◯
そんなつもりはなかったが、オレはどうやら浮かない顔をしていたらしい。
「気晴らしに良いものを見せてやる」
放課後帰り際、道引先生はそう言って住所の書かれたメモをオレに手渡した。
進路相談会以来、
先生はオレを見かける度に「おー木田」と声をかけてきた。
何やらライブハウスの運営をしている知り合いがいるらしく、そのツテで密かにオレのライブも見たことがあるとのこと。
若い頃はよくその知り合いの人と悪さをしたとか。
何かと言えば昔流行ったロックやV系バンドの話を持ちかけてきて一人で盛り上がり一人で懐かしんでいる。
「教え子から有名人が生まれるとすればお前かもな」
いつも別れ際に見せる自信たっぷりな微笑みと捨て台詞に釣られてこっちも笑顔になる。
先生に声をかけられる度に背中を叩かれてる気分だ。
胸を張れ、顔を上げろ、と。
勉強や進路の話なんか全然しない。
ただ自分の好きなものとオレの好きなものの話をするだけ。
面白い人だよ。
しかも美人だ。
ミニスカで足を組む姿にオレは密かに憧れを抱いている。
いや結構マジで。
そんな道引先生の誘いとあらば行かざる得ないよな。
休日の朝から心が弾むことなんてここ最近なかった。
道引先生にもらったメモ通りに住所を定めると、
目的地には『ロードプル』と表記されていた。
地図を確認して、スマホをポケットに突っ込む。
電車を降りればそこは学校からほど近い駅。
休日にこの辺に来るのは中々新鮮だ。
駅を出ればいつもは制服で通る道が広がっていて、そこを私服で闊歩する。
これはこれは。
開放感と優越感がオレを深呼吸へと導き、自由がゆっくりと体の中に浸透していく。
午前中の軽くて真っ青な空気がオレの足を運ばせた。
勢い余って途中、迷い込んではいけないような路地裏に踏み入ってしまった。
そこには怪しい店が一件。
置き型の電子看板には『美美』と書かれている。
薄汚れた看板と同様、店構えもボロボロだ。
夜になればこの路地はまた違う顔を見せるのだろうか。
脳内で草木をかき分けるように、変なことを想起させる細道を抜ける。
その先には縦に長いゲーセンが突っ立っていた。
スマホで確認すれば場所はここで間違いない。
自動ドアの横には黒板調の看板が足を広げてこっちを見ている。
「ストリートファイター月例大会」
何か見覚えのあるチョーク文字でそう書かれていた。
◯
おしゃれに無頓着なボワボワの髪に少し大きめの丸メガネ。
あれは間違いなく安見ちゃんだ。
なぜこんな所に居るのだろうか...。
1階はUFOキャッチャーだらけ。
ゲーム機の後ろに身を隠して頭だけ出して覗いてみる。
原津森と伊佐奈が黙って廊下から去って行ったあの日、オレは安見ちゃんと出会った。
大人しい子だけど時々見せる笑顔がオレの最近の癒しであり、儚げで透き通るような声がオレは好きだ!
しかしいつもの安見ちゃんとは何やら様子が違う。
その姿にオレは魅入られた。
オレが声をかけたらいつもの安見ちゃんに戻ってしまいそうだから隠れて見ることにした。
ものすごく真剣な顔で、学校では見せないような前傾姿勢で獲物を狙っている。
表情や雰囲気とは裏腹に狙いを定めた後のボタンの押し方がめちゃくちゃ優しい。
寝ている猫の頭を撫でる様にそっと押す。
挟むのではなく、クレーンの片一方だけで獲物をつついて本当に欲しいお菓子だけを中央の穴ぼこに落とした。
獲得したお菓子を手に取り、見つめて、ニヤッと笑う。
手の中のお菓子をヒシと握り直した後リュックに詰めた。
うめぇ...!
台の中はお菓子でパンパンだ。
あれだけ詰まっていれば普通目的としていない物までつい引っ掛けて取ってしまう。
しかし無駄な物は一切クレーンで触れなかった。
要らぬものは斬らない。
まさに達人。
安見ちゃんはリュックの肩掛けを握りしめてルンルンで階段の方へと歩き出す。
スキップしているようにも見える足取りが可愛いらしい。
一体階段を上がった先に何があるのか。
オレは安見ちゃんの後をつけることにした。
◯
テッテと階段を上がる音に迷いはなく、最後まで追いかければここに辿り着いた。
4階は人で溢れかえっている。
ほとんどが腕を組んで突っ立ってるおじさん達だが、背伸びをして目をこらせばダブダブのパーカーを着た安見ちゃんが少しさきの方に見える。
おじさん達に埋もれながら安見ちゃんはある一点を見つめていた。
ゲームだ。
レッズブルの缶を握りしめ、もう片方の手にはさっきUFOキャッチャーで取ってたサイコロキャラメルの束を持っている。
その視線は熱い。
安見ちゃんだけじゃない。
おじさん達もゲーム画面に吸い寄せられるように見入っていてその目は爛々としている。
外から見てるだけでこっちの体温まで上がってくるような熱視線。
4階だけ温度が違う。
多分、ここがストリートファイター月例大会とやらの会場だ。
シャツの胸あたりをつまんでハタハタと空気を服の中で遊ばせる。
少しクールダウンすればふと異変に気づく。
4階フロアは人でごった返している。
その割には全くと言っていいほど会話が聞こえてこない。
ゲームのBGMとキャラの声だけが虚しく鳴り響いている。
ライブで言えば、真っ暗な中お客さんの前で楽器をセッティングしている時の様な静けさ。
妙な緊張感がある。
この静けさを作り出した犯人は間違いなく今台に座ってプレイしているやつだ。
フロア全体の温度を上げている熱源はそこにある。
人に埋もれてどんな人間かが確認できない。
人を縫うように目を凝らして見てみると、何やらおじさんをかき分けて安見ちゃんがプレイしてる人間へと近づいていっていた。
視点を変えて安見ちゃんにピントを合わせると手元のレッズブルの缶のフタが開いていないのが分かる。
差し入れしに行く気だろうか。
その推理がなぜかある人物をふとオレの脳裏に呼び起こさせた。
レッズブル...
安見ちゃんが近寄る相手...
ゲーム...
自分でもぶっ飛んだ連想ゲームだと思うが、脳裏をかすめただけの人物は今完全にオレの頭の中に居座っている。
「あれー、木田じゃん!」
これでオレの「もしや」はもうほとんど確信に変わった。
見知らぬ地でオレの名前を呼んだのは姉木だ。
「木田が何でこんなとこ居んの?」
おじさんの壁が邪魔で前に進むことが出来ずに入り口付近で背伸びをしていたオレに後ろから声をかけてきた。
口をすぼめてキョトンとしている姉木。
いつもは居ないはずなのにどうして?ってな具合だ。
安見ちゃんと出会ったその日、オレは姉木とも出会っている。
あの日二人の姫がオレに舞い降りたって話だ。
神様のいたずらだと思ったね。
清楚系献身的女子と、天然系お色気女子。
オレにはどちらかなんて選べない。
「こんなところで何してんの!」
興味津々で顔を近づけてくる姉木。
なぜか嬉しそうにハニカム天使の笑顔は男を勘違いさせること間違いなしだ。
しっとりとオイリーなその髪は凄まじく良い香りを放っている。
プラスして、とても大人な胸元だ。
とんでもない。
視線をさらに落とせばタイトなミニスカに細い足がギュウっと詰められている。
制服のあのヒラヒラ感も良いがこっちも、良い。
私服はレア度が高い分オレのビートは高まっていた。
いやはや恐れ入る。
こんなおじさんの大群に姉木が紛れてしまえば大変なことになってしまう。
安見ちゃんには悪いけど、今日は姉木に付かせていただきます!
護衛がてらランチデートでもと思い姉木に身を寄せた瞬間、首が締まった。
「おっ!本当に来たか!」
一瞬で体中の酸素が無くなったオレは薄れる意識の中、聞き覚えのある大人の人の声に耳を澄ませた。
オレの首根っこを引っ張り上げたのは道引先生だった。
「楽しんでいけよ少年っ」
そう言って首根っこから手を離した流れでオレの背中をバンっと叩く。
オレの下心を見破ったかのような勢い。
なんちゅう馬鹿力だ。
中腰で咳き込みながら道引先生の顔を見上げると、眉毛をアーチ状に緩めてにんまりしている。
学校では見せない柔らかい表情だ。
道引先生は何でこんなとこにオレを呼んだのだろうか。
腰を伸ばして改めて4階フロア見渡してみる。
他の階とは明らかに人の数も熱気も違う。
この人はオレをここに来させたかった。
ストリートファイター月例大会。
ストリートファイターってのは格ゲーだ。名前くらい聞いたことはある。
けど、なんで格ゲー?
探しても見当たらない理由を求めるように道引先生に視線を戻してボーッと見つめていると、腰に手を当てて自慢気にこう訊いてきた。
「お前真剣勝負って見たことあるか?」
真剣勝負と聞いて思い起こすのはボクシングとかサッカーのワールドカップとかかな。
「今から始まる。行くぞ。」
言葉を返す間もなく颯爽と体をひるがえして背中でオレたちを引っ張っていく道引先生。
姉木は嬉しそうにピョンと一つ跳ねて後に続いて群衆の中に入っていく。
オレが想像する『真剣勝負』はあくまで世界レベルでの話だ。
こんなおじさんがこぞって集まるゲーセンであるのか?
真剣勝負が?
◯
道引先生の後を追ってたどり着いたのはゲーム台の前に座る安見ちゃんだった。
いつもの力の無い丸い背中ではなく、ピンと力強く背筋が伸びている。
その後ろで見ていた三人共に釣られて背筋が真っ直ぐ伸びた。
姿勢の良いままに向かいの台を見てみるとこちら側とは違い、人だかりができている。
安見ちゃんの対戦相手側にさっきのおじさん群が大移動したようだ。
その対戦相手、盛り上がりの熱源はおそらく原津森。
オレはもう確定的にそう思っている。
安見ちゃんが持っていたレッズブルは原津森の好物だ。
オレのライブに来てくれた時にも飲んでいた。
姉木、道引先生と、“関係者”が居すぎだここは。
間違いない。
原津森のプレイを一目見ようとわんさか立ち見が湧いてるわけだ。
やりたいことは「ゲームだ」と言放ったあいつの熱量はこれだけ多くの人に伝染している。
それは多分、安見ちゃんにも。
女の子が格ゲーなんて全然イメージ無いけど、実際に大会にまで参加している。
原津森に触れて目覚めた可能性がある。
プロやセミプロの人達のライブを何回も見てきたオレには分かる。
本物に触れれば価値観は変わる。
人は人の“本気”に触れると心が熱くなるんだ。
原津森にあてられた安見ちゃんにオレは今、あてられている。
深呼吸をしてメガネを直す安見ちゃんの緊張感が後ろで見ていてひしひしと伝わってくる。
オレはあの日足が震えて一歩も動けなかった。
カチカチに固まって突っ立ったままギターを弾いていた。
どれだけ水を飲んでもノドなんて潤わない。
ただ外野から見ているだけのになぜかオレは、メッタメタに緊張して初めてライブステージに立ったあの時を思い出していた。
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