◯
毎回部室の鍵を開けるのはオレだ。
職員室に鍵を取りに行き一番乗りで部室に入る。
誰にも先を越されたくないと思ってる。
職員室に向かう途中、放課後の開放感に身を任せてはしゃいでる生徒達とすれ違うと、自分とは違う人種なんだなと思う。
オレとコイツらとは行く道が違う。
きっと軽音部の奴らとは同じ道に行くもんだとばかり思ってた。
でも違う奴がいた。
オレはショックだった。
どうせ違う道を行くのなら奴が見えなくなるくらい自分の決めた道を突っ走ってやると決めた。
そんな思いがオレを足早にさせる。
しかし、足早になればなるほど部室はなぜか遠くなっていった。
心と体が逆行してる感覚のまま足を運ぶ。
ふと、うつむいている自分に気づき顔を上げてみる。
すると部室の前に変な奴がつっ立っている。
うつむき加減でこっちを見ているその視線はオレを狙い撃ちしていた。
ポケットに手を突っ込んで部室のドアにもたれている。
見ない顔だ。部員ではないだろう。部員なら向こうから何かしら声をかけてくるだろうから。
しかしこいつは明らかにオレ待っていた。
警戒しながら一歩近寄るとスッと半身になってオレが鍵を開けるのを待っている。
不気味な奴だ。
鍵を開けて部室に入るとそいつはぬるりと後をつけてきた。
ひとまず背負っていたギターを置いた後そいつに体を向ける。
向き合って目が合う。
オレから視線を外さないまま後ろ手にドアをピシャリと閉めてそいつはこう言った。
「お前は諦めるのか?」
◯
言葉に心臓を掴まれた。
胸が詰まって声が出ない。
こいつが何のことを言っているのかオレには分かった。
木田のことだ。
木田に対して積み上げていた思考がすべてガラクタになってしまうくらい、こいつの言葉は真実だ。
ガラガラと崩れ落ちたガラクタの山の底に眠る本音を引っ張り出してくるような目。
「木田は就職する。それでいいんだな?」
追い討ちだ。
こいつはオレを脅している。
オレの体内から引っ張り出した本音を手の平で握りゆっくり力をかけてくる。
「要らないなら潰すぞ?」
そう脅してくる。
思い出した。
こいつ、勝手に楽屋に入って来た奴だ。
部外者に勝手に入られて驚くのはこっちの方なのに誰よりも目を丸くして驚いてやがった。
オレ達が言い合ってるのを見て。
こいつは木田と知り合いで、オレと木田の関係性も知っている。
木田が言ったのか?
そう考えた瞬間、拳を握っていた。
心に力が入ったら目が覚めた。
こいつがやってるのは脅しや煽りじゃない。
ただ現実を突きつけて「戦え」と言っている。
オレにとってこいつは他人だ。
でもなぜかこいつは”戦わないといけない“ことをオレに伝えてきた。
オレが戦ってないことを知っている。
なぜ知っているかは分からないがこいつの言う通りだ。
オレにはまだ木田に伝えてないことがある。
◯
歌川は目を見開いていた。
それを見て思わず汗がにじんだ手をポケットから出した。
歌川の感情が段々と高ぶっていくのがこちらにも伝染してくる。
この狭い部室なら尚更だ。
人の背の半分ほどのアンプがいくつも壁に張り付いていて、無造作に置かれた数本のマイクスタンドは四方八方を向いている。
床に乱雑に放置されている大小様々なアタッシュケースには一体何が入っているのだろう。
ドラムセットやキーボードは静かに居座って鳴らされるのを待っている。
いつも部室には爆音が鳴り響いているのだろうが今は沈黙が鳴り響いている。
体温の上がった歌川とその熱をもらったオレの体温が部室に充満し始めた。
そんな息苦しさを換気するように静かに部室のドアが開く。
「ん?」
オレの方を見て不思議そうに首を横に傾けた後、入って来た女は歌川に尋ねる。
「この人誰ですか?」
歌川はふーっと大きなため息をついてクールダウンをした後、いちおの知り合いというふうに女に伝えた。
説明が面倒くさかったのだろう。
「どうも。」
女は首を横に傾けたままうつろ気にオレに微笑んだ。
目が合ったままボーッとしていると何だかこの女の目に吸い込まれそうになってくる。
そんなオレを現実に戻したのは三人組の声だった。
半開きになったドアの向こうから段々声が近づいてくる。
声と同時にまず部室に入って来たのは好青年だった。
オレを見て「あっ」みたいな顔をして口を半開きにしている。
続いて入って来たのはロン毛。
オレを見て「おっ」みたいな顔をして片手を上げて挨拶している。
最後に入って来たのは金髪。
オレを見て「えっ」みたいな顔をして目を丸くしている。
オレが部室に居ることと歌川の様子がいつもと違うことから木田は何かを察した。
先に来ていた女に爽やかな笑顔で会釈した後、真顔で歌川と目を合わせた。
「おう」
そう言った木田はすぐに目線を下げて歌川を通り過ぎようとする。
歌川は通り過ぎる木田の腕を掴むかのように声を投げた。
「ギターは変えなくていい」
一旦緩んだ部室内の緊張の糸がまたピンと張る。
その張った糸を伝うように歌川は言葉を続けた。
オレはお前にギターを変えてほしかった。
お前がギターを変えてくれればまだバンドが続く気がしたから。
でもお前は就職をする。
オレはお前の音が気に入らないフリをして本音を隠していた。
本当は卒業しても木田とバンドを続けたいと思ってる。
歌川は木田に伝えた。
縁ノ下と田々木は傍観ではなく静観している。
自分事のように心臓を鳴らしているのが表情から見て取れる。
木田はうつむいている。
隙を狙って田々木がオレの服をつまんで壁際まで誘導したきた。
「これ、どゆこと?」
全ての原因がオレであるかのように耳打ちをしてきた田々木は煙たい顔をしている。
正解だ。
オレが歌川に吹っ掛けたことを伝えると田々木は小さく親指を立てた。
嫌だったのかナイスなのかどっちだよ。
この沈黙は、木田待ちだ。
歌川からはもう何も出てこない。
その認識は場の空気を吸っている全員の共通認識になっていて木田ももちろんその中に入っている。
覚悟を決めた顔をした木田はうつむきながら口を開いた。
オレだって続けたい。
でもバンドは親父に強く反対されている。
親父はオレの事を思って言ってくれている。
力づくじゃない。
何度も話し合った。
バンドは、オレの意思で辞めるんだ。
◯
自分でも理由になってないってのは分かってる。
歌川は実直でいつも熱くて真面目な奴だ。
そんな歌川が真正面から伝えてきた言葉と釣り合ってない。
本当は親父と話し合った内容まで伝えるべきだ。
でもそれを持ち出すのは卑怯だと思った。
歌川はきっと納得してくれるから。
歌川が納得してしまえば本当に終わってしまう。
最後の命綱を自分で切ることがオレにはできない。
本当のことを話すのも
本当のことを隠すのも
どちらにしても卑怯だ。
未練を抱えたままオレは答えを出したふりをしている。
そんな腑抜けたオレにゆっくり近づいてくる男がいる。
「木田、今お前舐めたな?」
恐る恐る顔を上げてみるとその男の目からは煙が立ちのぼっていた。
「お前は“択”を舐めた」
何を言っているのかは分からないが、原津森の目からは煙が消えて黒目が炭火みたいに赤黒く燃えくすぶっている。
格ゲーにはどうしても通さなきゃいけない択がある。
その択にどんなリスクがあろうともだ。
それが勝ちへの道を進むということ。
リスク有ってこそリターンを得られる。
お前は今、リスク無しでリターンを得ようとした。
そんな択は通らない。
これは歌川への冒涜であり格ゲーへの冒涜だ。
木田、お前が行こうとしてる道に本当に納得する答えがあるのか?
リスクの無い択にどんなリターンがあるんだ?
これは損得の話じゃない。
その努力の果てに掴み得るものが本当にあるのかどうかという話だ。
喋りながら近づいてきた原津森はオレとおでこを付き合わせていた。
仁王立ちで。
オレはバクバクしながら原津森のでこの熱さに身体を固める事しか出来なかった。
言葉は出てこない。
今のこいつを上回る温度を持ってる奴は部室には誰一人としていない。
そんな手のつけられなくなった原津森に冷や水がぶっかけられる。
「見ない顔だけど、君は軽音部かい?」
オレと原津森に割って入って来たのはいつの間にか部室に来ていた部長だった。
「あ、一年っす」
原津森は一年だと平気で嘘をついた。
さっきまで本音を吐けとオレを睨んでいた張本人が真っ直ぐに嘘をついている。
「伊佐奈さん友達かい?」
そういえば今日は珍しくオレより先に伊佐奈が来ていた。
「はい、私が誘ったんです」
さらっと伊佐奈も嘘をつく。
確かに一年の伊佐奈がそういうふうに言えば決定的になるが、初対面の原津森をなぜかばったのだろうか。
「そっか。でも喧嘩はだめだよ。」
部長は温厚でいつもニコニコしている。
物腰の柔らかい人当たりの良すぎる人だ。
何も知らずに原津森を受け入れてしまった。
「うっす」
そう言って原津森は何もなかったかのように颯爽と部室を出て行った。
嵐が去った後みたいだ。
心が散らかっている。
ひとまず落ち着いて広い集めないと。
そうやって何とか自分を取り戻そうと深呼吸をしているとサッと人が横切った。
伊佐奈は嵐のような男の後を駆け足で追った。
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