僕の目の前を、何かが過ぎていった。
一瞬、強い風が吹いて、顔にぶつかった。思わず目をつむってしまった。
けど、風はすぐに止んだ。僕は目を開けた。あのルイスとかいうめちゃくちゃ怖い奴みたいな龍いた。
腰が引けて、まだ何もされていないのに、怖くて思わず一歩後ろに下がってしまった。けど、怖くて怖くて仕方がないのになんでかわからないけど目が離せなかった。
あ、で、でも! 鱗の色が違う。も、もしかして、違う龍……――?
恐る恐る上を向いて、顔を確認した。角の形も違った。
大きくないし、平べったくもなければ、垂れてもいない。むしろ小さくて、とんがっていて、ピンと上を向いている。
ふと、自分の角の大きさが気になった。首を曲げて手で触って大きさを確認してみる。
同じ、くらい……、いや、僕の方が大きい! たぶん……。いやきっと!
自分の方が立派な角を持っている。それがわかって、なぜだかわからないけれど、ふつふつと自信が湧いてきてなんだか自分が立派なんだと思えてきた。
自信と誇らしさを胸に、今度は堂々と、小さい角の龍顔を見た。すると小さい角の龍もこっちを見てきた。お互いの目があった。
「――? 竜擬……、いや、飛竜か? ……なるほど、奴らが隠していたのはお前か……。」
声と一緒に目の前に黄色い波が漂い始めた。
どうやら僕に興味があるみたいだ。なるほど。じゃあ、この僕の立派な角を、もっとよく見せてあげないと――。
僕は小さい角の龍に、僕のこの自慢の角がよく見えるように、少し下を向いて首を前に出した。
「ほう、王を前にして頭を垂れるとは、存外賢いな。それに下手に逃げ出す素振りもない。役に立ちたいのか。ずいぶん献身的じゃあないか」
小さい角の龍が出す声の波にほんの少し赤みが差して、色が濃くなった。
「であれば、先にこっちを片してからでも、問題はないな」
小さい角の龍の視線が僕から逸れて、ママの方を向いた。
「それに比べイツポル、お前はどうだ。主人に対し、余計な面倒をかけさせおって、いけない従者だ…… ――」
小さい角の龍の声の波の色が、ママに向けられた途端に泥のように濃い毒々しい色へと変わった。声の波は妙なベタつきを帯びていて、ママ体に絡みつくようにしてねっとりと流れている。こんな気持ちの悪い波を見たのは初めてだった。
どう考えたってよくない波だ。
こんな気持ちの悪い波をママに浴びせるなんて……そんなこと絶対ダメだ! これは、立派な角を持つこの僕が、ちゃんと注意しなくちゃ!
「君がいま話しかけているその龍は、僕のママだぞ!! 君より立派な角を持つこの僕の! だから、そんな気持ちの悪い波を浴びせるな!」
しかし、小さい角を持つ龍は僕のことを無視して、ママの肩に触れた。
「――いきなり逃げ出すとは。ずいぶんと躾がなっていないようだな、イツポル。これは、小屋の続きだけじゃあ到底足らんな。追加の躾も考えねば――」
泥のような波が、纏わりつくようにしてママの体全体を包む。ママは体を細かく振るわせていた。
ママが怖がっている! ここは、この立派な角を持つこの僕が助けなくちゃ!!
「やめろ! ママが怖がってるじゃないか! いますぐ、 |その気持ち悪い声を出すのをやめるんだ!! いますぐやめないと――――」
僕は一生懸命に小さい角の龍に呼びかけた。しかし、小さい角の龍は、まるで僕が見えていないみたいに無視を続け、あろうことかママの腕を掴んだ。
「まぁ、まずは途中だった分の続きだ――」
ママの体を包んでいた声の波が蠢くようにして腕に向かって動き出し、ママの腕に纏わりついた。
小さい角の龍は指を立てた。指先にはものすごく鋭い爪が生えていた。爪の先がキラリと光った。小さい角の龍は爪の先をママの腕に近づけていった。
まさか! ママを傷つけるつもりじゃ?! ダメ! それだけは絶対に許さないぞ!!
僕は小さい角の龍に向かって飛びかかった。
「うるさいぞ。」
頬に硬い何かかがぶつかった。そのまま、ものすごい勢いで吹っ飛ばされ、叩きつけられるかのようにして木の幹に思いっきりぶつかった。
「貴様の相手も後でしてやる。だから黙ってそこで見ていろ」
濃く鮮やかな赤い声の波が僕に向かってくる。波が顔にぶつかった。実態を持っている訳でも無いのに、さっき叩きつけられたのに負けないぐらいの衝撃を受けたように感じた。
こ、殺される……!! い、いますぐにげなきゃ!
足が後ろに下がって、反射的に首が後ろを向いた。
「い……、ゃ……――」
ママの声がした。咄嗟に首がママの方へと振り向いた。今にも消え入りそうなくらい薄く儚い青い色をした波が一瞬だけ、見えた。
ふと、昔の、まだ殻に包まれていた頃、はるか昔の記憶が頭の中をよぎった。
そうだ、昔も、あの頃も、激しく荒々しい真っ赤な波に紛れて、こんな……、いまも消えちゃいそうな弱々しい声の波が、聞こえて、見えた時があった。
そうだ、決まってその波が見えた後は、もう二度とその声と同じ声が聞けなくなったんだ。
しかも、その声の波が見えたときに限って、僕に語りかけるママの「大丈夫」という声は少し震えていた。
だめだ、いま僕がここで逃げ出したら、今度こそ、今度こそ本当に、ママの声が二度と聞けなくなる。せっかく、やっと、いまになってやっと出会えたのに、なのにまたすぐ、それもきっと、この先ずっと、またママの声が聞けなくなる。またママの声が聞けなくなっちゃうなんて……! いやだ! そんなの……そんなの絶対に嫌だ――!!
足に――、胴体に――、翼に――、全身に力が入った。思いっきり歯を食いしばって、全力で地面を蹴って、ママに触れようとする恐ろしい龍の腕に向かって飛びかかった。
そのまま、地面を蹴った時よりも強く、顎が砕けてしまうほどの力を込めて僕は、恐ろしい……――いや、小さい角の龍の腕に、思いっきり噛み付いた。
「グァアアァァア――!!」
僕に腕を噛まれて、小さい角の龍が大声を上げて叫んでいる。
「なァアにをするゥゥウ!!!!」
瞬間、景色がものすごい速度で流れいった。直後、何かに叩きつけられるような衝撃があった。
視界が霞んでいる。翼の先っちょすら動かせないほど全身が痛い。
小さい角の龍がこっちに向かって歩いてきている。
やっ……た、あいつの注意が、ママから僕に、向いた……。よかった、これで、ママが、た、す……、か、……――?
途中、なぜか、小さい角の龍の足が止まった。小さい角の龍のの視線が下を向いた。つられて僕も同じ場所に視線が動いた。
ママがいた。ママの手が小さい角の龍の後ろ足に触れて……、いや、小さい角の龍の足を掴んでい、る……? なんで……?
疑問が浮かんだその瞬間、小さい角の龍の足が後ろに下がっていく。
まさか――?!!
足の動きが止まった。
ダメだ! 止めなきゃ!
どうにか動こうとして、体に力を込める。だけど、指先一つびくともしない。
う、ご、かない……! でも、止めなきゃ……! でも、どうやって?! 体は動きそうもない、もう、声しか出ない……、それで止まる……? むりかも……、でも……。――でも、止めなきゃ……! もう、なんでもいい……! 絶対に止めなきゃ!!!!
もう一度、全身に力を込め、どうにかして地面から体を持ち上げた。
力を込めれば込めるほど、身体全体が熱を持ち、熱くなった。
熱が喉へと集まるような感覚がした。
ふと、ある言葉が頭に浮かんだ。
僕はその言葉を全力で叫んだ。
「“ヴリィギイ――――”!!!!」
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