日が暮れ始めた頃、俺は無性に風呂に入りたくなった。とにかく血を落としたいのだ。
「ルナよ、俺は風呂に入りたい」
「風呂……ですか」
「そう、風呂だ。はっきり言って血まみれでいるのも限界がきた」
「町で銭湯に行ってくればいいでしょう」
「それはルナに申し訳ない」
「では川に飛び込めばいいのでは?」
「川、ね。どこにあるの?」
「この奥にありましたよ」
「よし、行ってみようか」
ルナの背中にのせてもらって移動開始。のしのしと木々を避けて目的の川を目指して進む。途中、動物が何匹か現れたがルナを一目見て一目散に逃げていった。
「こうしてるとなんか、強くなった気がするぞ」
「虎の威を借る狐ですね」
ルナが嘲るように鼻を鳴らした。しかしそんなことより。
「何で虎の威を借るって知ってるんだ?」
「結構昔からある言葉ですよ。何でも、過去にこの世界に来た救世主が残していった言葉だとか」
「何度も地球人が喚ばれてるのか?」
「その時の情勢によりますね。過激派な魔王もいれば友好的な魔王もいます。今回の魔王は気象が荒く、魔物の世界を創ろうとしているから貴方が喚ばれたのです」
「何で高校生が呼ばれるんだか。もっとニートとかいるだろうに……」
「一説によるとユウスケぐらいの年齢が一番成長しやすいそうです。新しいアビリティの発現もありますし。打倒魔王を目指すなら伸び代がある方が良いのです」
「ふぅん……」
「まあ、今はほとんど関係ありませんけどね。私達の当面の目標は拠点を立てることですから」
「そうだな。でもルナが入れるくらいの家を建てるとなると費用はいくらになるんだかな」
「最低でも五十万テンはかかるでしょうね」
川の前に着くと、ルナが足を止めた。
「さあ、着きましたよ」
「よっしゃ!」
背中から滑り降りて学ランを脱ぎ捨てる。続いてワイシャツのボタンを外し始める。
全部取って放り投げようとしたところで、ふと手を止める。
「どうしました?」
「み、見られてるのは恥ずかしいかも……」
「私が雌とは言えど竜ですよ?」
「それでも異性じゃないか。同性ならまだしも」
「はぁ……後ろを向いていますから。早くしてください」
ルナが後ろを向いたのを確認したら衣服を全て着脱。カバンを川岸に置いて飛び込む。
川の深さは俺の腰ぐらいでちょうどいい。温度も温すぎず冷たすぎず。
血のついた足を念入りに擦る。微量ながらも水面が赤く染まり、依頼の時のことを思い出した。
「ゴブリンを瞬殺だったもんな……ルナが味方で良かったぜ……」
石鹸なんて無いから頭は水でざばざば洗う。あまり水の中に長居すると何かに襲われる可能性がある気がする。
カバンから素早くタオルを取り出してパッと水気を拭き取る。パンツを身につけTシャツを着て半ズボンを掃く。
これが日本での、俺の曲がることのない風呂上がりスタイルだった。真冬でも絶対にこの格好である。
「終わりましたか?」
「うん、終わったよ」
「まだ髪が濡れてるじゃないですか。ちょっと来なさい」
ルナの前に座らされる。彼女が少し口を開けた。火でも吹いて髪を乾かすとでもいうのだろうか。
「何するの?」
尋ねても返事は無い。ほんのりとガスコンロが焦げたような香りが彼女の口から漂ってくる。喉の奥には煌々と燃える火炎が見えた。
「それを俺の頭に吐き出すつもり?」
再度尋ねるが返事はない。冷ややかな双眸で俺を見詰める。そして、遂にその口から炎が放たれ──なかった。
「…………?」
暖かい風が頭に当たっている。ルナが鋭い鍵爪のついた右手で頭部を撫でている。
「これ、ドライヤーの代わりか!」
数秒たってようやく理解した。誰かに髪を乾かしてもらうなんて久し振りの事だ。小さい頃はよく母さんにやってもらったもんだ。
「母親みたいだな……」
「何ですか?」
一通り乾かし終わったルナが首を傾げる。
「いや、ただの独り言さ」
答えた瞬間、くしゃみがでた。夏前とはいえ、外だと冷えたようだ。
カバンから薄手のパーカーを取り出す。羽織るだけでも少し暖かくなった。
「さてと、晩飯の準備をしようか。木を集めてくるから火を着けてくれよ!」
ゴブリンから奪った蛮刀を片手に森の奥へ進む。手頃な木を数十本切って両手に抱える。ルナの所に戻るまでに何本か落としたが気にしない気にしない。
「ふー、重かったぜ」
「焚き火の作り方を知ってますか?」
「え? 適当に燃やすんじゃないの?」
「違いますよ、太い木があればいいのですが……」
ぶつくさ文句を言いながらも巨体には似合わない器用さで薪を組み上げる。
「これで、完成です」
最後にふっと一息吹いて完成。オレンジ色の炎が辺りを優しく照らす。
「火と氷を吹けるドラゴンってのも珍しいよな。シルバードラゴンだけなんだろ?」
「よく知ってますね」
「あれ、確かにそうだ。俺はこの世界に来るのは初めてなのに」
「ふむ、じゃあスライムについて解説してくれませんか?」
「スライムは最弱の魔物だが、物理攻撃ならばいくらでも分裂する。倒すには魔法で倒さなければならない。近縁種にシェイプシフターがいる」
「ユウスケのアビリティはモンスターマスターですよね?」
「そうだけど?」
「もしかすると、全ての魔物の情報が頭の中に入っているのではありませんか?」
「言われてみればそうかもしれないな……スライムだって見たことないのにスラスラ言えたし」
「なら、私の事を他に言えますか?」
挑戦的な眼差しを向けてくる。これに答えようと顎を撫でて考える。
「ルナは魔王軍の中で、魔王に匹敵する強さを持っている。故に次期魔王と呼ばれる事もしばしば。戦闘能力に関しては類を見ないほどに冷酷で狙った獲物は逃がさない。が、意外と母性に溢れている」
「……本気ですか? 私に……母性があると?」
「さあね、ただ頭の中に浮かんだ事を口にしただけだから。あながち間違ってはないと思うよ? だって頭乾かしてくれたし」
乾いた髪を指に巻き付けて見せる。動かぬ証拠を見せつけられたルナは
口ごもった。
「そ、それは、ユウスケが風邪を引くといけないと思って」
「ほら、母性があるね」
ようやっとの反論だが、ルナは自分の言った事を思い出して溜息をついた。
「認めましょう。私に母性があることを」
「そんなルナにはちょっと高級な肉を買って参りました」
カバンから塊肉を取り出してルナに見せる。
「ありがたいのですが、実はもう夕飯は食べました」
「早くない? まだ夕方だぜ?」
「私は早めに食べて早めに寝ますから」
「え、何を食ったのさ?」
「買い物に行ってるユウスケを待つ間に鹿を狩って生でいただきました」
「ほほう、ってことは晩飯は俺一人か」
もう一度カバンに手を突っ込んでバターロールモドキを引っ張り出す。それをまだ焚き火にくべていない棒に突き刺す。
そして焚き火にかざしてしばらく焼く。焦げ目がついてきたところで火から離して手に持ち変える。
「あっつ!」
かなり高温だったようで手のひらを火傷しかけた。ぽろりと落ちたパンは川に落ちる手前でギリギリ止まった。
「セーフセーフ。ちょうど冷めたし良かったー」
「落ちたものを食べるのなんて止めなさい。お腹を壊しますよ」
「まじで母親みたいだな」
言いながらモシャモシャとパンにかぶりつく。中心のバターがうまい具合に溶けて全体に塩味が行き渡っている。
「ルナも食べる?」
「私は遠慮しておきます」
「そうだ、この肉さ、冷凍してくれないかな」
「構いませんよ?」
ひゅー、と冬を思わせる凍てつく風がルナの口から放たれた。周囲の草が凍結し、肉には霜が降り始めた。
「できました」
カチカチに凍った肉をタオルにくるんでカバンに入れる。
「さて、やることが無くなったな」
歯ブラシが無いから仕方なく、うがいですませたが少々気持ちが悪い。
「いきなり召喚されて今日は大変でしたね。明日に備えてもう寝ましょうか」
「ああ、そうするよ……」
ルナが頭と尻尾で輪を作って丸まった。その中心に潜り込んで尻尾の先を枕の代わりにする。
「おやすみ、ルナ」
「おやすみなさい」
目を閉じると、一気にと疲れが襲いかかってきた。小さく欠伸をすると、すぐさま意識が闇の中へ吸い込まれていった。
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