その時、『カーン』と芯を撞く音が頭蓋に響き、ショウの意識は一気に覚醒した。
両手を握る。開く。十本の指はスムーズに動き、右の人差し指には馴染みのペンだこ。頭の方はどうだ。
……今日は、195X年3月19日。僕は、ショウ・ターラー。
オーケー、オール・グリーン。レッツ・ジャム!
首筋に手をあてて、コキリと関節をならし頭をめぐらす。先程まで深く沈降していた思考の残滓は、サッパリと消え失せていた。
(……何を、考えていたんだったかな)
ザーザーとノイズが聞こえていた。途切れなく聞こえるそれは、高くあるいは低く、うねるように胸に迫る。冬の冷たい雨音のようであり、深夜のブラウン管から聞こえる砂嵐のようだった。
── ああ、とショウは思った。
あれは、潮騒だ。暗い海原の嘆きだ。いくつもの不安がザワザワと重なり合って奏でる、不穏のシンフォニーに満たされていた。
ショウには、時折こういうことがあった。物思いに耽ると、周りが見えなくなる。まるでひどく暗い深海に、身ひとつで沈み込むように、周囲の情報をシャットアウトしてしまうのだ。そしてそれが、往々にしてトラブルの種になる。
目の前には、こちらを探るように目を眇める赤毛の男。その細身ながらもかっちりと質感のある体を、手摺れ跡の目立つ古いビリヤード台にもたれかけて立っていた。
「ダスティン」
口をついて男の名がこぼれ出る。
…… そうだ、こいつはダスティン・ボウエン。写真が趣味で、いつだってエキサイティングな真実の瞬間を狙っている。
「皮肉屋だが根っこは善良な男。だが、それを指摘されると、そばかす顔に血が上り、誰であろうと、憤然と殴りかかってくる。ソウ、クレイジー」
── どうやら覚醒しきらない口から余計な言葉がこぼれたようだ。そばかす顔を紅潮させたダスティンが、見る間に迫ってきた。
「ひどい顔だな、ショウ」
ダスティンがニヤニヤと笑って寄こすが、乾いてこびりついた血痕が鼻梁にべったりと張り付いている。
そんな顔では恰好のつけ甲斐がないだろう。ショウがそう指摘すると、お前さんのチャーミングな左目の隈取りほどじゃないさ、と嘯いた。
ふたりは、突堤でひとしきり吹き曝された上に大波をかぶったかのような風体を昼下がりの大通りにさらし、排ガスくさい車道を慣れた様子で横切った。ヨレヨレのジャケットの裾からは、互いにぶちまけ合った味の薄いビールのしずくが滴り落ちる。埃っぽい車道に点々と軌跡を残そうとするが、後続の車の波に次々と揉み消されていった。その時、
重低音が圧力をもって走り抜けた。
タイヤが滑る擦過音。高く鳴くブレーキ。そこに、衝突と破壊の悲鳴が連鎖した。
ふたりの眼前で疾風のごとく路地から飛び出した車が、ストリートに突っ込んだのだ。
路上では、ビリヤードの盤面のように、あたり一面に車体が散開していく。
直進するベクトルの物理法則に従って押し出された車両は、先行車両や後続車を巻き込んで流れを堰き止め、瞬く間に辺りは騒然となった。
複数のクラッシュ車両に囲まれ、唖然する彼らの元へ、その黒い縮れ毛を逆立てんばかりに激昂した様子の男が、のっそりと歩み寄ってきた。
「おう、お前ら」
かすれた重低音でふたりに声をかけると、男は恰幅の良い背広のあわせから、ギラリと鈍く光るナイフを取り出す。ショウの背に、ひやりと一筋の汗が走る。
続けて鷹揚に取り出した葉巻を切ると、男はあっさりとナイフをしまった。背後にピタリと従う手下が、恭しく火種を差し出して葉巻に火を点けさせる。ふう、と紫煙を高々と吐き出して、男は口ひげを震わせた。
「・・・・・・お前ら、俺の納車したてのキャデラックに突っ込みやがったイカレ野郎を、教えちゃくれねえか?」
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