闇の中で、不思議な残響を残す音が、耳朶を打つ。
うとうとしていた男は、こんな時でも身体は休息を求めるのだなと妙な感慨を抱いた。
カ・コ────ンン・・・
数瞬の後、再び耳を打つ清涼な響き。
男は、無言のまま、胸の内で数を数える。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・・
堕した境遇に、足掻くだけ足掻いた狂乱の日があった。
ヤツの思惑にのるものかと、激しい敵愾心を抱いた。
昼夜の別も分からず放置され、間に揺れる虚ろな混乱を過ごした。
不遇の日々を思いながら、ゆっくりと十まで数えたとき、青年を包む濃い闇がほのかに薄まった。男というより少年の域を脱したばかりの青年が、碗状にした掌てのひらを壁際に寄せると、ごろりごろりと蕗の葉に包まれた蒸し飯が転がり込んできた。
「おおーいいい・・・」
壁際に顔を寄せて声を発すると、四方で響いた声が空間を這い上っていく。
どうせ、返事は返ってこない。期待しないと言えば噓になるが、これまで応えを寄こすものはいなかった。だが。
「ごめんようぅ」
ここに落とされてから初めて聞こえた他人の言葉は、か細く湿り、震えていた。
「たあっ、頼むうぅ・・・、助けて・・・っ」
青年が壁に頬を擦りつけて懇願するも、無情にも濃密な闇だけが返ってきた。食糧の差し入れ口を閉ざされたのだ。
ざらりとした壁の凹凸に顔を擦り、削られた頬から鉄の匂いが立った。足掻いて割れた爪先と、破れたこぶし。今さら頬の擦り傷が増えたとて、なんとも思わない。もう幾度目になるかわからない重いため息を吐くと、焼き物でできた壁に寄りかかるようにして、青年はその手に残された飯を頬張った。
どうして。
どうしてこんなことに。
青年の嗚咽が呪詛となって地上にこぼれ出るが、辺りにそれを聞く者はなく、ただ濁った急流が泡を立てる昏い川面を流れていく。日に日に弱っていく彼の命脈は、もう ────
聡叡は旅の行商である。若く血気盛んな彼は、それまで一族が拓いてきた商路を外れ、大河の支流を遡り、山間の里を商機を探して彷徨っていた。
「おっ、お前、見ない顔だな。何してるんだい」
閉鎖的な山里では、初顔のよそ者は口もきいてもらえない。訪れる村々で早々に追い払われた聡叡は、もう今回の商いは失敗だったと消沈していた。独り立ちして初めての行商であったのに、ひと山当てようとする思惑虚しく、現実とは、かくもままならぬ。
顔面いっぱいに無精ひげを生やした男に声をかけられたのは、せめてもと、自生する見慣れぬ山草の類を採れるだけ採取しているときだった。
「ほーん、そりゃ難儀だったな、若いの。── それで、肝心の商いの方はどうするんだい」
「どうって…… あ、なにか欲しいものがあるか? 銭の手持ちがないなら、ここいらの特産と交換でもいいんだけど」
「そう……だな。交換か、それだ。……あー、お前さんがそこで集めてるような、草の根っこや木の実なら、俺の川沿いの小屋に置いてあるな。うん、そうだ。お前さんの商いものと交換してやってもいいぞ」
あごをしきりにしごきながら、胡乱に視線を彷徨わせた男は、こっちだと、先に立って歩きだす。
ようやく商売になりそうだと、気をよくした聡叡は、男の後をついていく。……そうして嵌められたのだった。
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