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第五話 択を制する者は木田を制す⑩

公開日時: 2022年3月15日(火) 20:06
更新日時: 2022年3月15日(火) 21:52
文字数:4,256



音楽に勝ち負けなんてない。


でもオレにとって初ライブをしたあの日は人生最大の勝負だった。


人の曲をコピーしただけだ。


それでも指先が千切れるほど練習した。


人の曲が完全に自分の曲になるまで何度も何度も反復した。


あの時ばかりはもう普通の生活を捨てていた。


女の子とのデートをすっぽかしたこともある。


そんなのどうでもよかった。


不安で、怖くて、楽しくて、夢中だった。


それに、


オレが頑張ればまだ間に合う気がした。


入院したじいちゃんが見に来てくれると思った。


願いは届かなかったけど。


オレはまだその願いを叶えたいと思っている。













木田は安見の後ろで思い出すように自分の夢の端を掴んでいた。


道引はそんな木田の様子を見て周りにバレないように一瞬微笑む。


その横で姉木は息を潜めて緊張を押し殺す。


向かい側の原津森は自身の後ろで腕を組んで立ちすくんでいる「ベガ立ち勢」とは隔離された世界に入っていた。


自分がゲームに飲み込まれるような


自分がゲームを飲み込んでいるような


一人の世界に集中している。


そして原津森の「中足」は安見を絶望させた。


安見は原津森と同じキャラ「リュウ」を使っている。


リュウは、飛び蹴りのような体勢で地面に張り付く「中足」を起点に距離を測り、徐々に相手を画面端へと押し込むキャラ。


リュウ同キャラ対決は中足の差し合いが鍵になる。


一見同じキャラを使っているのだから差はないように見えるが


安見の中足と、原津森の中足とでは天地の差がある。


メジャーリーガーのバットを草野球選手が使ったところでホームランを打てるワケではない。


何万回、何十万回とバットを振ってきたその腕に価値がある。


血まめが潰れてでも肉をえぐるようにして原津森はバット振り続けてきた。


安見とは中足を打ってきた数が違う。


打ってきた数が違うなら当然“打たれてきた”数も違う。


雨の日も風の日も金の無い日もゲーセンに通い続け中足と向き合ってきた原津森には、中足は効かない。


安見の中足は原津森の一歩手前で空振り


原津森の中足は空振ることなく的確に安見に当たる。


ボクシングでいえば中足はジャブ。


相手のジャブは全てかわし自分のジャブは全て当てる。


どちらが先にコーナーに追い込まれるかは明白。


相手との距離を測ることのできる中央ですら当たらないジャブが、押すも引くも出来ないコーナーで当たるワケがない。


その空振り、その隙を原津森は絶対に見逃さない。


中足を空振った時に生まれる無防備な時間は0.16秒。


そんなわずかな隙に原津森は安見の空振った中足に自分の中足を被せるように差し込む。


中足だけで体力を半分以上を奪われ画面端から抜け出せなくなった安見は、空振るのが怖くてもう中足を打てなくなっていた。


“あっち行け”すら出来なくなった安見に畳み掛けるように原津森は近づき「択」をかける。


打撃か投げかの択。


打撃をガードしたければボタンを押してはいけない。


投げを抜けたければ「投げ抜けボタン」を押さなければならない。


近づかれた側は選ぶしかない。


ボタンを押すか、押さないかを。


原津森は執拗に投げの択をかける。


これを回避したければ安見はボタンを押すしかない


安見は何とか踏ん張るために投げを抜けボタンを押す。


投げ抜けが成立して一旦距離が離れる。


安見の防御は間違っていない。


しかし択をかけられている側はそう何度もボタンを押せるものではない。


投げ抜けにはリスクがあるからだ。


投げられた時のダメージよりも


投げ抜けを読まれて打撃を被せられた時の方がダメージが高い。


安見もそれを知っている。


知っていながらいつまでもリスクの高い「投げ抜け」の択を取れるほど、画面端にいる人間のメンタルが安定していないことを原津森は知っている。


だから執拗に投げにいく。


「投げ抜け」のリスクが頭をよぎり投げ抜けボタンを押せなくなるように仕向け、投げる。


恐怖で固まってしまった安見は案の定簡単に原津森に投げられてしまう。


投げられる度に徐々に体力は減って行きやがて、「投げ」すらもくらえない状況になる。


原津森は中足で牽制しつつ安見に最後の択をかけに近づく。


「投げ」も「打撃」もくらえない究極の状況。


防御の択を間違えれば画面端の向こう側、崖下に突き落とされてしまう。


安見の思考でいえば、今まで投げの多かった原津森。


だから最後も「投げ」で択をかけてくるだろう。


生と死の狭間で閃くは確率。


良く言えばそういうことになるが、悪く言えば頭にこびりついてしまっている。


「投げ」が。


それこそが原津森の狙い。


散々意識させられ続けた「投げ」が簡単に頭から離れることはない。


近寄ってきた原津森に対して安見は投げ抜けボタンを押した。


原津森の取った最後の択は


投げ抜けを狩る「打撃」だった。


トラウマのように安見の脳に焼き付けた「投げ」。


それを最後の最後に逆手にとって刈り取った原津森の完勝。


月例大会は2先のトーナメント制。


何も出来ずに2本とも取られて安見は敗北。


格ゲーは相手の嫌がることを積み重ねて攻略していく。


技術的にも、精神的にも。


純粋に取り組んだ安見の努力は


原津森の足元にも及ばなかった。














月例大会をやっているとこういう場面には必ずと言っていいほど出くわす。


努力の末にほのかに抱いた勝利という幻想がガラガラと崩れ落ちる瞬間。


それが今、安見の中で起きている。


力の抜けた体を悔しさだけで持ち上げて椅子から立ち上がる。


そしてヨロヨロと私の方へ寄ってきた。


何も言わずうつむいている。


いざ自分の生徒が敗北に伏すところを目の当たりにすると心が締め付けられる。


敗北の痛みは私も知っている。


私の場合は落ち込むよりも怒りが込み上げてきて台蹴って煙フカしときゃ何とか発散できたが


安見は今心のよりどころがない。


私は思わず安見を抱きしめていた。


安見は力なく私に身を寄せられている。


心の中で安見の涙を拭いていると安見よりも悲しい顔をして今にも泣きそうな姉木が目に入った。


私はついでに姉木も抱きしめた。


木田も何やら力のない呆けた顔をしながら混ざりたそうに近づいてくる。


よく見ると鼻の下が伸びていたので足で突っ返した。


しかし木田は少し嬉しそうに口を半開きにしている。


妙なヤツだがまあ少しは元気が出たようだな。


“原津森の”試合が終わりギャラリーは一旦散り散りになる。


沸騰していた泡が一つ二つ消え、さっきまでここにあった熱が段々と冷めていく。


「先生トイレ行って来ます」


服に埋もれた声がアゴの下から聞こえてきた。


ゆっくり腕を解くと、ずれたメガネも直さずに安見はトボトボと歩き出した。


後を追った姉木は安見に寄り添うように横並びで歩いている。


私は木田が付いて行きやしないかとすかさず目を向けた。


しかし木田の鼻の下は短く元に戻っていた。


安見の背中を眺める木田の目は他人を哀れむような白々しいものではなく


嫉妬と励ましの混じった柔らかく熱い目をしていた。


だから、木田の中で燃える何かを煽るように尋ねてみる。


「二人の勝負を見てどう思った?」


木田は体内で巻き起こってる熱風を吐き出すようにこう返してきた。


「ロックっすねぇ...」


訳がわからん。


言葉の意味するところは何一つ理解できないがとてつもなく感情がこもっている。


すべてを吐き切れていなかったのだろう


クールダウンのために木田は安見の背中を見ながらもう一度大きくふーっと深呼吸をした。


今日ここにお前を呼んで正解だったよ。


真剣勝負をしてしまえば負けた側はどうしたって傷ついてしまう。


しかしそれこそが人が“本気”を出した証だ。


それが“戦う”ということ。


私は背筋を伸ばして横に居る木田を見上げた。


気配を感じとった木田はゆっくりと首を横に回し、安見から私へと視線を移す。


こいつには忠告しておかなければならない事がある。


「安見は戦った」


「原津森も戦った」


「木田」


「お前はどうする?」
















道引先生の投げかけはオレの心の真正面にぶつかってくるような言葉だった。


ぶつかられた衝撃で体がシビれたのか、


何も返すことが出来ずにオレはそっと道引先生から目を逸らしてしまった。


「タバコ行ってくるわ」


そう言って片手を上げながら『スタッフオンリー』と書かれたドアに向かって道引先生はゆらりと歩き出す。


オレは安見ちゃんの後ろで原津森を見ていた。


原津森の性格からして大雑把でもっと破壊的なプレイをするのかと思ったが。


じわりじわりと相手の自由を奪い、死の淵に居ることを相手に実感させながら追い詰めていく。


少しずつ安見ちゃんの首が締まっていった。


もちろん格ゲーのことなんて分からないけど、二人の対戦は後ろで見ているだけで息苦しかった。


安見ちゃんがダメージを負うのもうなずける。


でも、ダメージを負ったのは安見ちゃんが戦ったからだ。


戦わなきゃ血は流れない。


原津森もここで戦っている。


「お前はどうする?」


道引先生に言われた言葉を今度は自分で自分に問いかけてみる。


今日道引先生に渡そうと思って忍ばせていたライブのチケットがまだポケットに残っている。


それを指でさすって確認した後、オレはなぜか原津森の方へと歩いていた。


奴はまだゲームをしていた。


次の試合が始まるまでの間CPUと対戦する気なのだろう。


何となくだが、さっき安見ちゃんと戦っていた原津森とは違うような気がする。


素振りをするように、ただキャラを動かしてるって感じだ。


チャンスだと思いオレは原津森の肩を叩いた。


しかし風でも吹いたかのように微動だにしない。


ならばと思い今度はバンバンっと肩を強めに二回叩く。


確実に衝撃は伝わったはずだ。


しかしまたもや微動だにしない。


微動だにしないどころか空気でも吸うように台に置かれたレッズブルをすする。


もはやあえて無視をしてるまである。


だから肩を持ったまま叫んでやった。


「おいっ!」


すると原津森はヌッと立ち上がりスパッとオレの方を振り返った。


オレに顔を近づけてきて「なんだ?」と言って凄んでいる。


どうやらさっきまでのは素振りではなかったみたいだ...。


邪魔をしてしまったようだがしかし、後には引けない。


ポケットからチケットを取り出してオレも凄み返す。


しばらく続いた沈黙が勘づかせたのか、


原津森はオレの指からスッとチケットを抜き取りスッと千円札を差し込んだ。


感触の無いままに親指と人差し指で挟んでいたチケットが千円札と入れ替わる。


原津森は買ったばかりのライブチケットをオレに見せるように掲げて、釘を刺すような目でこっちを凝視している。


チケットをヒラヒラと揺らしながら、原津森は低い声でオレの導火線に火をつけた。


「今度は逃げんじゃねぇぞ」









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