体が水路の底についた。吹き飛ばされた衝撃でまだ痛みが残っているが、頭は冴えている。
そして苦しくない。呼吸をせずとも水中にいられる。何故だろうか、と首を傾げると、傍に海神の剣が落ちていた。
柄に嵌め込まれたサファイアがキラキラと輝いている。
──まさか、海神の剣のおかげで水中で呼吸ができているのか。
試しに舌を出してみた。とてもしょっぱい。つまり、これは海水だ。
剣が効果を発揮するのも頷ける。
「……どうしたもんか」
水底であぐらをかいて溜息をつくと、ぶくぶくと泡が上っていった。
この剣が海水を纏って攻撃できるのなら、勝機はあるかもしれない。俺自身の攻撃ではマオーレムに掠り傷しかつけられない。
しかし、水を纏わせることができるのならば『海神』の名に恥じない威力を見せてくれるだろう。
覚悟を決めて底を蹴る。リヴァイアサンに祈りながら円形の舞台に舞い戻った。
全身が濡れているかと思いきや、どこも濡れていない。湿ってもいない。これも海神の効果なのだろうか。
「ユウ……スケ……」
マオーレムがルナを押さえつけている。さしものルナでも腕力勝負には分が悪いようだ。
「待ってろ! 今助ける!」
サファイアが一際強く煌めいた。水路の水が浮かび上がり、剣を取り巻く。
ニヤリと笑い、マオーレム目掛けて駆け出す。依然として相手は俺の事を脅威と思っていないようで無視を決め込んでいる。
それが幸いして渾身の一撃を叩き込むことができた。
柄を両手で握り締め、大上段に振りかぶる。気合いのこもった咆哮を放ちつつ、右斜めに振り下ろした。
やはり俺の攻撃はさしたるダメージにはならなかった。もちろんマオーレムも気にせず、ルナを殺そうと奮闘している。
そして我が一撃から一拍遅れて、海水による斬撃が現れた。
日本の通販でもよくある高圧洗浄機よりも強い水流がマオーレムの表面を削り取る。
それだけにとどまらず、敵の胴体を真っ二つにした。ルナを掴んでいた腕の力が弱まり、脱出に成功する。下半身も膝をついて倒れ伏す。
「よっしゃ!」
喜ぶのも束の間、ルナの叱責が飛んでくる。
「早く核を探すんです!」
爪を用いてザクザクとマオーレムの体内をほじくる。俺も剣を使って件の核を探し回る。
そもそも核とやらはどんな形をしているのだろうか。球体か、正方形か、円錐か、はたまた人形か。
「お、これか?」
土の中から土偶のような物を引っ張り出した。
「それです! 早く破壊してください!」
よーし、と地面に叩きつけようと右腕を上げる。しかし、核は破壊されるのを嫌がるかのように、投げようとする方向と逆の向きに力を加えてきた。
核の力は衰えることなく、そのまま 俺を仰向けに倒した。脱出に成功した核は急いで肉体を再構築しようとしている。
そうはさせまいと、ルナが吹雪を吐き出した。東南極高原の凍てつく空気よりも冷たいブレスが核を包む。
東南極高原とは、世界一寒い場所でマイナス百度を記録したことがあるそうだ。ふと気になって調べたのだが、こんなところで思い出すとは。
これにてマオーレム撃破──と思いきや、マオーレムの再生は止まっていなかった。凍りついた核を取り込んだマオーレム。
ゆっくりと立ち上がり、不気味に赤く光る単眼で俺らを睨む。そして、部屋が揺れるほどの大音量で叫んだ。
直後、マオーレムの体中から冷気が噴き出した。彼我の距離は三メートル程あるというのに、鼻や耳が痛くなる。
冷気が晴れると、土でできていた屈強な肉体は真っ白に凍りついていた。
腕に至っては鋭い槍のように尖っている。
マオーレムをあんな姿にした張本人は苦笑している。まさか、と言いたげな表情である
。
「氷に変化したなら火が効くんじゃないのか!?」
言い終わるや否や、ルナが特大の火炎を放射した。砂漠の熱風を軽く越す熱量でマオーレム改め、アイス・マオーレムを溶かしにかかる。
「わお……」
アイス・マオーレムも核から吹雪を繰り出す。火と氷が激突した。
初めは優勢だったルナだが、次第に押ていく。彼女の頑張りを無駄にすまいと、水をたっぷり含んだ剣を振った。
透明な海水が敵の脇腹を抉る。氷でコーティングされているからか、防御力が上がっているようだ。
これでは終わらず、二撃、三撃と刻んでいく。氷が剥がれ本体の土に届いた。
ここでルナとのブレス対決が終了してターゲットを俺に変更。鋭く尖った氷の腕を横っ飛びに回避して水路に飛び込む。
海しっかりと吸収して飛び出した。マオーレム、頭がよろしくないのか咄嗟の出現に対応できずに固まった。
「はああああッ!!」
ゴーレムには存在しない心臓を貫く。斬るよりも通りがいいため、最初からこうすれば良かったと歯噛みする。
「弾けろッ!」
俺の掛け声と共に内蔵していた水が一斉に放出された。
体中に圧力をかけて必死に耐えていたマオーレムだが、強靭な体に一筋のヒビが入った。
そこから細かい線が刻み込まれて、マオーレムが爆散した。心の中でガッツポーズをとり、膝をついて核を探す。
しかし、体内まで凍っていてどこに核があるのかわからない。一つ一つ砕いていては時間がない。
「ルナ! 火だ!」
指示通りに放つのと同時に水路に逃げる。超高温のブレスが頭上を付近を焦がすのが水中から見える。
ゴーグル無しに、視界がクリアなのは海神の効果だなと感服する。
放射が終わったのを確認してから、顔を出す。縁に掴まってマオーレムだった物に目を向ける。
「……終わったのか?」
「わかりません、警戒はした方がいいかと」
注意深く、乾いた砂の中から核を探す。足で砂を払いながら捜索していると、残骸の山が動いた。
「そこか!」
ど真ん中に剣を突き立てるのと同時に、氷の槍が俺の腹部に突き刺さった。
核自体にまだ氷結効果は残っていたようで、最後の力を振り絞って攻撃してきたようだ。
「ユウスケ!」
「ル……ナ……」
力を使いきったようでささやかな破砕音と共に、核は消滅した。
ボタボタと鮮血を床に溢す。両手で腹を押さえても一向に収まらない。
「ルナ……す……いろに……」
喘ぎ喘ぎ、言葉を紡ぐ。あたふたと戸惑うルナの姿を見るのはこれが初めてだ。
「は、やく……」
そっと、抱えられてゆっくりと水路に下ろされる。大量の血液が失われてしまった。
水路の底に背中がつくと、腹部の傷が癒えだした。しばらく目を閉じていると痛みが落ち着いた。
起き上がってシャツを捲ると、完全に傷が塞がっていた。ほっ、と一息ついて水面を目指す。
憂慮の表情で底を見つめているルナの近くに顔を出す。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、ただ血は戻らないみたいだけど……」
水から上がって立つと、くらりときた。視界が狭まり、だんだんと闇に落ちていく。
たたらを踏み、倒れまいと踏ん張るがここには掴まれる壁など存在しない。
「しっかりしてください」
ルナの背中にぐったりと寝転ぶ。走馬灯のようなものが見え──現実へ帰ってくる。
「あれは……」
「んー?」
俺を乗せたままどこかへ歩いていく。のそりと顔を上げて前に目を向けた。
眼前にはキラキラと光を放つ水晶玉が闘技場の中央に忽然と出現していた。ルナの背から滑り降りて光玉に近づく。
「手紙……」
震える手で手紙を開くと三度、青年が出てきた。爽やかな笑顔を浮かべている。
「おつかれ! これを見ているって事はマオーレムを倒したんだね。おめでとう、これで光玉は君のものだ。正しい事に使ってくれる事を願うよ。で、君が死んだら光玉ほまたここに戻ってくるから返却の心配はいらないよ。じゃーねー!」
青年が消えると、辺りが少し暗くなった。トントン拍子で見つかった光玉。触れるとほんのりと温かく、甘い香りがする。
「帰ろう、ルナ」
「早く帰って休まなきゃいけませんものね」
しっかりとルナの背に乗って空に浮かぶ島から脱出する。俺の右手には落とさないように、しっかりと光玉が握られている。
「ちくしょう……目の前が霞むぜ」
ひんやりとしたルナの背中に揺られて溜息をつく。真っ暗になった空には輝く星がいくつも見える──らしい。
ルナがそういうのだからそうなのだろう。
俺は血を失いすぎて周りがよく見えない。いつか彼女の背中から滑り落ちてしまいそうだ。
「少し眠ったらどうです?」
「うん……そうさせてもらうよ……」
ルナに光玉を預けて俯せに寝転がる。顔を横に向けると、大きな月がぼんやりと見えた。
「ルナはさ、その玉持ってても大丈夫なのか?」
「どういうことですか?」
「だってさ、魔王の力を消すんだから魔物にも効果あるのかなーって」
「特になんともありませんよ。私だけかもしれませんが」
「そっか……」
一つ息を吐いて目を閉じた。ゆりかごのような心地好い振動が俺の意識を削っていく。
次に気がついた時には朝日が昇っていた。
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