連れ去られたユーリィを追いかける俺達。ライジュを先頭に俺、ルナと続く。
ほとんど痕跡が残ってはいないが、ライジュなら追いかけられる。どうやら彼女の鼻が、ユーリィの匂いを覚えてしまったそうだ。
故にどんなに微かな香りでもユーリィのものなら一瞬で判断できるそうだ。そんな警察犬顔負けの嗅覚を持ったライジュを先頭に暗い森を駆ける。
「次はどっちだ?」
「うーんと……」
鼻をひくつかせ、ユーリィの匂いを求める。すぐに発見したようでそちらの方へ走り出した。
「あれ……」
「どうした?」
「この辺からユーリィの匂いが消えちゃった……」
突然ライジュが立ち止まった。おもいっきり息を吸い込んでい見るが、別の匂いで書き消されてしまったようだ。
「うわっ……蜘蛛の巣に引っ掛かった……」
顔に張り付いたネバネバする糸を引き剥がしながらぐるりと周りを見る。
月明かりさえ届かない木々で閉鎖されたこの地で、俺達はどうなってしまうのか。
「二人とも、私の後ろに来て下さい」
「何するの?」
言われた通りにルナの後ろにつく。翼で俺とライジュを覆った。
「まさかと思うけど、火か氷を吐くの?」
「そうです。この辺りを凍らせますッ!!」
蒸し暑い夏の夜が、一瞬にして凍てつく冬の夜へと変貌を遂げた。半袖半ズボンには堪える寒さだ。
「こ、ここお凍らせるるる……いい意味ってあああるるる?」
歯の根が合わずガチガチとまともに話すことすらできない。それでも意味を読み取ってくれたようで、解説してくれた。
「この蜘蛛の巣の量を見る限り、ここはアラクネの住処に近い場所でしょう」
アラクネはギリシャ神話にでてくる化け物だった気が。元々は美しい女性だったが、女神アテナに楯突いたため、蜘蛛に姿を変えられたとか。
妙な知識だけは頭に詰まっているこの頭。何故勉学は詰め込めないのか。
「この辺りが凍らされた事に気づいたら恐らく、見回りに来ます」
その恐らく、は見事命中した。カサカサという足音と共にお目当てのアラクネがやって来た。長い八本足の上に女性の腰から上が乗っている。
中々の美女で男を騙して食うには向いているだろう。
霜の降りた茂みに隠れてアラクネの出方を伺う。
「可哀想に……氷付けにされちゃって……」
ライジュが今にも飛びかかりそうだが、肩を押さえて我慢させる。
「ふーん……」
黒光りしている八本の足を器用に動かして滑らないように氷の上を歩く。
「そこかしら……」
アラクネの尻から蜘蛛の上糸が飛び出した。ライジュとルナの間に挟まっていた俺の胸に命中し、引っ張られる。
「うああああああああ……あれ、暖かい……」
糸でぐるぐる巻きにされて手も足も出ない。けれど、とてつもなく暖かい。
「こら、静かにしなさい」
怒ったように俺の頭を小突く。が、いまだ歯の根があわない。
「あ、あああんまり怖くない。だだだって、ルルルルナとラ、ライジュが何とかしてくれるももももん」
アラクネは俺から目を離して二人へと視線を移す。今の彼女達は普段の温厚な性格から反転し、牙を剥いた猛獣と化している。
「ユウスケを……返しなさいッ!」
「ユーリィを返せッ!」
怒り狂った二人を見たアラクネは、足を高速で動かして巣穴へと逃げ帰った。俺を小脇に抱えたまま。
「なー、諦めて俺とユーリィを解放しろよ」
糸のおかげで温まりようやく喋れるようになった。
「嫌よ! 私は子供を育てるのが趣味なの!」
「イカれた趣味だぜ。ま、返却しないとルナとライジュに殺されるけどな」
そう言うと、アラクネの表情が曇った。生い茂る木々を抜けて洞穴に辿り着く。すぐさま松明を吹き消して、中を闇で満たす。
天井に逆さ吊りにされた俺は頭に血が上りすぎないかを心配しながら助けを待っていた。
「おい、隣に誰かいるのか?」
「あ、ユーリィ。ぶら下げられてたのか」
「ユウスケか。お前も捕まるとは、ドジだなぁ」
「初っぱなに捕まった人に言われたくはございません。何でルナと寝てるのに捕まるんだよ」
「いやー、小便しに森まで行ったのよ。したら、捕まってさ。一応終わるまで待っててくれたみたいだけど」
「あいつ、子育てが趣味らしいぜ」
「えー……引くわ……」
いつもと変わらぬサイズの声で話していると、ルナとライジュの話し声が聞こえた。
「ここだね。ユーリィの匂いが濃いよ」
「ユウスケ! ユーリィ! いるなら返事をしてください!」
「おーい! ぶら下がってるぜー!」
「アラクネはどこにいるんですか?」
「その辺にいるから気を付けろ!」
ルナが口を開け、喉奥に火を灯した。洞窟全体が明るく照らされ、全貌が明らかになる。
壁や天井に貼り付けられた無数の人間。しかも子供ばかり。
全員元気に生きているが、どことなく表情がおかしい。
無理矢理捕らえられているはずなのに、ニコニコと笑っている。何か毒でも打ち込まれたりしたのだろうか。
「アラクネ!」
ルナの一声で吊るされた子供達が怯えた顔つきになり、揃ってアラクネの名を呼び始めた。この異常な状況に、俺はただ静観するしかできなかった。
「……これだけの人間を集めて、食うつもりですか?」
「さっきも言ったように、私は子育てが趣味です」
「だからと言って他所の子供を拐うのは如何なものかと」
「拐う? この子達は孤児なんだよ? だからせめて私が母親代わりになってあげなきゃダメじゃない!」
必死の意見に、ライジュはどこか冷めた様子で返した。
「貴女が子育て好きとかそういうのはいいから、ユーリィ返して」
「貴女みたいな獣人に人の子は育てられませんわ」
──ああ、獣人差別かと溜息が漏れる。何故獣人差別するのか。
あんなにもふもふで、あんなにも可愛らしく、人にはついていない耳や尻尾がついている生き物を差別するのか。
明らかに人よりも賢く、強い獣人だって存在するはずだ。なぜ平等に扱えないのかが不思議でしょうがない。
獣人差別についてコーディアは諦め気味だったが、ライジュはどうだろうか。
「蜘蛛女に──」
ライジュが指鉄砲の構えをとった。右腕を前に突き出し、親指とひとさし指を開く。その他の指は折り畳んである。
「よせライジュ!!」
「言われたくないッ!! 」
ユーリィの制止も虚しく、ライジュの指から凄まじい雷撃が迸った。一瞬にして髪の毛が逆立った。
アラクネは洞窟の奥底まで吹き飛ばされ、動かなくなった。
「お母さん!」
糸にくるまれていた子供達が抜け出してアラクネに駆け寄る。俺とユーリィ以外の糸は緩めに巻き付けていたらしい。
「悪い犬め! お、お母さんに手を出すな!」
勇敢なる一人の少年がライジュの前に立ちはだかる。蹴りの一つで吹き飛ばせるが、ライジュは困ったようにルナを見る。
「私達は後ろの人間が欲しいだけです。それ以外に用はありません」
複数の子供達が俺に掴まる。重さで糸が耐えきれなくなり、ぶちッ、と床に落とされる。絡み付いた糸も子供に外してもらう。
「ありがとな」
ユーリィを天井から下ろす。糸も取ってやると、頭を軽く振った。
「ちくしょー……くらくらするぜ……」
よたよたとアラクネの近くまで行く。
「ありゃあ……死んではいないけど危ないなこりゃ」
「回復魔法とか使えんのか?」
「使えない、けど生命譲渡魔法なら使える」
「何それ」
「誰かの生命力を対象に送り込むっていう魔法。できれば若い男がいいんだよな」
言って、俺に目を向ける。まさか、俺に命を寄越せと言いたいのか。
「はー……しょうがねぇな」
母親の命が掛かっているとなると、やらざるを得ない。
「どうすればいいんだ?」
「腕を出してくれ。あと剣貸して」
右腕を差し出すと、その手を掴まれた。アラクネの心臓がある位置に俺の手を乗せ、海神の剣を深く突き刺した。
「いっ……!!」
洞窟内がざわつき、子供達がユーリィを批判する声が上がる。
「我、汝に問う!」
歌うように節をつけてユーリィが叫んだ。
「汝、この者に生命の結晶を譲渡することを誓うか!」
「ち、誓います」
「我、ここに宣言する! ユウスケの清き命の源は死に近きアラクネへ分け与えられん!」
傷口が緑色に煌めき、血液が噴き出した。それはアラクネの胸の傷へと吸い込まれていく。
アラクネの顔に生気が戻ってくる。逆に俺は頭がくらくらしてくる。
「もういいぞ」
手を離すと、俺とアラクネの傷が塞がる。アラクネが目を開け、周りを見まわす。
「……私は」
「ライジュにブッ飛ばされて死にかけだったんだぜ。それをユウスケが血液を分けてくれたんだ」
「坊や……」
「あ……?」
俺こそ倒れそうで、壁に手をついて立つのがやっとだ。
「お礼に何をしてあげましょう」
「血をくれ……」
吸血鬼のような言い方だが、視界がぼやけている。
「血はあげられませんが、これなら」
優しく抱き寄せられ、口に何かを押し込められる。ほんのりと甘い、飴のようなものだった。
それを舐めていると、だんだん気分が良くなってきた。
「ありがとう」
「蜘蛛飴が口にあって良かったわ」
蜘蛛飴の材料が何かは問わない方がいいだろう。そんな気がする。
「では、私達はこれで」
子供達に別れを告げて洞窟から出る。出口までアラクネも見送ってくれた。
「ライジュ、やりすぎだぞ」
「ごめん……」
あの威力を見るに、獣人大会の覇者というのも頷ける。喧嘩はしなように、と肝に命じておこう。
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