相手の体格からすれば針に刺された程度のものだろう。しかしそれが縦に連続で続くとどうなるか。耐え難い苦痛をもたらすことになる。
俺だって小人と対峙し、彼らの持つ針程度の剣に刺された程度では小さな血の玉が膨らむだけだ。その剣で刺され、ざっくりと下まで振り下ろされたら間違いなく、泣き叫んでいるだろう。
「ぎいぃいい……痛ぃ……」
流石に剣が短すぎて内蔵までは届かなかったようだ。それでもダメージは与えたから良しとしよう。
「人間の分際でぇ……傷をつけおってえええええ!!」
怒りの咆哮に鼓膜が破れそうになる。一本の腕が俺を狙って迫ってきた。
剣を掴んで空中にぶら下がっていては何の抵抗もできない。ささやかな抵抗として体を捩って剣による傷をさらに深くしてやる。
「ユウスケ! 手を放しなさい!」
下からルナが叫んだ。クラーケンのぶよぶよした体から剣を引き抜いて落下する。上昇してきたルナの手が見事服の襟を掴んだ。
「何であんな無茶をしたんですか!」
「いやぁ……ちょっと言えないかな……」
「まったく……」
キースが口笛を吹くと、デラが物凄い速さでやって来た。俺をデラの背に戻すと、彼らは再びクラーケンとの戦いに戻った。
「やっぱりできないじゃない」
「見ろよ、あいつの頭に縦線入れてきたんだぜ? キースより仕事してるんじゃないかなぁ?」
嫌味たっぷりの口調で呟く。
「ふん、クラーケンにとどめを刺すのはキース様よ」
「どーかなー? コーディアかアンナさんかもしれないぞ?」
クラーケンの背後に位置する、ほぼ動いていない腕に攻撃を与えつつ悪口を言い合う。流石の太さで十回を越えた辺りでようやく半分ほど切れ込みを入れられた。
「太すぎないか?」
「貴方の剣が弱いのよ」
「お前の光線も弱いんだよ」
次の攻撃開始のタイミングを待っていると、突然クラーケンが吼えた。奴の左右から大きな膨らみが現れる。
それと同時にクラーケンは海の底へと逃げていった。
「ゲババババ! 人間! 殺す!」
と、右から現れた巨大な半魚人。
「……参る!」
と、左から現れた巨大な黒エビ。
「部下に押し付けて逃げるとは、見下げ果てた奴だ」
「そこだけは同感ね」
「半魚人の首を落とすぞ」
雷雨に紛れてデラが飛び回る。半魚人はアンナとコーディアに視線が向いている。絶好のチャンスだ。
先程までは遠くから聞こえていた雷だが、いつの間にかだいぶ近づいてきていた。
デラの雷もそれに呼応してか、威力が上がったかのように見えた。俺は背中から滑り降りて半魚人の肩に着地する。
「よう、デカいの」
「なん──ッ!?」
研ぎ澄まされた太刀を首に突き刺す。頸動脈辺りをざっくり切断する。
剣を抜くと、人とは違う、真っ青な血が噴き出した。間欠泉のように勢いよく溢れる血液に負けないようにもう一撃。
さらに出血量が増える。半魚人はもはや絶命間近。流血が少なくなると、半魚人はぐらりと傾いた。
「お、お、おわっと!」
海に倒れる前にデラの背中に飛び移る。バランスを崩しかけたが彼女の微調整で事なきを得る。
「やるじゃない、ちょっと見直したわ」
「そりゃどうも、デラの光線も悪くなかったぞ」
お互いに少しだけ、ほんの少しだけ認め合えた気がする。
一方の黒エビは少々苦戦していた。ルナの火炎と氷、コーディアの雷。どちらとも硬い甲殻の前には無に等しかった。
それを見かねたアンナは、コーディアを背中から外すとキースめがけて投げた。豪雨に負けない程の悲鳴が、月の無い夜に響いた。
「まさか、剣で勝てると思っているのかしら」
アンナが何をしようとしているのか、どことなく分かる気がした。エビの甲殻の隙間に入り込み、中から荒そうというのだろう。
降りしきる雨に目を凝らしてアンナを見守る。光の翼でエビに近づき、輝きが消えた。
しばらく見守っていたが、エビが体を震わせ始めた。アンナの攻撃が聞いているという事だろう。
クラーケンは逃がしたが、村に被害は出さずに勝利。
──そう思っていたのだが。
ホバリングするルナの真下から、クラーケンの腕が伸びてきた。それは彼女の体に巻き付き、海に沈めようとしていた。
乗っていた二人はルナの尻尾に掴まって宙に浮いている。クラーケンが力を込めればルナの骨が折れてしまう。そうなればキースとコーディアも海面に叩きつけられて死んでしまう。
「デラ!」
雷を吐きながら、猛然と突き進む。不安定な背中を踏み締め、太刀を水平に構える。デラと腕が交錯した瞬間、剣が触れた。
「お……あああああああッ!!」
筋肉の繊維を引き千切り、堅牢な骨を打ち砕く。少しでも気を抜き、負ければデラの背中から落ちるだろう。
自傷覚悟で刃に手をかけて押す。
これまでの動作はほんの一瞬に満たない時間だった。しかし俺には数十分にも及ぶ激闘に感じた。
デラが通過しきるとほぼ同時に腕を断った。本体を失ったそれはルナの体を解放し、海に消えていった。
「た、助かりました!」
「いやいや、どーってことないぜ!」
切れた手のひらをズボンで拭きながら微笑む。
背後で大きな飛沫が上がった。エビが倒れ、隙間から光の翼を纏ったアンナが不敵な笑みを浮かべていた。
「体内を四分割にしてやったぞ」
が、その体や髪の毛には大量の内臓がへばりついていた。
「さ、さすがですアンナさん……」
「最後は親玉だけですね」
「ああ、海に潜られてはこちらから手出しはできない。……そうだユウスケ、これをお前に渡しておく」
「これって……」
短剣の柄をシャドーテールの蔦でぐるぐる巻きにした物だ。魔力伝導率が凄い、と言っていたが。
「できればこれをクラーケンのどこかに埋め込んできてほしい。できれば頭部にな」
「わかりました。任せてください」
アンナから離れ、別の場所で旋回する。こんな風に誰かに頼られるのは始めてだ。
「デラ、もう一回頼むぞ」
「いいわよ。でも、失敗しないでよね」
「あたぼうよ」
海面すれすれで挑発じみた行為を繰り返していると、腕が一本飛び出してきた。捕まえようとしたその腕を躱すと、別の腕が。
もっと馬鹿にすると、堪忍袋の緒が切れたクラーケン本体が現れた。すぐさま頭の先付近まで上昇する。俺がつけた縦の傷は自分で治したのか、ぴったりと傷が綴じていた。
スカイダイビングの要領で飛び降りる。風を体に受け、調節しながら太刀を構える。
「おんなじとこに傷つけてやるぜ!」
先刻よりも深く突き刺さり、ガリガリと削る。進行が止まった所でアンナから渡された短剣をポケットから取り出す。
「喰らえ!」
傷口から奥深くまで捩じ込む。ぐちゃぐちゃと気味の悪い音がした。
強烈な生臭さも漂ってくる。吐き気を堪え、限界の深さまで押し込む。
「飛びなさい!」
今度は太刀を引き抜いている暇などなく、パッと手を放す。クラーケンの腕が俺のいた位置を通過した。太刀は彼方へ弾き飛ばされ、見えなくなった。
「アンナさん! 埋め込みました!」
「でかした! ──爆炎の魔神よ、その力を持って我に仇なす敵に久遠の眠りを与え、消し去り給え!! 《ビッグバン》!」
アンナの声が天高く轟いた。クラーケンの顔の中心から光が溢れ、盛り上がった。
「な……なんや……!?」
どんどん膨れていき、風船と呼んでも差し支えないほどにパンパンになると、弾けた。肉片がそこら中にばらまかれ、俺達の上にも、雨に混じって降ってくる。
「……おいおい、嘘だろ?」
顔の中心を失っても、九本の腕はまだ動いていた。しかし脳が無くなったことでその動きはやたらめったら。
とにかく動き回り、手当たり次第のものを破壊している。
「どうする?」
「わからないわよ!」
全員が慌てふためく中、光輝く十字が闇夜を照らした。
触手をを細切れにすると十字は消えた。バラバラ落下してと海の藻屑に変わる。
「何だ……今のは?」
俺は雷が落ちた瞬間、宙に浮く人影を見た。そいつは俺が見ていることに気がつくと微笑んで手を振って雲の中へ姿を消した。
「……勝ったんだよな?」
「そうね……そろそろ降りてもらえるかしら? 私はキース様を乗せたいの」
「そうだな、俺もルナの方がいいや。でも、またよろしくな」
「ふん、考えておくわ」
全員が集まって互いを労う。雨も上がり、月が見え隠れするようになった。
「最後の十字……あれは、リュミエルだな」
アンナがポツリと呟いた。
「リュミエル……って誰ですか?」
「アルデミア最強……いや、世界最強の騎士だ。勝てる者は存在しないと言われている」
「そんな奴が、なんでまた?」
「大方、ディアスからの指令だな。着いてみたら俺達が戦っていたのだろう」
「何にせよ、これで終わったんだ。村に帰ろうぜ……」
バサバサと翼をはためかせ、帰路を辿る。月明かりが、穏やかに凪ぐ海を照らしていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!