◯
スポーツの審判が警告でカードを出すように
安見は指で握った100円玉でオレに意思を伝えてくる
人は決意を固めるとリスクを考えなくなる
向こう見ずに突っ込んでくる
今、安見はそういうやつの目をしている
「勝負ってなんだ?」
「もし私が」
「富原くんの指定した景品を一発で取れたら」
「私と」
「....」
関わらないでくれってか?
「友達になってください」
「取れなかったらなんでも言うことを聞きます」
お前が失敗した時のリスクが曖昧だよ。
成功した時のリターンはもっと意味が分からない。
「お前に何の得がある?」
「....」
「私は、富原くんが苦手です」
「本当は避けたいです」
「でも教えてもらったんです」
「苦手は避けるものじゃなくて克服していくものなんだって」
「そうしないと今居る所から抜け出せないから」
オレはこの前安見に景品を取ってくれと頼んだ
一年の時にも頼んだことがある
同じようなシチュエーションで安見は同じように応じた
嫌なら断ればいい。
それは思うことがあるなら言えばいいという意味で言った
言えないのは、言えない奴に問題がある
安見は今自分の意思で喋っている
「取れなかったら本当に何でも言うことを聞くんだな?」
「はい。」
オレがこの前指定した景品を安見は取れなかった
4、5回やっても取れなかった
期待やプレッシャーがかかってる場面で力を発揮でるタイプじゃない
それは自分でもわかってるだろ?
それでもこいつは1回で取ると宣言している
「じゃあ、あれだ。」
富原くんは少しまぶたを伏せました
そして疑うような目で見ているのはこの前指をさした台です
私にはあれが取れませんでした
もしあそこですんなり取れていたらそんなに傷つかずに済んだのかな。
何となく
富原くんに頼まれたら毎回応じるような関係性になっていたような気がします
今日成功したらどんな道が待っているのか
私は見てみたいです
◯
つまんでいた100円玉がちょうど同じサイズの細い隙間に落ちていき愉快な音が流れ出す
クレーンの位置など確認しない
何度も同じ作業を繰り返しているからチェックなど必要ない
そんな雑をやっているわけじゃないことは見て分かった
楽しみに待っていた映画が始まったかのように
次の展開を読みながら楽しむようにボタンを押している
この前とは明らかに違う
緊張してるならこっちも緊張する
集中しているならこっちも入っていく
オーラを放っている人間の状況が普通でなければ無いほど
オーラは人に伝染する
安見は命をかけている
ゴルフのパター
サッカーのPK
アスリートがその一瞬にすべてを懸けるように。
オレのことなんか、勝負のことなんか、
もう関係ないみたいな顔をしている
オレはこの景品をずっと取れずにいた
この景品はいつ来てもここに置かれていた
誰かに取られて何度か補充されたのか
誰にも取られずにずっと同じものが置いてあるのか
それは分からないことなのに
自然とずっと取られずに置いてあるものだと思い込んでいた
自分にできないことは他の人間にもできないと
そう思っていた
三股に分かれたクレーンのアームは太くて丸いドでかいぬいぐるみを掴んで上昇する
ぬいぐるみの重さの反動で揺れるアームと一緒に心が揺れたのは多分オレだけだ
揺れが落ち着かないまま
クレーンはゆっくりゴールへと向かう
四角い穴の頭上で、放り投げるようにアームが開く
無機質にバタッと落とされたぬいぐるみは檻から解放された
子供の頃
ペットショップで飼うと決めた犬がケージから出されて
それを抱きしめたことがある
頭の片隅に残ってる柔らかい記憶がかすめる
取りたくても取れなかったもの
触れたくても触れられなかったものが目の前にある
プラスチックの壁越しに見ていた時とは価値観が変わっている
ぬいぐるみを抱きかかえながら、かがんだ安見が起き上がる
強く触れたら崩れてしまう物でも持っているように
体からはみ出すほどのぬいぐるみを宝物のように抱えて
形が崩れないように触れる程度に支えている優しい両手をオレに差し出している
ぬいぐるみの横から覗かせる安見の笑顔は
オレの負けを意味していた
◯
富原くんはきっと断ります
少し嬉しそうな顔をしているから。
「はい。これ」
「それはお前が取ったんだからお前の物だろ」
ほんの少し、ほんの一瞬だけほころんだ顔を引っ込めていつもの真顔に戻っています
富原くんの心が見え隠れするのを見るのは初めてかもしれません
「オレとお前が友達になれると思うか?」
確かめるように、否定するように、私に投げかけてきます
「オレがお前に話しかけてお前は笑顔でいられるか?」
「勝負はお前の勝ちだ」
「これからはもうお前を見かけても声はかけない」
「それでいいだろ」
「友達になる以外のことでオレにできることなら何でも言うことを聞く」
別に安見を脅すつもりはなかった
安見が一人でこっちが4人居たから安見が圧力を感じただけだとオレは思ってる
1対1でなければ声をかけてはいけないルールなんかない
安見を見かける時はいつも一人だ
仕方ないだろ
暇つぶしでゲーセンに入ってみればいつも居る
不思議に思った
何をそんなものに金を注ぎ込んでいるのか
1円にもならない。
金になることならまだ分かる
でもどれだけ極めても意味なんかないだろ
一体何のためにやってるのか
それを知りたかっただけだ。
結局
オレは金で物事を測っている。
この考え方はオレが否定してきた考え方だ
金で人を測り
金で人を操る
親父のやり方。
親父みたいな生き方はしないと心に決めていた
それでも
いつの間にかオレの物差しは金になっている
「これ、富原くんがもらって」
安見はぬいぐるみを持ったまま一歩オレに近づいてくる
「それはお前が取ったものだ」
「これは富原くんが指定した物です」
「友達になれないなら、代わりに受け取ってください」
安見の力の抜けた諦めたような表情を見て
オレも諦めて受け取った。
安見は手持ち無沙汰で突っ立っている
もうここには用はない
負けたのはオレだ
オレから安見にかける言葉なんかない
目の前から消えるだけだ
安見に背を向けて、来た道をそのまま帰る
あいつにはどうせ取れないだろうと思っていた
脇に抱えたこのぬいぐるみはさっきまで違う場所に居た
安見から遠のきながらまじまじと見てみる
なぜオレはこんな物がそんなにも欲しかったのか分からない
手にした瞬間興味が無くなった
本当は
安見が持っておくべきものなんだろうな
金ではない何かを掴まなきゃ
コイツは檻から出せない
あいつは今日オレのことを見ていた
安見は積み上げた100円の上に立っている
人の努力を金で買えると思うなよ
あいつはなぜそれを知っていた。
◯
私は今日ちゃんと伝えようと思います
休みの日は必ず2人で会えるから。
原津森くんは茶色い紙袋を脇に抱えて
歩きながら朝マッキュのハッシュポテトをかじっています
のしのし私に近づいてくる。
「おはよう」
「んー...」
原津森くんは前の土曜日よりも15分ほど早くロードプルに来ました
諦めのつかない顔をしているのは私の方が先に居たからです
「やるじゃねーか」
何がやるのかは分かりませんが
悔しさを飲み込むようにハッシュポテトをムシッとかじって眉毛を垂らしています
私はこの変な人に渡さないといけない物があるんです
「原津森くん、これ」
「ずっと持っててごめんなさい」
ちゃんとサインをして署名を渡すと決めました。
今までは人が作り出した流れに流されていただけです
人の言った言葉に対して
反射的に人の顔色が曇らない方を選択していただけです
自分が傷つかないために。
本当は
自分で選べるんです
たとえ傷ついたとしても
自分が選んだ道で傷つきたい
自分の意思で決めたい
人生はもしかしたらギャルゲーなのかもしれません
芥川先生ありがとうございます
原津森くんは朝マッキュのマフィンをかじりながらヌッと署名を覗き込んでいます
パラパラとマフィンの粉を紙の上にこぼしながら
「ふーん」
「そうか」
そう言って器用に片手で折り畳んでポケットにしまいます
正直、もっと派手なリアクションを期待していました
霜山くんの時凄かったから。
「交換条件無くなっちゃうから」
「ずっとサインするか迷ってて...」
「お前はするだろ。」
ゲームを教えてもらったら私はサインをする
逆に言えばサインをしたらもう原津森くんは私にゲーを教えなくて済む
そんなことを考えてたのは私だけだったみたいです
「お前これからもここに来るんだろ?」
「うん。」
「オレもここに来る」
「それだけの話だ」
「じゃあこれからも教えてくれるの?」
「まあ」
「お前は下手だからな」
食べ終わった包み紙を紙袋にまとめてねじってふたをする原津森くん
私は水筒を両手で握ったまま固まっています
お母さんにも申し訳ないけど
今はあっかいお茶より
冷たいお茶の方が欲しいです。
「やっぱ交換条件あるわ」
食後のため息と一緒にちょっと上を向きながらつぶやいています
なんだろう
また取りたい物でもあるのかな
「オレしょっぱい物の後には甘いもの食わないと気が済まないんだわ」
「だから」
「キャラメルくれ」
キャラメルがいくつ有っても足りそうにありません。
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