「む……」
長い時間眠っていたようで、見事な朝焼けが目に飛び込んできた。寝起きの瞳には少々刺激が強く、涙が溢れる。
擦って無理矢理涙を納めて伸びをする。背中から、少しだけルナの顔を確認できたが、だいぶ疲れているようだ。
「おはよう、ルナ」
「おはようございます。あと、もう少しで着きますから」
微笑んだルナは飛行速度を上げた。眼下では魔王の脅威に曝されているとは微塵も知らない人々がルナを見て驚いている。
そして、イーリアの町の影がうっすらと見えた頃、ルナの体ががくん、と揺れた。
「ルナ!?」
「すいません……少し疲れました……」
「そうだよな……ぶっ続けで飛んでるからな。帰ったら早く休んでくれよ。飯も作るからさ」
「感謝します……」
「感謝するのは俺の方だよ。ルナに無理させてさ……ごめんな」
「何も謝る事は……」
ルナは言いかけて、止めた。延々と続きそうな会話を断ち切った。
ルナが返してきたら、俺が止めようと思ったのだが。
「ほら、見えてきたましたよ」
見慣れた森の上を滑空し、我が家の上空でホバリングする。
家の前ではユーリィとライジュが立っていた。
「おーい!」
手を振ると、彼がこちらを向いた。その表情はとてつもなく焦っていた。異様に感じた俺は、ルナの背中から滑り降りる。
足がじーん、と痺れたが我慢してユーリィの方に駆け寄る。
「どうした?」
「コーディアが捕まった!」
「は? 魔王軍にか?」
「違う、高校生にだよ!」
ゾクッと背筋に悪寒が走る。俺の家を知っている高校生で、コーディアを捕らえるという嫌がらせをしてくるのはこの世で一人しかいない。
「横田……」
ふらつくのも無視してドアノブに手をかける。ドアを破壊せん勢いで開け放つと、椅子に座った横田と、裸で縛り上げられているコーディアがいた。
「てめぇ!」
海神の剣を抜いて斬りかかろうとすると、話す魔剣が立ちはだかった。
「まあ、落ち着けよ坂下。お前、何で獣人に服なんて着せてんだ?」
クックックッと喉の奥で笑い。テーブルに頬杖をつく。
「……当たり前だろ。獣人だって服ぐらい着るさ」
「ケッ、とんだ甘ちゃん野郎だぜ。獣人ってのはなぁ、人間様の玩具になるのがちょうど良いんだよ」
「そうか、それは人それぞれの価値観だから俺は口出ししない。でも、コーディアを侮辱するなら俺はお前を許さない」
「ま、そう怒んなって。俺は取引に来たんだ。こいつを返す代わりに光玉を寄越せ」
なぜ、横田が光玉について知っているのか。
「ごめんユウスケ……私が喋っちゃった……」
「こいつを殺すって言っても響かなかったくせに、家を破壊するって言ったらべらべら喋ってくれたぜ!」
コーディアの表情が暗くなる。話してしまった事を本気で悔いているようだ。
「気にするなコーディア。こんな奴に話したところで何てことないさ」
「はいはい、そういう友情はいいから。早く光玉を寄越せ」
「何で、お前が光玉を欲しがる? 魔王を殺してヒーローになるってか?」
「ヒーロー? そんなだせぇ奴にはならねえよ。俺は、新たな魔王になるんだ」
自分に酔いしれている横田は胸を叩いた。その行為が、かっこいいと思っているようだ。
「魔王になってどうするつもりだ?」
「質問が多い奴だ。とりあえずは人間界を破壊し尽くす。俺らをこんな所に喚んだディアスは許さねぇ」
「……他の人は関係ないだろ。それにディアスは死んだ」
「お前、知らないのか? 他の奴らが今どうしているか」
横田の言う、他の奴らとはクラスメートの事だろう。
城を追い出された俺が出会ったのは横田組と、その他の女子三人だけだった。
それ以来彼女達とは顔を合わせていない。
「これを特別に見せてやる」
ポケットから何か結晶のような物を取り出して投げた。正確な狙いで俺の足下に落ちる。
「これは?」
「記録結晶だ。いわゆる、ビデオカメラだな。錬金術師に作らせた。軽く指で触れば再生されるからよ」
「お前の目的は何なんだ? 突然、俺を殺さなくなったりよ?」
「初めはお前を殺して金を貰うのが目的だった。だけど、お前に敗れた後、俺は強くなるために各地を旅した。そこでクラスメートの惨状を見たんだ。坂下に構っている暇は無いと悟ったんだよ。今ならお前を俺の下僕にしてやらんこともない。どうだ? クラスメートのよしみだ」
怪しすぎる提案には触れない方が吉だ。それに横田が仲間を求めるのはどこか変だ。
奴には取り巻きがたくさんいたというのに。
記録を再生しろと急かされて、渋々人差し指でタッチする。すると、手紙の時よりも鮮明な映像が飛び出した。
「松野!」
突然、悲鳴から始まった。ミノタウロスのような魔物に少女が掴まれている。杖を持った少年は必死に呪文を唱えているが、全く効いていない。
「高……橋くん……たす……け──」
そこから先は言えなかった。ミノタウロスの太い指が、彼女のこめかみを掴んで百八十度回したのだ。
骨が粉砕される音が辺りに響く。だらりと動かなくなった松野を投げ捨てたミノタウロスは高橋に近づく。
クラスメートの悲惨な死を目の前に、魔法を放つ気力も無くなった高橋は無抵抗のまま踏み潰された。
辺りに内蔵が飛び散る。ミノタウロスは水溜まりで遊ぶ子供のように、臓物の上で跳ねていた。
次の映像に切り替わると、女子陣が男達と戦っている。
「カナコ! 後ろよ!」
小柄な少女の肉体に鋭い刃が肩口に食い込む。そのままするりと通過して上半身が斜めに落ちる。
友人の惨殺死体を目の当たりにした女子達は絶句し、男達に連れていかれた。
まだ続くようだが、胸糞悪いので横田に結晶を投げ返す。
「わかるだろ? ここは地球人が来ていい場所じゃねえんだ。それをこっちの勝手な都合で喚ばれてよ、挙げ句には死ぬんだぜ? あの女がどうなったか教えてやろうか?」
「嫌だって言っても言うんだろ?」
「たりめーだ。この話を理解できんのはてめーだけだ。その女子共は、変態に変われて肉袋として暮らしてるぜ。この目で見てきたんだから間違いないぜ」
「お前がこれを録画したのか?」
「ああ、それがどうした?」
「お前は、これを撮っている間に助けようとは思わなかったのか!?」
「生憎、危険な場所に自ら飛び込むほど馬鹿じゃないんでね。さ、玉を寄越せ。うさちゃんの首が飛ぶぜ?」
懐から取り出したナイフをコーディアの首に当てる。彼女の瞳が恐怖から大きく見開かれる。
「ちょっと待ってろ」
外に出て、ルナから光玉を貰う。
「ごめん……」
手短に謝って家に戻る。眠そうに惚けたルナは何の事かわからないように、ゴニョゴニョと呟いた。
「こっちに転がせ」
ボーリングの要領で玉を転がす。寸分の狂いなく、横田の足下で止まる。それを拾い上げた横田は満足そうに頷いた。
「早くコーディアを返せ」
「ほら、約束通り返してやるよ!」
スパッと、切断音がはっきり耳に届く。コーディアの首から血が噴き出した。
「ユウ……スケ……」
投げられた彼女を受け止める時、世界がスローモーションになっていた。ゆっくりとした時間の流れの中、左腕でコーディアをキャッチする。
右手で横凪ぎの一撃を横田に叩き込む。
しかし、魔剣に阻まれて剣が天井に突き刺さる。
「じゃあな、坂下」
転移魔法でどこかの町に逃げられた。
ぐったりと軽くなったコーティングを抱え、大慌てで外に飛び出す。刻一刻と彼女の血液が失われていく。
「ユーリィ! ユーリィ!」
「おいおい、首切られてるじゃねえか……」
「あれ! あの魔法を頼む!」
地面に寝かせ、アラクネを治した魔法を使えと急かす。
「ユウスケ! 貴方はもう血が無いじゃないですか!」
ユーリィが術式を展開しようとしたところ、ルナに止められる。こんな問答をしている間にコーディアが死んでしまう。
「そんなのはどうでもいいから! 早くしてくれ!」
ルナを黙らせてユーリィを催促する。ライジュを近くに呼んだが、何をさせるつもりか。
「いくぞ! 後悔するなよ!」
ぐさりと、ライジュの爪が俺の手の甲に食い込む。ドロリと、俺の大切な血が垂れる。
ユーリィが呪文を唱えると、コーディアの出血が多少収まる。依然として顔色が悪いが、すぐによくなるはずだ。
コーディアの傷口に血液が集まり、傷を塞ぐ。顔色が健康的な色に戻っている。
対する俺は死の淵にいるかのような真っ青な顔をしているのだろう。くらくらして体を支えているのも辛い。
「終わったぜ……」
ユーリィの終了言ど同時に、俺はぶっ倒れた。
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