真っ暗闇の中を、俺はさ迷っていた。上下左右前後、どこに目を向けても闇しかない。
手を伸ばしてみても、空を掴むだけだ。そもそもこんな真っ暗なのに自分の体が見えるというのはどこかおかしい。
空中であぐらをかいて顎を撫でる。妙な空間にいるまでに起きた出来事を少し思い返してみる事にした。
「まずは……ルナと光玉を取りに行って……」
脳天に電流が走り、その時の光景が浮かび上がる。
「で、がっつり血を失くして……くらくらしながら帰って来て……」
ルナの背中の上で眠った事を思い出す。彼女はあまり振動を起こさないように気を配って飛んでくれた。
なんて優しいのだろうか。
「したら、横田が家にいて、光玉を取られて……コーディアの首を切られて……ユーリィに治させて……ぶっ倒れて……」
一際強い電撃が全身を貫いた。今までに起きた出来事を鮮明に思い出した。
その直後、世界から闇が取り払われていき、真っ白な世界へと変化する。
両足が白い床につく。カツコツと石でできているかのような音がする。
「それで……ここはどこなんだ?」
辺りを散策しても平らな地面が続いているだけで何もない。不安感を抱きながらもそこら中を走り回っていると、誰かがこちらに向かって走ってきていた。
「おーい!」
手を振ってみると、相手も振り返してくれる。だんだんと距離が縮まってくると、動悸がしてきた。
なぜ、と思いながらも足を動かす。相手の顔が見えたとき、なぜこんなにも嫌な汗が出るのかがわかった。
──俺だ。
「よう、俺」
「……あ……」
鏡写しの自分を見ているようだ。所々跳ねた黒髪、眠そうな瞳、少し低い声。
「何驚いてんだ?」
「誰だよ……お前なんか知らないぞ……」
「ま……無理もない、か。俺はお前を肯定するために生まれたもう一人のお前だよ。坂下ユウスケが魔物を殺すことに抵抗を抱かないように、俺が心の内側から肯定していたのさ」
「嘘だ……そんなの聞いたことないぞ!」
だらだらと汗が流れる俺に対し、冷静沈着な俺。
「そりゃそうだ。お前の心の奥底にいるんだからな。気づかなくて当然さ。んで、お前はこれから人間を殺すことになる。それはわかるな?」
「横田か……」
「その通り。今までは自分と別の生き物だったから抵抗も少なかった。相手に殺されかけたってのもあるがな。でも、今度は顔見知りの人間だ。だから俺が意識の表層に出てきた」
やたらと説明の長いもう一人の俺。俺はさほど頭がよくないはずだが、何故難しい話がポンポン出てくるのだろうか。
「ま、本体に言ってもわかんないか。ここから帰っても覚えていないだろうが、一応言っておく。横田と戦う時、躊躇いは捨てろ。さもなきゃお前が死ぬ。とどめ辺りまで来たら一度呼吸を調えて俺に任せろ。罪の意識は消してやる。コーディアの事もあるから簡単だろ?」
屈託の無い笑顔。これが、今から人を殺す俺という人間なのか。あり得ないと思いたいが、ここは異世界。
何でもアリの不思議な場所だ。
「わかった……お前に任せる。最後に一ついいか? 何で、お前が俺と話してるんだ?」
「ああ、お前は今、三日程眠ってたんだ。そろそろ何か食わないとヤバいって事で俺が無理矢理起こしに来たのさ。あと魔王討伐期限が迫ってるぞ」
「あ……忘れた……」
「それじゃ……みんなが待ってるぜ」
もう一人の俺が指を鳴らすと、足下に亀裂が入った。ガラスが砕けた時のような音がして、俺は虚空を落ちていった。
そして、突然世界が弾けた。
「んー……」
うっすらと目を開けると、木でできた天井が目に入った。窓からは優しい光が射し込んでいる。
何か夢を見ていた気がするが、よく思い出せない。白い空間を走り回って誰かに出会った気がするのだが。
「朝……?」
重い体を起こそうと踏ん張ると、関節がミシミシと嫌な音をたてる。それでも我慢して猫背状態まで持っていく。
「コーディア……」
伸びきった膝の上にはコーディアが丸くなって眠っていた。頭に触れるてみると、ぴくっと瞼が動いた。
「ユウスケ?」
「おはよう……であってるよな?」
じーっと、俺の顔を見つめるコーディア。こちらも見つめ返すと、彼女の顔が歪んだ。
卵形の目に、いっぱいの涙を浮かべている。そして勢いよく俺に抱きついてきた。弱った肉体では支えきれずにベッドに押し倒される。
「良かったよぉ……良かったよぉ……」
小さな体を震わせて泣いている。大粒の涙が枕を濡らす。
「そんなに泣くなよ」
「だ、だって! み、三日も、寝て、たんたんだもん!」
嗚咽が混じりながらも俺の眠っていた三日間の事を話してくれた。
まず、ギルダがユーリィを叱ったそうだ。血液譲渡の限度を考えろ、との事だそうだ。
それとレイルとリュミエルの傷が完治したようだ。早く魔界に行きたいと思っているようで、船の手配も済ませてあるようだ。
「ね、お腹空いたでしょ?」
涙を拭いたコーディアが笑顔で尋ねてきた。頷いて応じると、彼女はウサギの跳躍力を活かして階下に飛び降りていった。
「待っててねー」
「おーう」
返事をして、ベッドに倒れる。大きく息を吐いて、目を閉じる。
眠い訳ではないのだが、瞼が勝手に降りてきたのだ。
「…………」
暗闇の中に、コーディアの首を切った横田の顔が浮かんだ。あの時のあいつの顔は、殺人を何とも思わないイカれた犯罪者の目をしていた。
優等生ゆえに、心がネジ曲がってしまったのか。それとも、元々、あのイカれ具合を秘めていたのか。
今となってはわからない。俺が、あいつを倒せるのかもわからない。
「なんか……疲れちまったよ……」
寝返りをうってポツリと呟く。どうして俺がこんな事に巻き込まれなければならないのか。
ただただ平凡な毎日を送っていたのに、いつの間にか世界の命運を賭けた戦いに参加している。
いや、元々は俺が蒔いた種だ。ネロに提案したのは俺。
そもそも、ルナに助けられた時からこうなる事が決まっていたのかもしれない。
運命なんてものは信じたくはないが、ただの高校生がやるような事ではない。
「ユウスケ、スープ持ってきたよ」
大きな皿に、コーンポタージュをいれて持ってきてくれた。軽く礼を述べてスプーンを手に取る。
食べている間は何も考えなくて済む。コーディアの問いに上の空で返しながらスープを飲み干す。
「おいしかった?」
ベッドに頬杖をついたコーディアがそわそわと尋ねてくる。どことなく、恥ずかしそうだ。
「ああ、超美味かったぜ」
「よかったぁ……不味いって言われたらどうしようかと思ったよ」
ほっと、胸を撫で下ろすコーディア。この子の笑顔を守るためにも、横田を殺す。
「行こうか……全部、終わらせるんだ」
軋む骨と固まった筋肉に鞭を打ってベッドから降りる。半袖の上からパーカーを羽織り、短パンの上から膝下まであるズボンを履く。
腰に海神の剣を携え、準備完了。後はルナが元気にしているかどうか。
「ユウスケ、行くの?」
「ああ、コーディアは待っててくれよ」
「嫌よ! 私も行く!」
「危ないだろ?」
諭すような口調で語りかけるが、長い耳を折り畳んで聞こうとしない。
「そう言って自分だけ怪我して! 死んじゃったらどうするのよ!」
「そん時は……そん時さ。レイルとかリュミエル、みんながなんとかしてくれるよ」
「そうじゃないでしょ! 私や……ルナ、アンナの気持ちを考えた事あるの!?」
「あんまり……無い」
「ユウスケが死んだら、みんなが悲しむのよ? できる限りの援護はするから……連れていってよ……」
「コーディア……」
俺が眠っている事で、起きないのではという不安を抱えたコーディアは、情緒不安定になってしまったのか。
それとも、口にはしないが、一人にされて誰かに殺されそうになるからだろうか。
「わかった……あんまり危ないことはするなよ?」
泣きじゃくるコーディアを抱き上げて階段を降りる。ルナの部屋へと続くドアを開け、彼女に挨拶をした。
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