アンナの背中から降りたコーディアが、ルナの背中に寝転んでいる俺の腹の上に乗っかってきた。
「コーディアか……悪いけど後にしてくれ……むちゃくちゃ疲れてんだ……」
高校では帰宅部だった俺はまともに運動してこなかった。そしてこちらの世界に来てようやく動き始めた。
ゴブリンの群れから逃げ、コボルトを切り伏せ、オークを倒し、横田達を撃退した。どれもキツい戦いだったが体がボロボロにはならなかった。
しかしクラーケンとの戦いでは今までに無い動きが多かった。体を捻り、高所落下からのキャッチ。全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
もっとも、戦っている最中には微塵も気がつかなかったが。
「私も頑張ったのよ」
「すまん……自分の戦いに夢中でよく見てなかった……」
「私はちゃーんとユウスケの戦いっぷりを見てたわ! 凄かったじゃない!」
「そうか?」
「ええ、多少の無茶は見受けられましたが、恐れずに飛び込む勇気はたいしたものです」
「そうだぞ、ユウスケのおかげでたおせたといっても過言ではない」
「キース様も凄かったけど、貴方を見くびっていたわ」
多方面から女性にべた褒めされてニヤニヤが止まらなくなる。こういった経験が無いためバレないように腕で顔を隠す。
その際にチラリとキースの顔が見えた。ルナとデラに称賛されずに拗ねているようだ。意外と子供っぽいところもあるんだな、と親近感が沸いてしまう。
「ってかコーディアさ、すっげえぬるぬるしてね?」
「ユウスケだってルナだって、みーんなぬるぬるしてるわ。最後にクラーケンの肉片を被ったんだから当たり前よ」
「それに今気づいたけ生臭さが半端じゃねぇな」
「村についたら私がなんとかするから、我慢してよ」
これにて魔王海軍のトップを倒したわけだが、クラーケンの後継者は誰になるのだろうか。物わかりのいい奴だと助かるのだが。
「今回はいくら貰えるんだか」
「ざっと数十万じゃないか? かの有名なクラーケンを倒したんだから相当な額は貰えるぞ」
「結構早く貯まったな……」
「お風呂つきにしようよ」
「風呂? 川に飛び込めばいいだろ」
「嫌よ、温かいお風呂に入りたいわ」
「風呂ねぇ……ま、考えとくよ」
クラーケンの体液てべでたべたなコーディアの頭を撫でてやる。嬉しそうに目を細める。
「そろそろ着きますよ」
起き上がって翼の横から顔を出す。浜辺には沢山のオレンジ色の光が見える。村人達がずっと待っていたのだろう。
身を乗り出して手を降ると、歓声が聞こえた。松明を投げ捨て、抱き合って喜んでいる。
安心したせいか、ひどく疲れた。今すぐにでも寝てしまいそうだ。
「おお、ありがとうごさいます!」
着陸早々に村長が駆け寄ってきて、俺の手を握った。上下にブンブン振られて肩が悲鳴を上げる。
「感謝してもしきれません!」
「いやぁ、気にしないでください」
「むむ、臭いますな。風呂の手配をさせましょう」
村長が手を叩くと、村人達が散っていった。
「ご用意ができたらお呼びしますので今しばらくお待ち下さい」
「はい、わかりました」
言い終わると、村長は一礼して去っていった。去り際に細かいステップを踏んで楽しそうだ。
「このぬめぬめは簡単には落ちないから魔法を使うわよ」
どこから拾ってきたのか、コーディアは木の棒を手にしていた。
その棒で円を描く。内側に複雑な図形や文字を記入していく。ところ狭し記されたそれは、一度銀色の輝きを発した。
「ふぅ、完成よ。みんなこの中に入ってね。ユウスケとアンナはルナの上にキースはデラの上に乗って」
「なぜ俺が貴様のような劣等種族の言うことを聞かねばならんのだ」
「てめぇこの野郎!」
ガッ、とキースの胸ぐらを掴んで砂浜に押し倒す。
「獣人は我々人間よりも劣っている。そうだろう?」
「闇堕ちした敗北者が人間を語るな。お前なんかよりも獣人の方が世の役に立ってるわ」
「言わせておけばッ!」
「ぅぐッ!?」
腹部への衝撃。硬い鉄のグリーヴがめり込んでいた。呼吸が止まり、その場にうずくまる。
「お前こそ敗北者だろう」
「はっ……ただ一度の負けで魔物側についたお前に言われたくはないね。ん? 敗北者くん」
「こ、このっ……」
「いい加減にしなさい! 今夜だけで三度目ですよ!」
ルナの尻尾が、兜に覆われたキースの側頭部を叩いた。
ざまあみろとほくそ笑んでいたが、横たわる俺の背中へ一撃が。キースとは違って鎧を着ていないため手加減はされたのだろうが、それでも大分痛い。
「まあ、この滑りをとりたくないならそのままでもいいんだけどね」
コーディアに起きるのを手伝ってもらい、円の中に戻る。
依然としてキースは円に入ろうとしない。
「キース様、いくら私でもぬるぬるのキース様は乗せたくありません」
「……ッ」
デラに乗せない宣言をされ、渋々彼女の背に立つ。
「目と鼻と口をちゃんと閉じててね」
コーディアが地面に棒を突き立てた。魔法陣が強い銀色の光を放つ。
「大いなる風の精霊よ、その恩寵を持って我が穢れを浄化し給え!! 《ミント・エアロ》!!」
コーディアの忠告を聞かずにそのままにしていた俺は後悔することになった。突如現れた緑色の竜巻に包まれるまではいいのだ。
しかし次の瞬間、強烈な香りが鼻をついた。凄まじいミント臭に圧倒される。だんだんと目がヒリヒリし始め、鼻もツーンと痛くなる。
ようやくミント竜巻から解放される時には、涙をどばとば流していた。
「ユウスケ、私の言ったこと聞いてた!?」
「ぎいでだ……」
「まったく……しばらくしたら治るからそれまで我慢してなさい!」
一応全身の滑りは取れたが、前方が全然見えない。仕方なくその場に腰を降ろして波の音に耳を寄せる。
「……大丈夫か?」
「わがんないっず……」
「そうか……」
隣に失礼するよ、とアンナが座った。彼女の方を向いても輪郭がぼやけてよくわからない。
「コーディアは凄いな。上級の浄化魔法を使えるんだから」
「それ、俺じゃなくて本人に言ってくださいよ。ってかアンナさんも十分凄いですって」
「そうか? 初級の爆炎魔法なんだけどな」
「あれで初級なんですか……」
「魔法を唱える時に詠唱するかしないかによって威力が大きく変わるんだ。言霊をしっかりと乗せた時にはあれぐらいの威力が出る」
「素早く発動するか威力を重視するかって事ですね」
「そういうことだ。そろそろ治ってきたんじゃないか?」
「あー……はい、治ってきました」
目元を拭って涙を落とす。
「うん、すっきり」
涙を拭き終えると、タイミングよく村長がやって来た。
「皆様、お風呂のご用意ができました。申し訳ありませんが混浴になってしまいますが……」
「アンナさん、先入っていいですよ。コーディアもよろしくお願いします」
「任せておけ」
「それでは、ご案内致します」
ぞろぞろと村長の後に続く女性陣。ルナとデラが入れる風呂なんてあるのだろうか。
「おい、キース。コーディア達が上がったらお前が先に入っていいぞ」
「そうか、ありがとう」
「お前が……ありがとう、だと!?」
唐突な感謝に目の前が真っ白になる。先程のミント竜巻で頭がやられてしまったのだろうか。
「頭とかどっか痛いとか無いか?」
「なんだ突然、気持ち悪い」
「い、いや、だってキースがありがとうだなんて……」
「ふん、俺だって礼ぐらい言うさ」
「俺に礼を言うぐらいなら獣人差別をやめてもらいたいね」
「……考えておく」
そう言うと、キースは小屋に戻っていった。
絶対にミントで何かがおかしくなった。そうでなければあのキースが礼を言うなんてあり得ない。
例えばミントの爽やかな香りで奴の邪悪な心が浄化されたとか。
「あの、ユウスケ様」
「誰?」
俺は誰かに『様』とつけて呼ばれる筋合いがない。殺気も感じないので振り返ってみると、マーサが立っていた。
「やあ、こんばんは」
「あ、こんばんは……あの、本当にありがとうございました!」
「どういたしまして」
「ユウスケ様はこの後どうするのですか? ここに暮らしてみんなを守ってくださいませんか?」
「悪いけんだど……それはできないな。俺、魔王を倒すって言う目標があるからさ。イーリアに帰って報酬を貰ったら拠点を作らなきゃならないし」
「拠点……家という事ですか?」
「うーん、そうなるな」
「一軒くらいでしたら村長に頼んで建ててもらえますよ?」
「え? いやいや、色々してもらったのに悪いよ……」
「大丈夫です! 村を救ってくれたんですからそれぐらいは!」
伝えてきます、と元気よく走り去っていったマーサ。生け贄から解放された嬉しさからか、足取りが軽やかだ。
「貰えるものは貰っとけって婆ちゃん言ってたしなぁ……」
逆に変な遠慮をした方が悪い、かもしれない。ここは素直に受け取るべきだと自分に言い聞かせる。
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