「コーディア……」
大きな卵形の瞳が俺を覗き込む。涙を浮かべ、穴の空いた胸に顔を埋めた。
「泣くなよ……」
「でも、でもユウスケが!」
「最後の一押しで十分だよ。ありがとう……」
横田の首を切り飛ばしたあの一撃。コーディアのドロップキックが海神の剣に激突し、推進力を得たのだった。
「何か……体か軽くなってきた……そろそろ死ぬのかな……」
自嘲気味に笑うと、ルナとデラが顔を出した。二人は悲しそうな表情はしていない。むしろ喜んでいるようにさえ見える。
「何が嬉しいんだい……?」
「横田を倒したんですよ? もっと喜びなさいよ」
「それでも、俺は死んじゃうから」
そう言うと、何かに気づいたルナが光玉を拾い上げた。
「やれやれ、これが再生の妨げになっていたのですね」
光玉を部屋の端に転がす。とたんに胸の穴が塞がった。心音が正常に鳴り始める。
体についた細かい傷も勝手に治っていく。
「何でだ? コーディアが何かしたのか?」
体の痛みが全て消え、起き上がれるようになる。横田にメチャメチャにされた両ふくらはぎも完治している。
「私はなにもしてないよ」
ペタペタと全身に手を当ててみるが、掠り傷一つ存在しない。
これが意味することはたった一つ。
「俺……魔王になっちゃった?」
デラとルナが同時に頷いた。手のひらからは、横田程ではないが、黒いオーラが出ている。
「……どうしたらいいの?」
「さあ……死ぬまで魔王として生きることですね」
「そ、そんなぁ……」
「そう肩を落とさないでください。魔王様」
白い手袋をつけた手が、清潔なハンカチを差し出した。
「え……?」
まったくもって聞き覚えのない声に驚き、前に目を向ける。
眼鏡をかけた銀髪の男が立っていた。口の端からは鋭い犬歯が覗いている。
「どちら様……?」
「初めまして、魔王専属軍師のライアーと申します。以後お見知りおきを」
ぺこりと礼儀正しくお辞儀をされると、なんだか居心地が悪い。
「さて、新魔王となった坂下ユウスケ様ですが、この城はどうなさいます?」
「え!? お、お任せで……」
「わかりました。こちらで修理しておきます。次に、新魔王となられたので公約を掲げていただきたいのですが、何かあります?」
どこからともなく出現したクリップボードを手に、ライアーが首を傾げた。
「うーん……人と魔物、仲良くしようって事で……いいかな?」
「ほう、人と魔物が仲良くさせると。承知いたしました。それでは、私はいろいろとやる事がございますので」
一礼して、ライアーは煙になった。
「で? 俺はどうなるの?」
「そうですね、魔王となり長い時間を過ごすことになります。およそ、数千年ですかね」
さらりとルナが言った。数千年となると、コーディアはもちろん、ユーリィやアンナは死んでしまっている。
「まあ、私は当分ユウスケと一緒にいますがね」
ルナが微笑んだ直後、玉座の間の中央が煙で満たされた。
ライアーではない、複数人がぞろぞろと現れた。
「おいおい、煙がスゲーぞ」
「少々移動させたものが多いからな」
ユーリィか咳き込みながら呟くと、ギルダが杖を横凪ぎに振った。突風が吹いて煙をどこかへと連れ去っていった。
「よう、ユウスケ。勝ったんだな?」
「ああ、まあね……」
ユーリィに引っ張り起こされて立ち上がる。それと同時に、リュミエルとレイルが俺の首に剣を突き立てた。
「ちょちょ、何すんだよ」
「君は……誰だい?」
一ミリたりとも剣を離さずにリュミエルが尋ねてくる。
「俺だよ。ユウスケだよ」
「なぜ、魔王の匂いがするんだ?」
「何か、横田を倒したら自動的に俺が次の魔王になったようで……」
ルナとデラ、コーディアの助言もあって嘘をついていないことがわかると、ようやく二人は剣を下ろしてくれた。
「それで、魔王になったユウスケはどうするんだ?」
アンナは青ざめた顔をしているリンシアを支えている。まだ酔っていたのか、と内心呆れる。
「アンナさん……俺は、人も魔物も仲良くできる世界にしたいと思ってます」
「そんな事できるのか?」
「みんながみんな、人間を憎んでいる訳じゃ無いだろうし、モンスターマスターってアビリティもあるんだから魔物に興味がある人間もいるはずです」
これまでのルナを見て、彼らはわかってくれるはずだ。そう信じて、思いの丈をぶちまける。
「まあ、いけるんじゃないか? アルデミアの王子も魔物に恋してるらしいからさ」
「うわ、なんて都合がいいんだ」
レイルのカミングアウトにユーリィが苦笑する。
「一件落着ということなら、私は帰らせてもらうぞ」
ギルダがコツン、と杖で床を叩いた。そちらの方へ全員が注目する。
「あ、俺も帰る。親父に報告しに行くから」
「レイルが帰るなら僕も帰るよ」
「私も姉さんを休ませねばならないからな。先に帰らせてもらう」
レイルとリュミエル、アンナとリンシアがギルダの周りに集まる。
「お前はどうするんだ?」
「俺はもう少しここにいるよ。みんなに伝えといてくれや」
「わかった。早く帰ってこいよ」
おう、とユーリィが応じると、ギルダを中心に魔法陣が展開された。
「最終確認だ。もう帰る奴はいないな? 私は早く研究したいんだ。よって転移地点は私の家となる」
ギルダのポケットがぽっこりと膨らんでいるのに気がついた。入り口から少し光が漏れていた。
「ギルダ、それは──」
「それでは、また会おう!」
言い終わる前に、彼女達は帰ってしまった。衝撃で塵が舞い上がり、全員が激しく咳き込む。
「ま、お疲れ様だな」
服についた埃を払いながらユーリィが笑った。
「ああ、一時はどうなるかと思ったよ」
「ねえねえ、牙とか角は生えないの?」
俺とユーリィの間にライジュがニュッと顔を出した。
ふかふかの手で俺の頭部を探り、頬を横に引っ張る。角と牙の有無を確認しているようだが、果たして。
自分ではわからないのだが、魔王になった瞬間から生えたのかもしれない。しかし、ライジュは肩を竦めて首を左右に振った。
「無かったよ」
「そうか、ならいいさ」
ふと視界の端に、キースが映った。崩落した壁の前で赤い空を見上げている。ここで、俺は自分の地位を利用することにした。
「おい、キース」
「なんだ。用も無いのに呼ぶな」
「敬語使わなくていいのか? 俺は魔王だぜ?」
「ちっ……ご用はなんでしょうか」
舌打ちし、嫌味たっぷりに言った。
「さっきのは冗談だ。結局俺も魔物側に仲間入りだ。これから少しは仲良くしようぜ」
元々は敵どうしだったが、今は仲間だ。これを気に多少なりとも友好関係を築ければ良いのだが。
そう思いつつ右手を差し出す。キースの手も伸びてくる。
いい感じいい感じ、と待っていると、軽くはたかれた。
「誰がお前と仲良くするかと行くぞデラ」
「けっ、愛想の無い奴」
「そう言わないであげて。あれでもキース様が手を叩いたのよ。いつもなら無視するのに」
それだけ言うと、デラはキースの元へ走っていった。その背中に飛び乗り、彼らは魔界の空へ飛び立った。
「……で、どうする?」
「えー……とりあえず腹減った」
「お食事の準備ができました」
「うわッ!?」
腹を擦った瞬間、ライアーが姿を現した。
「だ、誰だ?」
突然の訪問者に敵意を剥き出しのユーリィとライジュ。
「魔王専属軍師のライアーです。ユウスケ様のご友人様ですね」
「おい、こいつ信用できるのか?」
こそこそとユーリィが耳打ちをしてくる。
「さあ……たぶん大丈夫だよ」
曖昧な答えを返すと、ユーリィは溜息をついた。
「それでは、こちらです」
ライアーの開いたワープホールの中に入ると、食欲をそそる香りが漂ってきた。
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