◯
伊佐奈と木田が付き合っているか否か。
喉に魚の骨でも引っかかったような違和感だ。
意識しなければどうってことないが、意識した途端解消したくなる。
あの女は人の心に自分の印象焼き付けるのが上手い。
これ以上思考を深掘りすると伊佐奈の思うつぼだ。
見えている落とし穴に落ちるほどオレは間抜けではない。
あくびを一つかいた後、机に突っ伏す。
そのまま誘われた眠気に身を委ねて目を閉じる。
まぶたが落ちるほんのわずかな合間にオレの目が追ったのは木田だった。
視線をやっても答えは出ない。
あいつは真面目に勉強をしているだけ。
そりゃそうだ。
授業中だからな。
進学しない奴がよく勉強なんかする。
授業が終わったら直に訊きにいけばいい。
魚の骨は木田にでも取ってもらうことにしよう。
いつもより少し遅めの昼メシが今ごろ“効いて”きた。
目を閉じると思考も停止して、5限と6限目なんぞあっという間に過ぎ去っていた。
人間の脳は上手くできていて、
『この音を聞けば体は起きる』と認識してる音が鳴れば本当に起きる。
放課後のチャイムが鳴るなりムクッと顔が上がり気づけば立ち上がっていた。
ぼっ立ちで目をしぱしぱ開け閉めしているとウィスパーな声がしゅるりとオレの耳の中に入ってきた。
「原津森くん、今日行く?」
後ろを振り返ると撫で肩をすぼませた安見がオレの前にたたずんでいた。
うつむき加減で右手で左手の手首を掴む仕草は相変わらずだ。
視線を手から目へと移動させるとオレの眠気は一気に覚めた。
「強くなりたいから教えてよ」と訴えかける安見の目は神々しいまでに純粋。
猫がにゅ〜るを発見した時と同じ目だ。
一点の曇りもない。
そんな無垢な安見の視線がナイフと化してオレを脅してくる。
「格ゲーのこと忘れたの?」と。
今日はこれから木田のじいちゃんのところに行く。
だからロードプルには行かない。
その言葉が純白な安見の心を汚してしまいそうで、グッと喉の奥に引っ込めた。
「今度の日曜日、ロードプルで大会があるんです」
無表情でもう一本ナイフをチラつかせてきた。
安見が言ってるのは月例大会のことだろう。
ロードプルでは月一回4階フロアで大会が開かれる。
賞金がついたりするワケではないが大会には常連組以外の顔も多く見かける。
「順位を決めます」と言われると人の心に火がつく。
ハッキリと勝者を決める大会ではハッキリと敗者も決まる。
負けはモチベーションの素だ。
大会参加者は勝っても負けてもモチベーションが上がる。
だから多くの人が集まってくるのだろう。
オレも毎回参加しているし今回ももちろん参加するつもりだ。
「お前にその資格があるのか?」
そう、安見は問いただしてきているわけだ。
まあ本当に安見にそんな意図があるかどうかは分からない。
しかし、
署名と出会う前のオレが今のオレに問いただしているような気がしてならない。
オレはなぜ木田に固執しているのか。
さっさと署名をもらえば済む話だ。
そのチャンスも実際にあった。
でも今オレはゲームよりも木田の攻略に夢中になっている。
こんなこと今までならあり得ない。
ゲームよりも他人を優先するなんて。
これも全て木田の“本気”を見てしまったせいだ。
日常に入り浸れば常人にしかなれない。
異人になりたければ異次元の世界に行くしかない。
常人を感動させるのはいつも異人だ。
木田のあのパフォーマンスは日常を捨てなければ手に入らないものだろう。
あいつは異次元の世界に行ったんだ。
なぜそれをあっさり捨てる?
なぜあいつは自分の持っている“本気”で勝負しようとしない?
オレはそれが知りたい。
心配そうにオレからの返答を待っている安見。
しばらく黙ったままオレは安見とぼっ立ちで向かい合っている。
安見は握った自分の左手を一瞬離して強く握り直す。
それが目に入ったオレは手持ち無沙汰にしていた手をポケットの中に突っ込んだ。
伝えることもせず、安見から手の内を隠した。
自分が小さく見えて、安見が大きく見える。
これは、自分の行く道が間違っているということなのか?
「お疲れぃ!」
安見とオレとを繋いでいた緊張の糸をパツンと切ったのは姉木だった。
ゴールテープでも切るかのようにワッと飛び込んできた。
「二人とも今日行くでしょ!」
賛同させるように一人だけ小さく挙手してみせる姉木。
多分、オレと安見の空気感を感じ取ってわざと切り裂いてきた。
緊張の糸が切れたオレは張っていた肩がストンと落ちて詰まっていた喉が開いた。
「大会は出る。でも今日は“行かない”」
ポケットから手を出して姉木越しに安見の顔をちゃんと見た。
安見は濁りの無い笑顔で「うん」と声を出さずにうなずく。
安見は間違いなくゲーマーだ。
本気でやり込んでいる人間に本気で向き合わないのは失礼だ。
「ん?」 「ん?」
姉木はクエスチョンマークをオレと安見に投げかけたが二人に無視されてクエスチョンマーク君が行き場を失っている。
後処理は安見に任せるとしてとりあえず木田に聞こう。
伊佐奈との関係を。
ドアを出る寸前の木田の肩を掴みギリギリセーフ。
木田は首だけ振り向いて「おっ」みたいな顔で口を丸くした。
部室で歌川と言い合っていたことはもう完全にリセットされているような明るい表情だ。
多分こいつは人を憎んだり嫌なことを引きずったりするタイプではないんだろうな。
「お前さ」
伊佐奈の問いの答えを木田に求めた瞬間、またしてもオレの喉のフタが閉まった。
敵を発見した兵士が戦車のハッチを閉めながらヒョッと頭を引っ込めるように。
教室の外には窓に背中を預けて片膝を立てる伊佐奈が居た。
腕を腰あたりで組んで横目でオレを見上げている。
「づもり先輩。遅いですよ?」
◯
木田を追っかけていたオレ、そのオレを追っかけてきた安見と姉木。
その全員が教室の外に出た瞬間、目にしたのが伊佐奈だった。
ドタドタっと一つのドアから四人が一斉に放出されたのを見てもピクリともせずに全ての視線を受け止めるうつろな少女。
「遅いですよ?」と言われてもお前が勝手に待っていただけだ。
約束などした覚えはない!
にもかかわらず伊佐奈はオレをジロっと見つめている。
時折り目線が外れるがその視線はオレの後ろに居る人物を確認しているようだった。
「へー。」
一つつぶやいてアゴを上げたまま視線をオレへと戻す。
何を確認したのかはオレの知るところではない。
オレを見ているのは伊佐奈だけではない。
木田、安見、姉木がギロっと睨んでいる。
今、目が合っているのは伊佐奈だけだ。
他の三人がオレを睨んでいるかどうかは確認なんてしようはないが、確かに三つの視線がオレを突き刺している。
どんな表情をしてるかさえも見えてくるほどだ。
「伊佐奈と仲良いんだな」
「今日ロードプルに来ないのはそういう事でしたか」
「へー。づもり先輩は年下がいいんだぁ」
誰が言っている言葉なのかオレにはハッキリと分かる。
色々勘違いされているみたいだが、ここで一人ずつ弁明していくと多分良くないことが起きる。
結局じゃあ伊佐奈がなぜオレを待っていたかという話になり、今から向かう場所と理由を詰められたらアウト。
木田に止められてしまう。
迂闊には動けない。
放課後が開幕してからずっとオレは画面端にいる。
教室を飛び出て全員が「あっ」となって伊佐奈を見た構えからオレは一歩も動けていない。
固まったままだ。
そんなオレを見て伊佐奈はふふっと口を開けずに笑った。
伊佐奈は察していたのだ。
自分が爆弾であることを。
伊佐奈のこの笑顔は凶器。拳銃のようにオレのこめかみにそっと当てられている。
「私を連れて行かないとバラしますよ?」という完全なる脅し。
こいつはいつ引き金を引いてもおかしくない。
とんだテロリストだ。
分かった。呑もう。
オレは誰にもバレないようにほんの小さく伊佐奈にうなずいた。
こんな小さな「YES」を察することができるのは脅している張本人だけだ。
伊佐奈は何も言わずに窓に預けていた背中を自分に戻して廊下を歩き始める。
見えないリードがオレの首に回っている。
オレは散歩中の犬のようにトテトテ伊佐奈の後をついて行った。
残された三人のことなど知ったこっちゃない。
◯
知らない駅の改札を出ると新鮮な気持ちになる。
横っ広い階段が解放的で目の前に広がる知らない街がオレの視界を伸ばして広げる。
高揚の中に混じっている不安が隠し味になっていて、
ちゃんと知らない土地の空気の味がする。
世の中にはまだオレが降り立ってない駅で溢れている。
そこに住んでいる人、遊びに来た人。
理由が無ければその駅に降りることはない。
オレは今日、木田のじいちゃんに会いにこの駅に降りた。
木田に出会わなければこの駅とも出会ってないわけだ。
そしてこのテロリストととも。
こいつは一体どんな理由があってここに来たのだろうか。
伊佐奈は改札を抜けた後、新世界の空気を味わうことなくスマホを片手に立ち止まりキョロキョロしている。
地図を確認しながら『やまと病院』を探してくれている。
お取り込み中のとこに無理矢理質問を差し込んでみた。
「何でお前一緒に来たかったの?」
矢継ぎ早な質問に伊佐奈はほけーっと口を開けて一瞬をオレを見た後スマホに集中し直す。
「づもり先輩のことが好きなんです。」
平気な顔をしてなに言っとんだこいつは。
矢継ぎ早な質問に矢継ぎ早な答えが返ってきて言葉の内容に心が動くことはなかった。
「木田先輩、好きですよ」と食堂で言った時の方がまだ気持ちが乗っかっていた。
だからこそ魚の骨が喉に引っかかるような気持ちにさせられたんだ。
この女はまあ何となくだが、同性には好かれないタイプなんだろうな。
こういうことを平気で言えちゃうと。
教室でも一人だった。
輪の中に入れず一人。
ただそれはなにか意地を張って一人で居続けているというふうにもオレには見えた。
本当のところ、こいつが何を考えているのかは測りかねている。
「とりあえずここを真っ直ぐみたいです。」
今度はしっかりオレの目を見て言ってくる。
一歩体を近づけてオレを見上げながら。
「早く連れて行ってください」と言わんばかりだ。
オレは疑うことなく伊佐奈が指を差した方向に進んだ。
伊佐奈はなぜかその場にとどまって少し前を行くオレにこう言った。
「本当ですよ?」
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