◯
ゆっくりと、少しだけ長二郎の部屋が開いた。
姉木の深呼吸は震えている。
今日はお母様とお父様は居ない。
姉木はこの日を狙っていた。
ゴールデンウィーク最終日。
それが二人が決めた決戦の日。
「じゃあ、待ってて」
下向き加減で自信のない姉木はオレの目を見なかった。
ためらいつつ、少し開いたドアに人一人が入れるだけのスペースを作り向こう側に消えて行った。
一瞬見えた部屋の中は真っ暗でゲーム画面が唯一の灯だった。
◯
ドアを開けたのは受け入れたからじゃない。
完全に追い出す為だ。
ゆっくり姉ちゃんが入ってきた。
久々に顔を見た。暗くても分かる。
いっつも姉ちゃんはオレに優しかった。
一緒にゲームしてくれた。
お菓子も買ってくれた。
いくら「いらない」って言っても姉ちゃんは絶対にオレに一声かけて自分のお菓子分けてくれた。
毎回嬉しそうに。
姉ちゃんは嫌いじゃないよ。
でも結局父さんと母さんと言うことは同じだ。
学校も勉強も必要ない。
オレにはこれがあるから。
決別の意味で姉ちゃんを睨んだら、たじろいでた。
オレにじゃなくて、
姉ちゃんと一緒に入ってきた変な男の人に。
「ちょっ、何で!?」
姉ちゃんが慌てて追い出そうとしたけどびくともしない。
「出てけよ」って意味でその人のことを睨んだら向こうが先にこっちを見てて目が合った。
怒りとか脅しとか、そんな目じゃなくて、
真っ直ぐ、確かめるように見てくる。
突き刺すような視線に釘付けになって目線を外せなくなった。
しばらくこう着状態が続いた後、変な男の人はゆらりと壁際まで歩いて腰を下ろした。
片膝立てて黙っている。
どうやらオレと姉ちゃんの戦いを観戦するみたいだ。
「静かにしててよっ!」
小声で姉ちゃんに怒られたその人は姉ちゃんじゃなくてオレを見ていた。
最近、しばしば隣の部屋が騒がしいことがあった。
ほとんど姉ちゃんの声だったけどシュマブラの話が聞こえてきてた。
姉ちゃんに教えてた人か、この人?
まあ何にしたってオレは負けない。
負けるわけにはいかない。
オレには越えたい人がいる。
絶対に邪魔なんかさせない。
◯
長二郎はただ者ではなかった。
さっきまでプレーしていたんだろう
ゲーム画面はオンラインバトルモードになっていて、そのランキングは12位。
シュマブラは日本だけでも300万本売れている人気ゲームだ。
その中でランク12位は明らかに猛者。
中学上がったばっかの小僧がだ。
姉木とは格が違う。
そう思ったのは試合が始まる前までのことだった。
フタを開けてみれば、姉木は開幕二連勝。
立ち上がり、姉木は完璧だった。
姉木の持っている武器は少ない。
その数少ない武器の使いどころが来るまで長二郎の仕掛けに即解答して、粘る。
プラン通りの動きは長二郎に考えさせた。
前回やった時と姉木の動きが変わっていたのだろう
「何か企んでいる」
そういう迷いが長二郎の動きを止めた。
相手が止まったら“Go”のサインだと姉木に叩き込んでおいた。
迷っている長二郎に対して迷いのない姉木の攻めが通る。
そうやって初戦と二本目を取ったのは姉木だった。
しかしこの連勝が姉木を狂わせた。
自分が先に連勝するなんて予想だにしなかった
手応えを感じた姉木はプランを無視して突っ走ってしまう。
姉木の攻めが通ったのはあくまで段階的に長二郎の思考を鈍らせたからだ。
いきなり突っ込んでも攻めは通らない。
さっきは通った攻めがなぜ通らないのか
姉木には理解できていなかった。
心は熱くなっていい。
しかし頭まで熱くなってしまえば終わる。
今まで積み上げた努力が音を立てて崩れ始める。
そんな隙を実力者は見落としたりはしない。
堅く、閉ざしておいたはずの城門を自ら開けてしまえば
そりゃ相手は徹底的に攻め込んでくる。
全勢力を持って。
姉木は飲み込まれ、立て直すことが出来なかった。
結局取れたのは最初の二本だけ。
10-2で長二郎の圧勝に終わった。
10先という長距離を走り切るためには自分をコントロールしないといけない。
どこで止まり、どこで仕掛けるのか。
自分をコントロール出来ないものに相手をコントロールすることはできない。
これはどれだけ口で言ったとしてもやってみなければ体感できないものだ。
いくらダイエットの難しさを理解していても、実際にダイエットの難しさを感じるのは腹が減った時だ。
10先の精神的な攻略は口で伝えてできるものじゃない。
どれだけ後悔しようが負けが勝ちに変わることはない。
負けた者は今までの努力をすべて否定され、失ってしまう。
◯
姉ちゃんは今にも泣きそうな顔で「ごめんね」と言ってきた。
どういう意味かは何となく分かる。
姉ちゃんにはいっぱい友達がいる。
オレには居ない。
だから姉ちゃんはオレとよく遊んでくれた。
オレに合わせてオレの好きなゲームで。
心からゲームのことが好きになった。
それを知ってるからきっとまた一緒に遊んでくれようとした。
でも、オレにとってゲームはもう遊びじゃないんだ。
姉ちゃんとはできない。
もうオレのことはほっといて姉ちゃんは姉ちゃんの友達と遊んでくれ。
10先はオレの勝ちだ。
姉ちゃんとはこれでお別れだ。
◯
二人は横並びでうなだれていた。
姉弟のことを思っていたのは姉木だけではなかったようだ。
ぼやっとした暗がりの中、勝った長二郎も泣きそうな顔をしているのが薄っすらと見える。
そんな二人の光景を見て初めて姉木家に来た時のことを思い出した。
デカい家だと思った。
きっと稼いでるやり手の親なんだろうなと。
外から見たら綺麗で立派な家だ。
しかし外から見るだけでは中でどんな問題が起こっているかまでは分からない。
閉ざされたドアを通る度にドアの向こうにはどんな奴が居るのだろうと想像していた。
本当は踏み込んではいけなかったのかもしれない。
見ず知らずの他人が。
弟だって考えている。
ハタから見たらただ自暴自棄になって引きこもってるダメなやつだ。
でも違う。
夢中になれるものにただ夢中になっているだけだ。
自暴自棄になんかなっていない。
それで言うならオレだって変わらない。
家じゃなくてゲーセンに引きこもってる。
そうするしかないんじゃなくて、そうしたいからしてるんだ。
外から見てるだけじゃその気持ちは分からんだろう。
自分の物差しで人を測って、勝手に分かった気になってるだけだ。
上から物を言ってオレ達のことを下に見ているだけ。
同じ目線じゃない。
もしかしたらオレも今、長二郎にそうしてるのかもしれない。
勝手に下に見て勝手に救おうとしてる。
本当に同じ目線に立てているのはきっと姉木だけだ。
ただ、
長二郎はそれを求めていなかった。
長二郎が求めているのは同じ目線の人間ではなく
同じ目線の“プレイヤー”だ。
人として同じ目線になれなくても
プレイヤーとしてなら同じ目線に立てるかもしれない。
ならオレのやれることは一つだけだ。
長二郎、
もしお前がゲームで何かを掴みたいと思ってるのなら
オレと10先やってみないか?
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