「むむ……」
夕方に食事を済ませ、眠ったが目が覚めてしまった。目を擦って視界をハッキリさせると、辺りは真っ暗だった。
唯一の光源は頭上にある月のみ。
「それにしても、星が良く見えるな……」
俺の住んでいた埼玉ではあまり星は見えなかった。しかしここでは人工の灯りが無いから弱い輝きの星でもしっかりと確認できる。
しばし見惚れていると、尿意を感じた。真っ暗なのは怖いが森の木々を分けて手頃な場所でズボンを下ろす。
「はぁ……」
尿意が収まると、元の場所に帰って来て川の水で手を洗う。もう一度寝に入ろうとすると、近くで足音がした。
こんな真夜中に足音がする事はおかしいのだが、寝起きで頭の働かない俺は、興味本意で近づいていった。
「誰だ?」
案の定バレて尖った声がやって来る。
「出てこい。さもなければ殺す」
その殺すには、普段中高生が使うような軽い意味合いではなく、本気の殺意が含まれていた。
「俺は丸腰だよ。だから手荒なことはしないでくれよ」
両手を上げて茂みから抜ける。槍を俺の方に向けていた男はゆっくりと下ろした。
「人間? こんな真夜中の森に人間が何をしている」
「えと、野宿? そういうあんたは……キース・レイモンドだな」
「その通り。俺はキース・レイモンドだ。魔王陸軍の責任者だ。冥土の土産話にするといい」
「それぐらい知ってる。もっと深い話をすると、あんたはとても有名な槍使いだった。だけどある日無名の剣士に負けた。その事から失踪し、魔界の入り口付近まで来てしまった」
頭に浮かぶ内容をぽいぽい言うだけで兜の奥底のグレーの瞳が大きくなっていく。
「そんでその時の魔王に忠誠を誓えば更なる力を与えると言われて人間であることを辞めた。あってるだろ?」
「お前……それをどこでッ!」
キースが視界から一瞬で消えた。と、思ったら深緑の鎧に包まれた腕が伸びてきた。
がっしりと俺の首を掴むと近くの木に叩きつけた。
「貴様、どこで俺が人を辞めたと聞いた! 答えろ!」
懸命に足をばたつかせて鎧の胸当てを蹴る。まったく動じないキースはさらにきつく締め上げてくる。
「お……俺が死んだら……謎は……解けなく……なるぞ……」
途切れ途切れに伝えると、パッと手が離れた。その場に崩れ落ち、喉を押さえて必死に呼吸する。激しく咳き込み、嗚咽を漏らす。
「今は殺さない。早く言え」
「……答えたら?」
「即刻首をはねて俺は元の任務に戻る」
「答えなければどうするよ?」
「この事はきれいサッパリ忘れて貴様を殺す」
月の光を受けた槍の穂先が怪しくぎらりと煌めく。
「おーけー……俺はモンスターマスターだ。今日、魔王討伐の駒としてアルデミアの城に喚ばれた」
こんな些細な情報なら流しても問題ない。というか、今日起きた事を全て話しても彼にたいした利益は無いだろう。
「その時、あね……シルバードラゴンが向かったはずだ。なぜ生きている?」
「なぜって……」
キースが敵の幹部ということはルナと関わりがある。いつまでも帰らないルナを探しに来たのだとしたらまずい。
「早く答えろ」
槍の先が俺の首に当てられる。ひんやりとした刃が薄皮を裂く。
「俺は……ルナに助けられたんだ」
「嘘を言え! 姉御が我々を裏切るはずなど──」
「本当です、キース」
俺とキースは同時に、声のした方を向いた。
「ルナ!」「姉御!?」
月明かりに照らされた銀の鱗が、神々しく煌めいている。
「姉御! 何でここに!」
「キース……私は軍を抜けます」
「なぜ!? 俺と姉御のコンビは最強だったろ!」
「貴方、最近は小回りの利く小さな竜に乗り換えたそうじゃないですか」
「そ、それは……姉御を護るために……」
「私に貴方の助けが必要に見えますか? キース、帰りなさい。王には私が辞めたと言うのです」
「それだったら……そのガキと姉御の首を土産に持ち帰ってやるッ!」
刹那、眼前で火花が散った。鋭く、しなやかなルナの尾がキースの槍を受け止めたのだ。
「ユウスケ! 町の方に逃げなさい!」
「で、でもルナは!」
「私はいいから……! 後で必ず迎えに行きますから!」
尻尾を振り上げて槍を弾く。ルナの突きに対してキースがバックジャンプで回避。尾の切断を狙ったかのような振り下ろしはかすらずに地面を叩いただけだった。
恐ろしいほどに速い応酬をずっと見ていたいが、状況が状況なので諦めて寝床へ駆け出す。
不思議と逃げたしたいという気持ちは無かった。虚勢ではなく寝床に置いてきた蛮刀さえあればなんとかなりそうな気がするのだ。
カバンの近くに転がっている蛮刀の柄を握って来た道を戻る。少し離れた場所でも、武器と尾がぶつかり合う音が聞こえる。真正面から挑んでも勝ち目は無い。
つまり、キースの裏を取ればいいのだ。背後から頭を叩き割れば勝利は確実だ。
仮に兜を破壊できなかったとしてもルナが止めを刺してくれるだろう。
木の影に隠れて様子を伺ってみると、激しく打ち合いながら会話をしていた。
「なぜ、王を裏切った!」
「私は……もう血を見るのは嫌なんだ……」
「魔王軍の銀竜が……堕ちたもんだ」
「私は、ユウスケと共に王を殺します」
「どうして……俺よりあいつを選ぶ!?」
「どうして? 貴方が私を捨てたのでしょう。あの時、私はとても傷つきました。こう見えても繊細なんですよ?」
「そ、それは姉御がやる気が無くなってるように見えて……嫉妬させれば……」
「嫉妬ですか、キースなりの考えがあったのですね。でも、女性に対する態度としては最低最悪ですよ!」
ルナの尾がしなった。胸当てを強く叩き、キースを吹き飛ばす。
「血を見るのが嫌なら……なぜ、大王を殺すと言うんだ?」
「王を殺せば血を見るのはそれきりになるでしょう。人と魔物が手を取り合う時代を創るのですよ。その為ならば、殺しも厭いません」
槍をついて立ち上がったキースは勢いを失い、何かを迷っているように感じる。
「何にせよ、今がチャンスだな」
短く息を吐いて茂みから飛び出す。兜に覆われた脳天をかち割るべく大上段に振りかぶる。
完全に入ったと思ったが、流石四天王。雷撃の如き反射で頭を反らした。ガツン、と肩口に刃が突き刺さる。
「貴様アアアアアアッ!」
怒りの咆哮に気圧され、一瞬で体が動かなくなった。
──あ、死んだ。
走馬灯が駆け巡る中、ルナの槍にも負けない尻尾が俺の胴をからめとった。
「逃げろと言ったでしょう!」
「すまん、何か申し訳無い気がしたから」
「まったく……」
安堵の表情を見せてから直ぐにキースを睨む。
「肩に傷を受けたら私の相手は務まらないでしょう。せめて、苦しまないように殺してあげます」
「それは無理な話だ」
キースの右手が閃き、謎の玉を地面に叩きつけた。すると煙が上がった。
「煙幕か!」
次いで口笛が鳴り、上空から翼がはためく音が聞こえる。ルナは俺を自身の翼の下に隠し、辺りの様子を伺う。
「姉御、次に会う時は容赦しない」
ルナの半分くらいのドラゴンに連れられ、キースは闇夜に去っていった。
「ルナ、大丈夫か?」
煙幕が晴れてから翼の下を這い出る。
「ルナ?」
キースの飛び去った方に目を向け、虚空を見詰めている。
「ユウスケ、明日から貴方を鍛えます」
俺の方を見ずに一言。
「え……」
「キースと対等に戦うためにはもっと経験が必要です。だから明日の依頼はユウスケが倒せる敵を選ぶんですよ」
「ルナ……寂しいんだろ?」
「そう思いますか?」
「うん、説明は出来ないけど、そんな感じの雰囲気が出てる」
「そうですね……非常に寂しいです。キースが乗り換えた時には魔王軍を辞めてどこかでひっそり暮らそうかと思ったくらいです」
「思い止まった理由は?」
「キースが頭を下げて謝ったからです。子供はいつか親元を離れていくものですから」
「ふぅん……」
寝床に戻ってくると、カバンに放り込んでいたグリモアが緑色の光を放っていた。
「どうしたんだ?」
拾って光っているページを見ると、輝きはぴたりと収まった。
「壊れたのか?」
軽く振ったり叩いてみても変化は無い。誤作動か定期的に光る仕様なのか、はたまたそのどちらでもないのか。
「ちょっと見せてください」
肩越しに覗き込むルナが見やすいように傾ける。
「【度胸・根性】のアビリティなんて持ってました?」
「【度胸・根性】?」
自分でも確認してみると、確かに追加されている。
「ホントだ。今まで二つだったのに……」
「先程のキースと出会った事で発現したのでしょうね」
「単純に度胸と根性がつくだけなのかな」
「無いよりかはましかと。明日はユウスケが戦えるようにするのですからビビりは無い方が良いです」
「それもそうか」
一段落ついたところで睡魔がやって来た。
「ルナ、お休み……」
丸くなったルナの尻尾を枕の代わりにしてもう一度目をつぶる。
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