拠点で暮らし始めてから七日が経過した。フィレッジ村の依頼以降、大きな事件は無かった。
ゴブリン退治やインプ退治。一人でもこなせるレベルの依頼ばかりだった。だが、ルナは慢心してはいけないと、常に言っていた。
確かに慢心は良くないと俺も思う。思うのだが、もう少し難しい依頼が欲しかった。
今日も一仕事終えて拠点に帰って来た。コーディアとアンナが家の前に立っている。
「それじゃ、行ってくるわね」
「ああ、行儀よくしろよ」
今夜はコーディアがアンナの家に泊まりに行くのだ。翌日の夜頃に帰ってくるそうだ。
「コーディアを借りていくぞ」
「どうぞ、好きにしちゃってください」
コーディアを前に抱えたアンナが光の翼で飛んでいった。町の方へ向かったのは見えたが、木が邪魔になってそれ以降は確認できなかった。
「ふぃー……」
溜息をついて椅子に座る。ぐったりと机に突っ伏す。
「風呂の準備するか……」
海神の剣だけを持って外に出る。ルナは自分の部屋でゴロゴロしているようだ。彼女は風呂に入らずとも汚くならないと言っていた。
鱗には抗菌作用があるらしい。羨ましいもんだ。
近くの川に行って剣を川底に突き刺す。
「さあ、着いてこい」
剣を引き抜き、拠点に向かって歩きだす。肩に担いでいる剣先には川の水がふよふよと着いてきている。
この技は三日目に気づいたもので、毎度バケツで運ぶのは面倒だし疲れるので、試しにやってみたが上手くいった。
今では楽に風呂を沸かすことができる。釜に水を入れて、外の竈に薪を入れて使い捨て火の人工魔石を放り込むだけ。
本日もその手順に則って風呂を沸かそうと思っていたのだ。
だが──。
「いって!」
突然、全身に電気が走った。剣を取り落とすと、後ろに着いてきていた水も重力に従って落ちてしまった。
「な、なんなんだ……?」
痺れた右腕を擦りながらもう一度川まで戻る。
「んん……?」
川辺から声が聞こえる。少年と、女性の声だ。親子だろうか。
木の陰に隠れてこっそりと覗いてみる。
「ライジュが触った途端に消えちまったな」
「何でだろうね」
小学生ぐらいの少年と、俺と同等の背丈の犬系獣人がいた。怪しい奴らだ、とゆっくりその場から後退する。
サクサクとなるべく音をたてないように歩いているのだが、獣人は総じて耳がいい気がする。
「え? あっちに誰かいるって?」
「うん、ボク達から逃げてる感じ」
「ふーん……よし、ライジュ捕まえろ!」
「任せてッ!」
──ほらな、やっぱり獣人は耳がいい。こんなにも慎重に逃げていたのにバレるなんて!
ガッサガッサと物凄い速度で迫ってくる。人間が獣人に勝てるわけがなかったのだ。
「せえええええいッ!」
掛け声とは裏腹に強烈な飛び蹴りが繰り出された。背中へ直撃し、そのままスケートボードのように獣人を乗せて腹滑りをする。
「ユーリィ! 捕まえたよー!」
襟首を掴まれて連行される。抵抗する気も起きずに少年のもとへ運ばれる。
「手荒なことしてごめんな」
驚くほどに調った顔の少年が頭を下げた。絹のように滑らかな栗毛色の髪と、吸い込まれるような黒目が特徴的だ。
「誰なんだよ」
少年に対して少々きつい言い方になってしまった。しかし、少年は怯みもせずに、その場に座った。
「俺はユーリィ・グレイス。近くに住んでる貴族の末っ子さ。こっちがライジュ。ふかふかの毛が自慢の獣人。たぶん犬種はゴールデンレトリバー。今度はそっちが名乗る番だぜ」
「坂下ユウスケ。あっちの方に住んでる」
名前を言った瞬間、ユーリィの目が見開かれた。驚き、困惑しているようだ。
「お前……もしかして日本人か?」
「そう……だけど」
「おおお! アルデミアの王に喚ばれた日本人だな!」
俺の手を握ってぶんぶん振ってくる。ライジュに蹴り飛ばされたのと相まってとても痛い。
「お、俺、俺さ! 転生者なんだ!」
──転生……?
転生とは、生まれ変わる、という意味だ。俗に言う異世界転生というやつか。
確かに信じられる話ではある。現に俺が異世界転移しているのだから。
「うん、それで?」
「え、それだけ。いやー、日本人に会えるとはなぁ。どう? 何か日本で変わった事あった?」
「いや、特に。あー、強いて言うなら自殺する高校生が増えたぐらいかな」
「ふーん……」
「もしかして、ユーリィも自殺しちゃった系?」
「まっさか。高校卒業間近にして、死ぬと思うか? 大学進学も決まってたのに。悪いのは全部車だ!」
いまだに俺の手を握っているユーリィの手に力がこもる。せいぜい十二歳程度の本気などさほど痛くはない。
「道路を歩いてた猫がいてさ、そいつが車に引かれそうになったんだよ」
「それで?」
「猫死んだな、と思ったわけよ。したら運転手が急にハンドル切って俺の方に突っ込んで来たんだよ。で、車に弾き飛ばされて頭打って即死だぜ! 神に文句言ったら仕方なしに転生させてくれた」
だいぶ強引な奴だな、と苦笑しながら話を聞く。
「気の毒だね、としか言えないけど……何しに来たんだ?」
「この辺りに変な建物ができたって兄貴に聞いてな。調査しに来たんだ」
「もう夕方だぞ?」
「そっちの方が雰囲気出るだろ? それにライジュは幽霊とか苦手だし」
「わざわざ可哀想なことすんなよ」
「チャンピオンなのに幽霊が怖いってどうするよ」
「チャンピオン? 何の?」
こんな可愛いふかふかガールがチャンピオンと。
「獣人のみが参加できるビーストチャンピオンシップの覇者だぞ。並みいる強敵を薙ぎ倒して見事優勝したんだ。な、ライジュ」
「そうそう、ボクは強いんだ!」
「……男? 女?」
「ライジュは女だ。けど、男として教育されてきたようだから、一人称がボクなんだ」
聞けば聞くほど奇妙なコンビだ。転生少年にボクッ娘獣人。
「さあ、ユウスケの家に連れていってくれ」
「えー……もう夕方だぞ? 親が心配するんじゃないか?」
「大丈夫、両親は西の方にある国に旅行に行ってる。家には兄貴と姉貴と使用人しかいないから」
「そうなんだ。俺は構わないけど……」
剣を川に突き刺してもう一度水を誘導する。しかし、再び強い電流が腕を襲った。
「何なんだよ……まじで……」
後ろに何かあるのかと思って振り向くと、ライジュがおどおどしていた。右手が濡れて雫が滴っている。
「お前か? 電気を流したのは?」
「ごめんね……つい気になって……」
全く、と溜息をついて三度目の軌跡を描く。拠点につく頃にはすっかり日が暮れていた。
家の前ではルナが忙しなく尻尾を動かしていた。俺に気がつくと、矢のような速さで駆け寄ってくる。
「ユウスケ! 遅いじゃないですか!」
「すまん、この二人に会って……」
紹介しようと振り返る。しかし、銀竜に驚いたのか、彼らは木の陰に身を隠していた。
「安心しろよ、ルナは襲ったりしないから」
「ほ、ホントか?」
「マジマジ。大丈夫だよな、ルナ」
「ええ、貴方達が何もしないのであれば、私も手出しはしません」
ちょっと脅しの効いた声だ。
「お、俺はユーリィ。こっちはライジュ。ここに変な建物ができたらしいから見に来たんだ。それだけ。できれば泊まらせてほしい」
「何言ってんのユーリィ! シルバードラゴンだよ! 食べられちゃうよ!」
「落ち着けライジュ。こんな間近でシルバードラゴンを見られるんだ。ここで見ておかないと一生後悔するぜ」
興奮した口調でユーリィが言った。身構えながらルナに近づき、鱗に触れようとしている。
「明日も来れば会えるぞ」
「いや、そうだけどさぁ……シルバードラゴンと寝てみたい!」
「……だって、ルナ。子守りは得意だろ?」
「なっ! 私は魔王空軍の──」
「この前軍とは関係無いって言ってたろ?」
「ぐ……」
言葉に詰まるルナ。
「良いんじゃないの? これから風呂を沸かすし。入ってけよ」
「よっしゃ! サンキューユウスケ!」
異世界に来て初めて、サンキューなんて聞いた。懐かしさで目頭が熱くなったが、バレないように微笑み返した。
「それじゃ、一旦家に帰って準備してくるぜー!」
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