「ルナ、おはよう」
大きなベッドの上で丸くなっているルナの隣に腰を下ろす。
「ようやく起きましたか……」
「どうも、ご迷惑をおかけしました」
「ユーリィ達は準備万端だそうですよ。あとは、貴方だけです」
のそりと起き上がったルナは、ぐいっと体を伸ばす。銀の鱗が天窓から差し込む陽光を受けて煌めいている。
「ああ、行こうか」
「コーディアも来るのですか?」
「どうしても、って言うからね」
「わかりました。行きましょうか」
外に出て翼を広げる。コーディアを先に乗せて、そのあとに俺が跨がる。
ルナが地面を蹴り、空へとはばたく。
「……どこに行くんだ?」
「フィレッジ村の海岸ですよ。あそこからが魔界に一番近いんです」
横田はどこから魔界へ向かったのだろうか。いや、わざわざ敵の本拠地へ船を出してくれる人はいないだろう。自分で船を買ったのだろうか。
仮に、フィレッジ村から出発したとすればもう向こうについているのか。
魔界の広さはいかほどなのか。城への距離はどれくらいか。
とにかく、少しでも情報がほしい。
「ねぇ、ユウスケ?」
「どうした、コーディア」
「少し寝たら?」
首を傾げてコーディアが言う。突然どうしたというのか。
「さっき起きたばっかりだろうよ」
「だって、顔色悪いんだもん。船に乗ったら酔うよ?」
「吐き出すものが無ければ大丈夫さ」
「しょうがない……【スリープミスト】」
ヒラヒラと俺の顔の前に手をかざす。すると、淡い桃色の煙が出現した。ほんのりと甘い香りのそれを吸い込むと、くしゃみや咳が出るわけではなく、眠気が襲ってきた。
「ごめんね。少しでも休んでほしいんだ」
「落とすなよ……」
最後にそれだけ言って、俺は仰向けに倒れた。ふわふわと浮遊感が心地よい。頬撫でる風も。
彼方でルナが叫んでいる。でも、今の俺には関係の無いことだ。ただ、睡魔に身を任せるそれだけで良い。
しかし、固いものが体全体を包み込んだ。その衝撃で腰が嫌な音をたてる。
一気に現実に引き戻され、薄く目を開ける。ルナの怒声とコーディアが謝る声がした。
俺はルナの手の中にいるようだ。なぜだろう。
「まったく、眠らせるなら位置を考えなさい!」
「ごめんなさい……」
この会話からわかることは、先ほどコーディアに魔法で眠らされた俺はルナの背中から真っ逆さまに落ちてしまったようだ。
しかし、地面にぶつかる寸前に彼女がキャッチしてくれた模様。
「……大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかね。ちょっと寝さてもらうよ」
魔法の余韻が抜けず、欠伸が漏れる。大口開けて発散し、ルナの手中で目を閉じた。
***
「ユウスケ、起きてください」
鋭い爪に頬をつつかれる。重い瞼をこじ開けてルナの手から降りる。
潮の香りが鼻をくすぐり、寝起きの瞳には少々強い太陽が飛び込んでくる。
砂浜の向こうには一隻の、木製の船が浮かんでいた。甲板にはたくさんの知り合いが乗っている。
ユーリィ、ライジュ、レイルやアンナ。彼らに加えてリュミエルやリンシアが船上で待機していた。
「おそーい!」
腕組みをして大声をあげるユーリィ。いったい何日待っていたのだろうか。
「すみませんね。さっき、ユウスケが起きたばかりなので」
「ほう、ようやく起きたのか」
波で揺れる甲板に立ち、少し気まずくなる。
「よ、よう」
「大丈夫か? だいぶ血を失くしたんだろ?」
「ああ、うん……」
「あの後さ、ギルダが来なかったら死んでたんだぜ。俺もこっぴどく絞られてさ」
「何か、ごめん。俺のせいなんだけどな」
「ま、お互いに悪かったって事にして、出発しようか」
ユーリィが手をあげると、帆が張られ、ギルダが杖を向けている。
「何してんだ?」
「出発の準備。早いとこ行くんだろ?」
ギルダの周囲に緑色のオーラが現れた。彼女が身に付けているローブが風に煽られてバサバサとはためいている。
次第に可視化された風がギルダを包み込む。
「全員、どこかに掴まったか?」
「おう!」
ユーリィが応じると、ギルダが凛とした声を上げた。
「【エアリアルボム】」
渦巻いていた風が一点に集まり、爆発した。穏やかな風になびいていた帆が膨らみ、船を突き動かす。モーターがあるわけでもないのに、とてつもない速度で海を裂く。
「うおっ!?」
欄干に掴まっているのに体がふわりと浮いた。それはユーリィも同じようだ。
暴風の中で声までは聞こえないが、大笑いしているようだ。
コーディアはルナの腹の下で縮こまっている。リュミエルとレイルは両足で踏ん張って我慢大会をしていた。何てアホなんだ。
その他女性陣は身を寄せあって風から身を守っている。リンシアとアンナの重い鎧が機能して飛ばないようになっていた。
間に挟まっているライジュは宙に浮くユーリィを心配そうに見つめている。
「あ……」
手すりからユーリィの手が離れた。ライジュの悲痛な叫びが辺りに響く。
水平に足を薙いで彼の腹に食い込ませる。
「ちゃんと掴まってろよ!」
「サンキュー!」
がっちりと足に抱きついたユーリィから、自分の腕に意識を集中させる。
風が止むと、推進力が無くなり壁に叩きつけられた。
「いってー……大丈夫か、ユーリィ?」
「あ、ああ……なんとかな……」
みんなに引き上げてもらい、事なきを得た。甲板に寝転び肩で息をする。
「だー……疲れたぜ」
「……魔界に行く前に死ぬところだったぜ……」
ギルダは弱めの──と言っても近づけば倒れてしまうレベル──の風を帆に当てている。
「ありがとうユウスケー!」
ライジュが俺の手を握って上下に振ってくる。ふかふかの手は温かい。
「見えてきましたよ」
ルナが鎌首をもたげて言った。全員がルナの示す方向に目を向ける。
「あれが魔界の入り口か……」
アーチ型の建物の中に、ぐにゃぐにゃと薄気味悪い黒い液体のようなものが渦巻いている。
そこへ近づくにつれて、門の渦巻きに苦痛に歪んだ顔が映っていることが確認できた。それがいくつもある。
そしておぞましい叫び声も響く。周囲の海域にはそれ以外の音が一切しないのである。
風も無く、波もたたない。
「これ突っ込んでも大丈夫なのか?」
「もちろんです。ただ、魔物に殺された人間の恨み言が聞こえてくるので気をつけてください」
「では諸君、行こうか」
ギルダが船を進めると、船頭が魔界の入り口に入った。どんどん呑み込まれていき、俺も門の中に入る。
「痛い痛い!」
「苦しい……」
「裏切られた……」
「殺してやる!」
「お前を呪ってやろうか?」
「死ね死ね死ね!」
歪んだ顔が至るところから突きだして俺達に文句を言ってくる。どいつもこいつもありきたりな事を言うが、機械質の耳障りな声で叫ぶ。
耳にも悪いし、心にも悪い。
「……どうしたライジュ、恐いのか?」
「ユーリィには分からないの? この人達の悲しみや怒りが!」
「悪いな、何とも思わん。死んだ奴が手を出してくるわけでもあるまいし。それに、知らないやつだからな。ユウスケはどうだ?」
「俺? この機械的な声が嫌かな。耳に悪い気がする」
「獣人は素直だからな。こういう悪意に敏感なのかもな。コーディアだって耳を塞いでルナに寄り添ってるぜ」
プルプルとしゃがんで震えているコーディアを、ルナが撫でて宥めている。耳が大きいから余計に聞こえてしまうのか。
唐突に声が止み、暗い空が出た。太陽さえも黒く見える。
「ここが魔界か」
真っ赤な海を渡って浜辺に船を止める。潮風もどこか血の臭いがする。
「何で人間がいるんだ?」
「降伏しに来たのか?」
船から降りると、様々な武器を持った魔物達がやって来た。
「……ユウスケ、行ってこい」
「ユーリィ、いいのか?」
「ああ、ここは俺達で相手するから城に行って魔王をブッ飛ばしてこいよ」
「ありがとう。──行こう、ルナ!」
背中に飛び乗り、出発する。直ぐ様赤黒い空に達し、魔界を一望できる。
眼下ではレイルとリュミエルが圧倒的な強さを見せつけている。
「頑張ろうね、ユウスケ」
「おう……って、何でコーディアがいるんだよ!」
「えー? だって回復役が必要でしょー?」
「危ないだろ……って言っても聞かないんだろ?」
「もちろん!」
満面の笑みのコーディア。溜息をついて仕方なく連れていくことにした。
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