◯
「着替えるから早くぅ」
そう言って部屋から追い出されたオレと姉木のお母様
お母様はドアの奥に居る姉木の心理を透けて見たのかなぜか「うふふ」と笑い、手で口を押さえながら優雅に階段を降りていった
探してみたが笑う理由は見当たらない
取り残されたオレはドアの意味を考えていた。
この茶色い木の板一枚挟んだ向こう側で姉木が今着替をしている
そう思うと何かここには居てはいけない気になってくる
女子更衣室の前で男が突っ立っているのもおかしな話だ
じゃあ座ればいいのかと言うとそれは門番かもしくは変態だ
立っても座ってもダメなら寝てみるかと選択肢を膨らませてみたがそれはもはや変質者以外の何者でもない。
オレには降りるしかなかった。
なぜか忍び足になりながらソロリと廊下を歩いて重心がブレないように階段を降り始める
すると待っているかのように階段を降りたすぐ横でたたずんでいる姉木のお母様が目に入ってきた
さっきとは打って変わって諦めたようなうつろな表情をしている
真っ直ぐ前を向いているのに目の前のものが見えていないような遠い目をしている
こんな表情の人が海辺で地平線の先を眺めていたら「ダメだ」と言って引き留めるだろう
急に人の雰囲気を変えてきた。
どうしようかと思いながらも考えがまとまらないうちに最後の一段を踏んでしまった
「優が最近ゲームに夢中で」
姉木のお母様は訴えるようにオレの方を見て言う
「うちには下の子もいてね、長二郎って言うんだけど」
「長二郎もゲームがすごい好きなの」
のらりと喋るその口調がカモフラージュになってはいるがゲームを敵視していることがオレには分かる
姉木がゲームをやっているのは弟のためだ
弟のためとはいえ引きこもっていないかと言われると引きこもってはいる
親からすれば弟と同じ原因で部屋に閉じこもっているようにしか見えないか。
オレの母ちゃんはオレのことどう思ってんだろうな
部屋から出ないわけじゃないけどずっとゲーセンにこもってる
学校とゲーセンで家になんかほとんど居ない
逆に弟はずっと部屋に居る
場所が違えば弟は何も言われないのか?
ずっと部屋に居るのとずっと外に居るのでは何が違うのだろうか
したくないことをして、したいことを封印して、
浮かない顔して学校に行くことになってもそれが正解だとハッキリ言えるのだろうか
親を心配させないために生きてりゃいいのか?
弟はどこに居るのが正解なんだ?
「ゲームが好きで何がダメなのか教えてくださいよ」
言った瞬間「しまった」と思った。
オレは多分、お母様を睨んでいた
納得がいかないのに黙っているのは敗北
オレはそう思っている
しかしなせが心が急ブレーキを踏んだ
これ以上は進んでいけない気がしている
「ごめんなさい、変なこと言って」
我に帰ってきたようにゆるくハニカムお母様
口に手を当てて軽くおじぎをしても、それはオレの質問に答えたことにはなっていない
心がどうしても落ち着かなかった。
別に責めるつもりはない
ゲームに対しての価値観なんて人それぞれだ
脳が弾き出すゴールはそこだ。
しかし心は終着点を見つけられてない
自分のゲームへの熱を誇張して肥大化させてでもぶつけたくなっている
それがたとえ一瞬沸騰しただけのすぐ冷めてしまう怒りだと分かっていても、だからこそ冷めないうちにぶつけたくなっている
あなたの考えは間違っている。
「もうなに二人でコソコソ話してんのー?」
姉木が階段から降りてくる音すら聞こえてなかった
姉木はお母様からオレを引き離すように服の裾を引っ張って靴のある方にグイッと持っていく
姉木の進む方向にバランスを崩しながら進むと
下駄箱の上に飾られた花の刺さってない花瓶と立てかけられた家族写真が目に入る
姉木も弟も幼い頃の写真で四人家族全員が笑っている
「本当にごめんなさいね」
姉木に引っ張られながらすれ違った時に入ってきた小さな声に嘘はない
しかしそこには笑顔はなく、さっきのうつろな遠い目をしてオレを見ていた
姉木は普段からお母様とオレのことを話している
ならオレが姉木にゲームを教えていることもお母様は知っているだろう
知っていながらゲームを否定してしまったこと、それを笑顔という仮面を使わずに真正面から訂正してくれた
ゲームを否定されたことなんて今までいくらでもある
それはオレからは遠く離れた話だと思っていた
富原といい、お母様といい、
オレは何にそんな熱くなっている
◯
揺れる電車の中でオレの心も揺れていた。
手すりを持って出入り口のドアの小窓から外を覗く
ビルが次から次へと流れていき姉木家からどんどん離れていく
それにつれてオレの動揺は少しずつ落ち着いてきた
落ち着いてきたことを認識できるのはまだ少し揺れているからだ
「さっきから何黙ってんの?」
口をつんのめらせて不思議そうな顔をしている
もう4月も終わりでだいぶ暖かくなってきたとはいえそのスカートはちと短い。
上の白いセーターは手の甲を半分まで覆ってるくせに下の黒いスカートは足の半分も隠してない
布の配分がおかしい。
片膝を立ててドアに足裏と背中をつける姉木
せっかく落ち着いてきた心がまた少し動揺し始める
姉木の顔を見ているはずなのになぜか目線が下に引っ張られる
なぜか。
だからオレは向かい合っている姉木を見ないようにした
顔は真っ直ぐにしたまま視界の限界まで横目になる
確実に不自然なのは自覚しているが姉木の視線を感じている今また黒目の方向を変えると余計に心が透けて見られそうだ
意識を強く持つために握っていた手すりに力を入れ直した
少しでも目が泳ぐと下の引力に黒目をもっていかれる
今は耐えろ。
横目を維持するんだ。
「何してんの?」
ごもっともだ。
しかしその責任はお前にある。
お前は罪人だ。今度からはジーパンを履け。
「さっきママと何話してたの?」
浮かれたオレを急に現実に戻してきた
何気ない会話の種を放ったつもりだろうが今のオレにはそれは爆弾だ
リアルタイムで感じていた今一番熱い気持ちを優先すればいいのか
人の価値観なんてどうでもいいという元々持っていた気持ちを優先すればいいのか
オレはさっき分からなかった
姉木に聞いてみてもそこから出てくるのは姉木の答えであってオレの答えじゃない
じゃあ今姉木に聞くべきことは一つだ
「お前の母ちゃんってどんな人なの?」
うーんと唸りながらまたもや口をつんのめらせて片膝を立てながら腕を組む姉木
「ご飯めっちゃ美味しい!」
わざわざ指をさして投げてくるほどの言葉でないことにがっかりしかけたオレに姉木は続けた
「私がご飯食べ終わって階段上がったら弟の部屋の前にいっつも置いてある」
「空になったお膳と『おかわり』って書いたメモが」
「そのお膳に私の好きなお菓子置いてあげるんだけどそれはいっつもドアの横によけてあって食べてくれないの」
そりゃあ、お前の好みだからな。
納得して心の中でうなずくと姉木のお菓子の話は整理されてそれ以外が残った。
やけに空のお膳が目に浮かぶ
弟と自分を重ねることに意味なんかないかもしれないが、オレが引きこもったら母ちゃんはどう思うんだろうな
オレにはゲーセンがあった
弟には自分の部屋しか居場所がない
それが苦しいのか、それとも楽しいのか
分からないから姉木も姉木のお母様も心配なのか
「お前が降りてくる前、オレはお前の母ちゃんに少しムカついた」
「弟がゲームしてることをあんまり良いようには言ってなくて、なんか自分が否定された気になった」
「すまん」
親を馬鹿にされると無性に腹が立つ
親を他人に否定されると言い返したくなる
姉木に言い分があるのならちゃんと聞くべきだ
「いいよっ」
昼過ぎの電車内は人も増えてきて、所々会話が聞こえてくる
カップルや親子連れやら様々だが
姉木の笑顔によってこのドアの前の空間だけが一瞬切り取られた
日が窓に反射する光は姉木の横顔を照らしていて眩しい。
しかし眩しかったのはオレだけだろう
その瞬間の姉木の笑顔はオレに向けられたものだったからだ。
心の揺れは無理に収めなくていい
動揺は今肯定された
落ち着いてみると分かる
謝らなければいけないのは姉木に対してだけじゃない
「でもその代わりーっ」
ああ。
こいつのこの笑顔はさっきのものとは別だ。
嫌な予感しかしない。
「ご飯食べたら」
「私もゲーセン連れてって!」
◯
おしゃれな服屋やレストランが並ぶ通りにあるビル
その一階にスイーツパラジャイスはある
遠目だがすぐ分かる
木目や灰色の壁が並ぶ中で明らかに一区域だけ違う色をしている
どんな色かと聞かれたら姉木の好きそうな色だと答える
やはり男一人で来るにはそれ相応の覚悟がいりそうだ。
「絶対だよ」
真顔で念を押さなくても行くっての。
もっと変な要求されるかと思ったがゲーセン連れてくくらい何ともない
何ともないが、ゲーセンがどういうとこか知ってて言ってんのかなコイツは。
お前がよく行きそうなプリクラコーナーとは全然違うんだぞ
あそこは戦場だ。
何人もの有象無象が斬り合いをして血が飛び散ってる戦場。
血が拭かれないまま放置されているでっかい棺桶だ
死ぬ覚悟がなければ足を踏み入れてはいけない
....。
ってのは少し古い話なのかもしれない
初心者歓迎派とか言っておきながら古参組みたいな石頭になっている
これも全て腹が減っているせいだ
お母様からもらった無料チケットをポケットから取り出してまじまじと見てみる
これは優しさだ。
仮に優しさでないとするなら何だというのか説明がつかん
オレが姉木家に来ると分かった上で用意してくれたものなのかもしれない
謝罪と一緒にお礼も言わなきゃいけない
そしていつかお母様の手料理も食べてみたい!
「早く入ろっ」
すぐ人の服や腕を引っ張っるのはやめろと強く言えないのは、なぜだろうか。
姉木の笑顔をまざまざと見せつけられる度にオレにはこんな顔は出来ないなと思わされる
あの時あのタイミングで姉木が階段から降りて来なければどうなっていたのだろうか
そんなこと考えても意味はない
あの時とは違ってオレの心はもう着地している
次お母様に会った時にはしっかり謝罪をする
でなければ今、目の前に立ちはだかるスイーツパラジャイスの扉を開ける資格はない
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