◯
私はコソコソ生きています。
誰かに名前を呼ばれないように
心の奥がバレないように
これは過去の自分が今の自分に課している絶対的なルールです
このルールを破ってしまうと私は傷つくことになります
だからずっと守ってきました。
そんな悪魔的な契約を打ち破ってくれたのはゲームでした。
私はゲームの世界に入り込んで
他の誰も入って来れない
周りの人達が私のプレーを見ていてもそれはただ遠くから眺めているだけで
誰も私の邪魔はできません。
そう思っていたのは
勘違いだと思い知らされました。
◯
「画面端に居すぎだな」
原津森くんの声に耳をすませます。
騒がしいゲーム音に私の聴力が負けないように。
ついでに私のキャラも負けなければ完璧だったんですが私はいつものように席を立って
原津森くんの横で負けた理由を考えます
がめんはしって何ですか?
「お前2時間ドラマって見たことある?」
「え?いっつも崖で犯人追い詰めるやつ?」
「格ゲーやってる時のお前はその追い詰められてる犯人だ」
「画面端っていうのは罪人が行く場所なんだよ」
「私は罪を犯すようなことはしてないけど」
「してるんだよ。だから負けた。」
「お前は画面を下がりながら中足打ってるだけ」
「中足は本来前に進みながら当てるもんだ」
「ガードされようがとにかく当てて押してラインを上げる」
「どっちが先に相手を画面端に追いやるか」
「格ゲーは陣取り合戦だ」
「その勝負に負けたヤツは崖を背負い身動きが取れなくなる」
「押すも引くも出来なくなって、距離感を完全に相手にコントロールされる」
「そのまま最後は崖に突き落とされて終わりだ」
「まだ船餅英一郎に逮捕されて終われるドラマの方がマシなオチだな」
船餅英一郎の顔が浮かんで画面端の怖さが薄れちゃったけど
確かに私が席を立つ時はいっつも画面端でキャラが倒れてる
崖に行かないように相手を押し返さなきゃいけないんだ
「もしかして画面端って、ボクシングで言うところのコーナーみたいなもの?」
「....。」
人を疑うような横目で私を見ながら少しのけぞる原津森くん
「崖の方が良い例えだろ」と言いたげなため息をついています
画面端かぁ。
行かないようにはしたいけど
もし行っちゃったらどうしたらいいんだろう。
◯
教壇正面の後ろの方に一つだけポッカリ空いた席がある。
朝のホームルームが始まるまで生徒達は自由にあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている
もちろんまだ来てない生徒もいる
だから空いてる席は他にいくつもあるけど
本当の意味で誰にも座られてないのは不藤さんの席だけだ
不藤さんは高校入学を機にアメリカに住み始め一年生の時はアメリカの学校に通っていた
留学ではなく親御さんと共にアメリカに移り住んだ
それをわざわざ1年ほどでまた日本に帰ってきて転入して来たのだから色んな決意があったはずだ
春休みの間に引っ越しなどの準備や手続きを終わらせたらしいけどそれも無駄になってしまった
昨日の電話ではお父さんの仕事の都合とはいえトンボ帰りをする事に納得はいってなかったらしい
籍はこの学校に置いておいてまたしばらくアメリカで生活するとのこと
どれくらい掛かるかは分からないけどとりあえずは休学扱いになった
新クラスが始まって一週間も経たないうちにもうグループが作られ人間関係が形成されている
いつか不藤さんが登校して来た時に
僕は何をしてあげられるだろう
「まあ中々無い家庭環境ですからね。運がなかったんですよ不藤は。心の問題で来れないんじゃないのならいずれこのクラスで会うことになります」
いつものように教壇に頬杖をついて僕と一緒に不藤さんの席を見つめながら道引先生は言う
道引先生ならきっと真正面から不藤さんの気持ちを聞いて、真っ直ぐに自分の気持ちを話すと思う
僕はきっと遠回りに傷つけないような言葉でしか会話ができないだろう
不藤さんを助けることは今の僕には出来そうにもない。
どうやら
ナイーブな考え事をしている時に限ってこの生徒はドアを開けるみたいだ
昨日職員室に来た時とは違いスラッとドアを開けて入り口にいる生徒を避けるようにヒラヒラと歩いてくる
「原津森くんおはよう」
「おざす」
こっちも見ずにスーッと前を通り過ぎていく
力ない半開きの口からやっと漏れ出した程度の挨拶だが
無視されなくてよかった!
「おはよう。原津森」
「おざす」
「おはよう。原津森」
二回目に彼の名前を呼んだその低い声は三回目が無いことを示唆している
普段の調子のままでいることが死に直結すると悟った原津森くんはピクっと止まり嫌な予感のする背後を振り返った
「おはよう、ございます」
「行け。」
僕からは道引先生がどんな顔をしていたかは見えなかったけど
世の中知らない方がいいこともある
挨拶は大切だよ原津森くん。
◯
朝から鬼と出会った。
無事に自分の席に着けたことに今は感謝しよう
次からは必ず後ろのドアから入るようにする
死んだら署名もくそもなくなるのだから。
「おはよう原津森」
「おはようございます」
「お、おう」
柔らかい声色に少し安心した
あれ?鬼じゃない?と一瞬戸惑って声の鳴る右の方を見てみたら声色だけではなく腹まで柔らかそうな霜山じゃねーか!
「なんだお前!」
「いや、え?...ごめんっ」
紛らわしいヤツめが。
「どう似合う?」
「あ?」
「髪短くしてみたんだけど、どう?」
「似合ってない。」
「お前ちょっとは気使えよ...」
「似合ってないし太ってる」
「おい!」
「痩せるのはこれからだ!」
「短い髪はその証だ!人の決意をなんだと思ってる!」
「言っとくけど挨拶してキレられる覚えもないからな!」
「それに関しては別にお前は悪くない。タイミングが悪かっただけだ。」
「何だそれはっ」
原津森くんと霜山くんはもうすっかり仲良くなりました。
霜山くんは優しいな。
短い髪も似合ってる。
原津森くんは今日は手紙読まないの?
朝の騒がしさは自分から遠いところにあるものだと思ってた
こんなに近くにあると
私はどんどん一人になっていく
今日の原津森くんは透けて前の席の人が見えるようなことはありません
薄々どこかで感じ始めてた不安が現実になってしまいました
原津森くんと私は似てるようで
全然違うみたいです。
「え?」
という声が聞こえたので顔を上げてみると
片肘を椅子の背に乗せた半身状態の原津森くんが私のことを見て目をパチクリさせながら驚いています
「え?」
思わず私も同じ顔をして驚いてしまいました
「え?」
一回目と全く同じリアクションで驚く原津森くん
なんで私を見て驚くんですか?
「安見じゃん」
はい。安見です。
「後ろの席って安見じゃん」
一年前からです。
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