「あそこですね」
雲の切れ目から顔を覗かせる。
大きな農園の近くに洞窟があった。そこから大量のゴブリン達が出て来て作物を引っこ抜いてまた洞窟へ戻っていった。
「私、あの小さな洞窟には入れません」
ルナが何度か旋回して洞窟付近に降り立つ。柔らかな着地で衝撃は微塵も感じなかった。
「次に作物を荒らしに来た時に襲うか?」
「次がいつかなんてわかりませんよ」
「それもそうだな……」
何かいい案は無いかと周囲を見回す。と、その辺に野球ボール程度の石が落ちているのに気がついた。
「……やるしかないか」
「何をするつもりですか」
「石を持って穴の中に入る。で、ある程度来たら石を投げてゴブリン達が襲いかかってきたら逃走。外に出たらルナが一掃する。どう、この作戦」
「仮にゴブリンが遠距離攻撃を仕掛けてきたらどうするつもりですか」
「そこは運に身を任せるしか無いだろ」
「運って……召喚されたときにモンスターマスターというハズレを引いたユウスケに運があるとはあまり言えませんね」
「魔王軍の中でもとてつもない力を持つシルバードラゴンと仲良くなって、俺の為だけに戦ってくれるとまで言わせたから運がいいのだ」
呆れてものも言えないルナに背を向けて石を拾う。突撃のためにストレッチをしていると、背後から悲鳴が聞こえた。
振り返ると、農具を持った男が腰を抜かしていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ひ、ひいいいいいっ! く、食わないでくれぇ!」
「食う?」
「私を見て怯えているのでしょう。普段は本拠地で動かない私がこんな辺境にいるから」
「安心してよ。ルナは人を食ったりしないよ。だろ?」
「さあ、どうでしょう。時と場合によります」
真っ赤な舌をぺろりと出して微笑む。それにより男がさらに怯え始めた。歯の根が合わず、あわあわと震えている。
「落ち着いてって。俺達は金塊洞窟のゴブリンを退治しに来たんだ」
「ほ、ほほほ本当か?」
「本当。ほら、グリモアにも書いてある」
依頼項目を見た男はほっと一息ついた。尻の泥を払いながら立ち上がると、突然態度が大きくなった。
「ああ……ようやく来てくれたか」
「遅れてすんません」
「まったく、ギルドの連中は遅れた上に魔物と仲良くするガキを寄越すのか」
「我々を侮辱しましたね?」
鋭い目付きで睨むと、再び尻餅をついて男は失禁した。
こんな下手れを相手にしている暇はないと見切りをつける。
「そろそろ行くか」
石を持ち直して洞窟の入り口に近づく。冬の乾いた風のように冷たい風が身を凍えさせる。口呼吸をすると白い息がでてきた。
お化け屋敷よりも怖い曲がりくねった一本道を一歩ずつ進む。
「一本道なのはありがたいな……」
金塊洞窟と言えども入り口辺りの金は根こそぎ取られているようで土と岩の壁しかない。
「そ、そろそろ石、かな」
農具男とは別の理由で歯をガチガチ鳴らしながら石を構える。野球の投球フォームのように振りかぶって投げた。
石は暗闇に吸い込まれるように消え大音響が──聞こえない。
「あれ……」
一拍遅れでカツーンと小さく聞こえた。
ひゅっと風が耳元で唸る。直後にガツンと大きな音が背後でした。
背後の壁に、俺の投げた石が突き刺さっていた。あの速度で命中していたら、死んでいる。
やはり、俺は運がいいようだ。
「誰だぁ……? 俺様の頭に石を投げたのはよぉ!」
暗がりから蛮刀を携えた緑色の肌の生き物が歩いてきた。
ゴツゴツとした体表と異様に盛り上がった筋肉、頭のてっぺんには大きなたんこぶができている。
こいつがゴブリンだ。
ゲームなんかでも醜いのだが、本物は想像以上に醜い。
おまけに口臭がきつい。ゴブリンとの距離は五メートル程なのに鼻が曲がりそうなレベルで臭い。
「ギルドからの遣いだな? てめぇら! オモチャがやって来たぜ!」
ゴブリンが洞窟の奥に向かって叫んだ。ドタドタと大量の足音が迫ってきている。早いとこ逃げなければ捕まって惨殺されるだろう。
「人間、てめえはここで死ぬんだよ!」
バカみたいな大声で笑い出したゴブリンに背を向けて駆け出す。足の速さには少しばか自信がある。
恐怖と運動不足で足がもつれそうになる。しかし出口の光が見えると同時にに希望も見えた。
あそこを抜ければルナが一掃してくれると信じて、ヘッドスライディングを決める。受け身とか知らない俺は無様に腹を打ち付けて息が止まる。
「はっはっは! 外に出たところでどうなるってんだ人間?」
愉快で残虐な仲間を引き連れたゴブリンがニタニタと笑っている。尖った歯は陽光を受けて不気味に煌めいている。
「ルナアアアアッ!」
のんびりと日向ぼっこしている銀竜に向けて絶叫する。
「ハッ! どうした人間、おいかけっこはおしまいか?」
蛮刀を高々と振り上げる。刃が俺の足めがけて振り下ろされる寸前、銀色の筋が走った。
槍の如く鋭い尻尾がゴブリンの心臓を貫いた。蛮刀がその場に落ちる。
「そんなに怒鳴らなくても聞こえていますよ」
尻尾を抜くと、大量の鮮血が俺の脛辺りに降り注ぐ。
「な、なんでシルバードラゴンが人間の味方してるんだ!?」
「私は血を見るのに飽きたのです」
どこがだよ、と内心で呟いて苦笑する。
驚き、留まっているゴブリン達から這って離れる。
それを確認したルナが胸いっぱいに息を吸い込み、ゴブリンめがけて吐き出した。
雪のように白い吐息は強力な冷気をはらみ、敵を一瞬で氷付けにした。
「他愛もない」
尻尾の一振りで氷の彫像と化したゴブリン達は四散した。体内まで凍っていたようで一滴も血は流れなかった。
「怪我はありませんか?」
「あ、ああ……なんとか」
やはり魔王軍最強の一角は伊達じゃないと高速で脈打つ心臓をなだめる。
「はたしてこれで全部なのでしょうか」
「さあな、また出てきたらギルドに依頼してもらえばいいさ」
ゴブリンの手から落ちた蛮刀を拾い上げる。
「そんなものどうするのですか」
「俺の武器として使う。それに武器なしでギルドに報告しに行ったら何言われるか分からないだろ?」
「それもそうですね」
「それじゃあ、依頼はこれで終わりでいいかな?」
農具男に尋ねると、氷の息を見て三度腰を抜かしたようだ。それてもなんとか頷くと、俺のグリモアが赤く輝いた。
依頼のページには赤い丸がつけられている。これで達成、ということだろう。
「それじゃ、俺達の事はくれぐれも内緒でな。ルナ、イーリアまで戻ろう」
彼女の背中に飛び乗る。根が張ったかのように動かなくなった男に手を振って飛び立つ。
「なあ、家建てるのってどんぐらいかかるんだろうな」
「さあ、私は建築に詳しくはありませんから」
「だよなぁ。それに服も買わなきゃいけないし。血でベタベタだよ……」
「ああでもしなきゃユウスケまで巻き込んでましたよ」
「流石シルバードラゴン。判断力がおありですね」
「優柔不断では戦で生き残れませんから。おや、町が見えてきましたよ」
最初に降りた地に着陸。さっと背中から滑り降りる。
時間的には三時くらいだろうか。町のあちこちから甘い匂いがしてくる。
「お金貰ったらおやつ買っていこうかな……」
と言い切ってふと思う。
──俺、この世界の貨幣を知らない。日本と同様の円か? それともドル? ゲームあるあるのゴールド?
「まあ、ルナに訊けばわかるか」
小走りでギルドに向かう。アンナに連れられて来たから道ははっきりと覚えている。
ギルドは相変わらず冒険者達で賑わっていた。自身のアビリティについて語り合っている者の後ろを通って依頼カウンターに。
「ほら、依頼終わったぜ」
グリモアを提出すると、受付嬢は目を丸くした。
「へぇー、死ななかったんだ」
「まあね」
「ほら、報酬金。七万五千テン。続けて依頼を受けてく?」
「いや、装備とか色々買わなきゃいけないから。また明日来るよ」
袋詰めされた貨幣を持ってギルドを後にする。ずっしりと重い袋を引きずって破らないように腹の前に抱えて運ぶ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!