◯
私は長二郎に勝てなかった。
どれだけ練習しても、長二郎のこと思ってても、
勝てなかった。
原津森が言ってた通り勝負の世界は非情だ。
もうこれで長二郎が部屋から出ることはない。
悲しいけど涙が出なかった。
悲しい以外の感情も何個かあったから。
立ち上がれずにうつむいてたら、横でビカッて何かが光って真っ暗闇な部屋を切り裂いた。
眩しさを感じた方に目をやると、そこには原津森が立ってた。
両目を丸く光らせてる。
その光は部屋の奥まで照らしていて、夜の山の中で停車した車のヘッドライトみたいに光ってる。
ゆっくりずしずしとこっちに歩いて来て私をどかしてあぐらをかいた。
そして長二郎に言った。
「10先やるから座れ。」
私たちを追い出す準備を始めて立ち上がってた長二郎に原津森はヘッドライトを浴びせた。
何でだろう。長二郎が一瞬笑ったように見えた。
長二郎はゆっくり腰を下ろして二人は隣同士で対戦を始めた。
私は後ろでずっと見てた。
原津森は微動だにせず
長二郎は一試合終わるごとに深呼吸してた。
自分が対戦してる時と人が対戦してる時では時間の流れが違う
人の対戦ってこんなにも早く感じるのかと驚いた。
それは私の感覚的なものではなくゲームの内容によるものだった。
1ライフ削れるのが早すぎる。
持ってる手札の切り方が二人とも異常だよ。
高速で将棋をさしてるみたい。
私の思考なんて追いつかない。
あ、そんなやり方あるんだ!って思ってるうちにもう次の駆け引きに移ってる。
私みたいに極端に動きが変わることなんてない。
冷静に、冷静に、相手を掌握してる。
原津森は相変わらず微動だにしない。
長二郎はいつの間にか深呼吸をしなくなった。
私が二人のプレーに感動してるうちに10先なんてとっくに終わってた。
何十戦くらいしたんだろ。
長二郎が先にコントローラーを置いて、それを見た原津森も連れてコントローラーを置く。
長二郎は呆然と原津森を見つめてた。
信じられない顔で。
それは自分が負けたことが信じられないんじゃなくて、目の前に有名人でもいるかのように驚いてる。
目と口をまん丸にして。
長二郎は原津森から一本も取れなかった。
◯
「プレイヤー125だ」
そう答える変な男の人の目からは光が消えていた。
スイッチがOFFになったみたいにパチンと。
オレはドキドキしながら聞いた。
「何てプレイヤーネームですか?」って。
そしたらやっぱりそうだった...。
シュマブラではプレイヤーネームを決めずにランクマッチを始めると勝手に「プレイヤー」という名前をつけられて、末尾に数字が足される。
そんな「プレイヤー」は腐るほどいるけど、
ランクトップ10入りをしている「プレイヤー」はただ一人だけだ。
オレがずっと背中を追いかけてきた「プレイヤー125」
バトルランキングは5位。
トップ10に入ってるプレイヤーの中でオレと同じキャラを使ってる人は「プレイヤー125」だけ。
ずっと憧れてた。
ずっと真似してきた。
そんなプレイヤー125が、こんなとこに居たぁ!
「お前、何で引きこもってる?」
光の消えたその目は鋭さも同時に消えていて優しかった。
直球な質問だった。
ずっと憧れてた人が目の前にいるっていうのもあるけど
オレはオレより強い人に返す言葉が見当たらなかった
こっちをずっと見つめてて、オレは何も言えずにただその人の目を見てた。
そしたら沈黙を破るように語り出した。
別に引きこもりたきゃ引きこもればいい
ただ、オレは一日中シュマブラをやってるわけじゃない
でもオレはお前よりも強い
そういう事実もある
話を聞けば姉ちゃんとは学校で知り合ったとのことだ。
衝撃だった。
この人は学校行きながらオレより強いんだ。
一日中シュマブラをやってるオレより。
すべてを捨てなくても、強くなる方法がある。
それをこの人は知ってる。
しかもシュマブラはサブのゲームときた。
サブのゲームでランク5位なんてイカれてる。
人じゃない
本当にどうかしてる
カッコいい...
カッケェ!
◯
原津森は何も言わずスタスタと部屋から出ていって帰ろうとした。
だから私も慌てて追いかけて部屋を出たら長二郎も一緒についてきた。
玄関の外に出て私と長二郎は横に並んで原津森を見送りしてる。
空は薄いオレンジ色が広がってて夕方になってた。
沈みかけてる夕日はゆらゆら揺れてて私の記憶を揺さぶってくる。
子供の頃、長二郎と手を繋いで歩いた帰り道も同じ色をしてた。
長二郎が今私の横に居る...。
「おい長二郎」
玄関の外門を挟んで原津森が問いかける。
名前を呼ばれた長二郎は目を輝やかせながら原津森から来る次の言葉を待っている
「お前の姉ちゃん優しいな」
無表情で淡々と事実だけを伝えるように話す原津森。
長二郎は一瞬だけ私を見て原津森に小さく頷いた。
原津森は分かってたはずだ。
これだけの実力者なら私が長二郎に勝てないってこと。
それでも全力で勝つことだけを考えて協力してくれた。
私の声も、パパの声も、ママの声も、長二郎には届かなかった。
でも原津森の声は届いた。
たった数回の会話だけで。
もっと言えば多分、一緒にゲームをしただけで。
長二郎がゲームにどれだけの思いがあるのかを私たちは分かってて見て見ぬフリをした。
心のどこかで否定してたんだと思う。
“ゲームなんかより大事なものがある”って。
原津森はそんなこと微塵も思ってない。
原津森にとっても長二郎にとってもゲームが全て。
ゲームを否定されることは自分自身を否定されるのと同じだったんだ。
私だって自分の大切にしてるものを否定する人がいたらそんな奴のことなんて信用しない。
私たちはゲームを否定してしまった。
長二郎が誰も信用できない状況を家族みんなで作ってしまった。
原津森はそれに気づかせてくれた。
原津森は最初「引きこもりの弟」って聞いても否定なんかしなかった。
私の大切な弟を一切否定しなかった。
この人のことを信用しようと思った。
原津森に頼んでよかった。
おかしな人だけど、真っ直ぐな人。
段々遠くなっていく原津森の背中を見て思う
私はこの人がどういう人かもっと知りたい。
長二郎も同じ背中を見て言う。
「また来てくれるかなあの人」
嬉しさと楽しさでちょっと吹いてしまった。
姉弟揃って同じこと考えてたから。
長二郎が喜ぶならいくらでも呼んだげる。
ママの料理があればあいつはチョロいから大丈夫。
長二郎と目を合わせてそんなこと話してたら聞こえなくなったはずの足音が徐々に大きくなって近づいてきた。
引き返してきた原津森は真顔だった。
「駅まで送ってくんない?」
◯
へたればへたるほど力が抜けていく。
教室に居るとゴールデンウィークが終わったことを実感せざるを得ない。
現実を受け入れられずにいる一番やる気のない朝に姉木ときたら超笑顔だ。
「昨日忘れてたよ!」
そう言って姉木はいつもの調子で人の視界に飛び込んできた。
机にへばりついて腑抜けていられるのもホームルームまでだというのに邪魔をするんじゃない。
「はいこれっ」
姉木の笑顔の次は白いシワシワの紙切れが視界に飛び込んできた。
そこには人の名前らしきものが書かれている。
署名だこれ!
「昨日原津森が帰った後さ、長二郎とシュマブラしたんだ」
「リビングで」
そうやって話す姉木の笑顔はさっきよりも弱々しい。
ただ嬉しかっただけじゃない色んな感情を思い出して噛み締めてるみたいだった。
長二郎は部屋を出た。
勝てると分かっている姉木とゲームをした。
それがどういう意味を持つかは“プレイヤー”として肌で分かる感覚がある。
きっと強さよりも楽しさを求めたんだ。
長二郎の行く道は、オレの行く道とは変わったのかもしれない。
「そしたらさ、パパとママが帰ってきてさ」
「長二郎見た瞬間持ってた荷物パタンって落として号泣してた!」
お母様が喜んでくれて何よりだ。
じゃあまあこれで姉木家に世話になった借りはチャラということでいいだろう。
「原津森のおかげだよ」
オレは何もしていない。
結局姉木を勝たせてやることは出来なかった。
長二郎が自分の意思で一歩踏み出しただけだ。
「だから書いといたよ」
親指だけ曲げた手の平をズイッと前に出して誇らしげな姉木
「私と長二郎とパパとママ」
「4人分!」
昨日、姉木は長二郎に負けた。
イコール勝負事に負けたのはオレも同じだ。
改めて結果だけを見ると署名なんて貰える立場じゃない。
しかし現実署名の記入欄には「姉木」が四つ並んでいる。
「署名は人の心だ」
いつか担任はそう言っていた。
昨日、署名のことなんか頭になかった。
姉木は本当に勝てるのか
長二郎はどんなプレイヤーなのか
そこにしか興味がいかなかった。
自分本意で心が動く方に全力で舵を切っただけだ。
たまたま上手くいっただけ。
オレの行動がなぜ人の心を動かしたのかは分かっていない。
「原津森、ありがとね」
ほっぺたが爆発しそうなくらいとんでもない笑顔だ。
そして顔が近い。
こいつは男を惑わせる罪人だ。
数々の罪をまだ償っていない指名手配犯。
そして署名に4つのサインを埋める神でもある。
さらにはとんでもない笑顔を見せる天使だ。
ここ数週間、オレは姉木に振り回された。
色んな顔を見てきた。
何となくそれは今後も続きそうな予感がしていて考えただけでため息が出る。
「今度の休みうち来ない?」
「あ、でも今週は予定あるから来週か。」
「そうそう、こないだスイパラ行ったらにくきゅうにゃんこケーキってのがあってさ」
予感が的中するのが早いんだよなぁ。
お前は本当、忙しいやつだわ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!