◯
「猫番あるから」
そう言って原津森くんは一目散に教室を出て行ってしまいました
いつもはゆらりと学校を去って行くのに今日は様子が少し違います
原津森くんには学校の後に色んなことが待っているみたいです。
ゲームより優先するねこばん?ってなんだろ。
考えながら私も一足遅れて教室を出ます。
教室から放たれたみんなは様々な顔で階段を降りて行きます
部活のためでしょうか
もう一回スイッチを入れ直す男の子だったり
嬉しそうに話をしている三人組の女の子だったり
先で待っているものによって表情が違います
私はどんな顔をしているのでしょうか
放課後、私には何もありませんでした
大好きなゲームセンターにも行かなくなって
家で一人、コードギアズのDVDを見るだけです
かれこれ20周はしています
毎回同じところで興奮して
毎回同じところで泣いて
心は動くけど
それは見ている時だけです
見終わって現実に戻って来れば私の心は寝てしまいます
放課後の下駄箱に来ると明日の朝もまたここに来ないと行けないのかという嫌な未来が見えます
学校が終わって今からやっと自由な時間なのに心は縛られてる
毎日、日曜日の夕方がやって来ます。
でもそれは昨日までの話です
今日は行くところがあります
明日も行くところがあります
私には放課後に行くところができました
私の心は私を前に引っ張ります
下駄箱のロッカーを開ける手が軽い。
取り出した靴は床に置くといつもトテトテと転がる
から、はやる気持ちをわざと抑えるように綺麗に着地させてみる
人差し指を抜いてかかとがストンと靴の中に滑り込む瞬間は音符を踏んだかのようで
靴を履くだけで気持ちが跳ねます
こんなにも晴れやかな気持ちなのにはもう一つ理由があります
今日は誰とも話さないはずの朝に少し会話をしました
原津森くんと署名の話。
やっぱり名前を書いてほしいということだったけど
その事で少し引っかかることがあって署名を保留にしてもらいました
あんまり上手く話せなかった。
それでも
私に気づいてくれる人が居て、話す相手が居て
今日は一日が早く感じました
お昼ご飯もいつもより美味しくて
今日の私は透明じゃなかったかも。
原津森くんと学校で話したのは初めてです。
「おー安見帰るのかー?」
道引先生の横顔がゆっくり歩きながら声を掛けてきました
昨日、職員室の前で話しかけられた黒ぶちメガネの先生も並んで歩いています
靴を履き替えたばっかりだけど
私は道引先生に聞いてほしいことがあります
引っかかった物を一緒に取ってくれそうだから
「あの」
「先生」
「少しいいですか?」
コツコツ鳴っていた足を止めて横を向いていた体を私の正面に直します
そして少し考えてからニュッと隣の人を覗き込んだ後ゆっくり口角を上げる道引先生
「今から会議だ」
「だから」
「この芥川先生が話を聞いてくれる」
◯
部屋の中央に置かれた長机には座る気にはなれない
まだ立っている方が言葉が胸に詰まらずに済みそうだから
生徒指導室の窓はいつも少し開いていて黄ばんだ薄いカーテンがゆらりふわりと波打っているのに
今日ばかりは窓際にヒタッと張り付いて動かない
特等席に座って静かに僕達を観察しているみたいだ
どうか神風が吹いて空気が変わってくれることを願う。
長机とカーテンに挟まれたスペースは沈黙を作り
その中心で僕と安見さんは口を真一文字にしてうつむいている
お見合いが始まる前の軽いお辞儀の体制で石像になってしまったみたいに。
ここが昨日と同じ部屋とは思えない
昨日は道引先生と原津森くんだった
僕はそのやりとりを道引先生の横でただ見ていただけだ
正面切って生徒と向かい合うと
こんなにも風景が違って見えるのか
今日は優しく手を差し伸べてくれる人は居ない
道引先生って今日会議だっけ?
会議はこの前してたような...
とりあえず何か喋らなきゃ...
「こ、こんにちは」
「こんにちは」
「芥川です」
「安見です」
「....」
「ご趣味は何ですか?」
これはまずい。
このまま行けば僕は安見さんをお茶に誘うことになってしまう
本当にお見合いみたいなことをしてどうする
先を進めてしまえば『高校教師、生徒をほだし逮捕』の見出しがお茶の間を賑わして全国に僕の顔が出てしまう
社会的な信用と共に僕に関わる全ての人の信用も全部失って人生終了だ
何とか
話題を変えなきゃ...
「ゲームです。」
「え?」
「趣味はゲームです」
キタッ...!
得意分野キタッ!
「僕もゲーム好きだよ!」
「僕はゲームしか友達が居ないから!」
「安見さんはどんなゲームが好きなの?」
「今は格ゲーです」
「格ゲー!」
「僕も昔ストリートファイターやってた!」
「ゲーセンでカツアゲされてからは行かなくなったけど!」
「ははっ!」
「....。」
これはまずい。
昔読んだ『会話は自虐が9割』という本を思い出した
自虐は高等テクニックで素人が安易に手を出すものではないと。
自虐でスベればそれすなわち地獄であると。
どんな鍛錬を積めば9割自虐で会話が成立するようになるのだろうか
作者に問いただしたい
一旦落ち着こう...
「キャラは誰使ってたんですか?」
「...え?」
蜘蛛の糸...キタッ!
「リュウ!」
「リュウ使ってた!」
「私も、リュウ使ってます」
少しアゴが上がり安見さんの目が輝きだした
「リュウいいですよね。真面目な感じがカッコよくて。」
「どうして安見さんは格ゲーをしようと思ったの?」
「きっかけは道引先生ですけど」
「続けようと思ったのは原津森くんが教えてくれたからです」
安見さんと原津森くんは一年生の時も同じクラスだけど
原津森くんは誰とも話さなかったらしいし
今のクラスでは僕が見る限り安見さんは一人で過ごしていた
二人が話していたのは今朝見たのが初めてだ
教えてもらったって、ゲーセンでかな?
道引先生がきっかけ?
「先生これ知ってますか?」
これは昨日の署名だ
霜山くんの名前も書いてあるしクシャクシャになってるから間違いない
原津森くんが必死になっていたから気になって調べた
ゲーム依存症対策条例。
東京で実施されるゲーム廃絶のための条例で
ゲームセンターを無くす方針だ
原津森くんも安見さんもきっと
これに反対なんだ
「署名を集めてるんだよね」
「これに署名するか迷ってます」
「え、何で?」
「反対じゃないの?」
「....。」
うつむきかけた頭を何とか引き上げるように上目使いで僕を見ている
一瞬まずいことを聞いてしまったのかと思ったけど
本音を聞かなきゃ安見さんを知ることはできない
「何で迷ってるの?」
「....」
「署名と交換条件にゲームを教えてもらってるんです」
「これにサインをしたら」
「ゲームを教えてもらえなくなりそうで」
「でも条例には反対なんです」
原津森くんならあり得る。
サインをすれば一瞬で他の人のところに署名を頼みに飛んで行っちゃいそうだ
ゲームは別に一人でもできるけど
安見さんが感じている格ゲーをやる意味は別のところにあるのかもしれない
「僕はギャルゲーが好きでよくやるんだ」
「...はい?」
先生、
急にどうしましたか?
「あの子もいいしこの子もいいしって、目移りして」
「結局全員に手を出して誰とも上手くいかないんだけど」
私もそれやるんで分かります!
「ゲームでは選択しなかった道を選び直すことができる」
「だから安心して色んな方向に選択肢を伸ばせる」
「でも現実はそうはいかない」
「一度選んだ道を引き返すことはできない」
少し厳しくて本当なら難しい顔をしていう言葉だけど
芥川先生は優しい目をしながら微笑んでいます
「安見さんが署名にサインをした後も原津森くんと一緒にゲームをしたいなら、その道を選ぶしかない」
「安見さんの本音を原津森くんに伝える道か」
「伝えずに自分の中に秘めておく道か」
「どっちの道を行くか、決めるしかない」
「すごく勇気のいることだけど」
「逆に言えば」
「どっちを選ぶかは自分で決められる」
「安見さんがどうするのかは」
「安見さんが決めれるんだ」
ゲームが好きなこと、
道引先生には嘘ついちゃったけど芥川先生の前では素直に出せた
優しい笑顔は嘘を言ってなくて
緊張してこわばった顔も嘘じゃなくて
正直な先生です
迷えば迷うほどネガティブな思考に自分が引っ張られて
それに抵抗するように頭の中で綱引きしてた
ネガティブと私が力一杯引っ張り合ってピンとなった綱を真ん中からチョンと切られた気分です
すてんと後ろに転んで泥だらけになったけど
力が抜けて
何必死になってたんだろうって
ちょっと顔がほころぶ
どうするかはネガティブな感情が決めるんじゃなくて
私が決めていいんだ
まだ少し踏ん切りはつかないけど
原津森くんに教えてほしいことはまだ沢山ある
だから
自分の中の勇気を育てることにしました
最初は何を話せばいいか分からなかったけど
芥川先生は優しいです
変な先生です
カツアゲされた時やっぱり怖かったのかな。
ギャルゲーが好きな先生は初めてです。
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