戦。


序盤で“分からされた”時点でどちらかが先に10勝するまでもなく勝敗はついてしまう。


互いの熱は引き、勝っても負けても何も残らない。


そうなればいよいよ長二郎は救えない。


最悪勝たなくてもいい。何とか呆れられないようなスピードで戦えれば。


そんな考えではきっとスピードに置いていかれる。


そういう思考にならないために原津森は「武器破壊」という至上命題を姉木に課した。


「こいつは何か企んでいる」


そう長二郎が思ったのならばまた違う別の武器を使ってくるだろう


そこにまた解答していく。


それが最適解でなくとも長二郎が出題する問題に姉木が食らいつけば戦いは熱くなる。


姉木が長二郎と一緒に10先を駆け抜けるために原津森は今一度、長二郎の使うキャラの細かな武器まで調べ直して姉木のライーンに追加で送信した。


調べては送信を繰り返しているうちに気がつけば始発が出る時間は過ぎていた。


顔を手で覆い、息を吸う勢いに任せて伸びをする。


ふーっと空気を抜いて、重たい体で立ち上がる。


疲れているはずだが心は意外に軽かった。


「必要ならまた来てやる」


姉木の寝顔を見下ろして「ふっ」と笑う原津森からはそんな気概すら感じる。


音を立てずにソロリと部屋を出てソロリと階段を降りる。


ソロリと歩かねば姉木母に気づかれてしまうかもしれないからだ。


もし見つかれば「朝ごはんいかがぁ?」と言ってくること間違いなし。


風呂も入りたい。


人の家にダラダラと世話になり続けることに遠慮もある。


そーっと玄関のドアを開けて姉木家を後にした。


もう日は上がって外は明るい。


鍵はかかっていなくても大丈夫だと原津森は脱出の罪悪感をなだめた。


徹夜明けとはいえ、早い朝の空気は透き通っていて美味い。


長い一日が終わった充実感を感じて原津森はもう一度大きく伸びをした。


悠々と歩を進めた原津森だが迷い果てて気づく。


駅までの姉木ナビが無いことに。


風呂に入りさっぱりとした気分で床につけるのはもう少し後になりそうだ。









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