「ほう。建国とな」
媚眼秋波。
ミュリーシアから澄んだ視線を向けられ、トウマは心臓の高鳴りを自覚した。
星明かりだけの闇の中。
むしろ、彼女の存在に遠慮して光も遠ざかっているのではないかと錯覚する。
「いや、深い考えがあっていったわけじゃないんだ」
だから、トウマもつい言わなくていいことを口にしてしまう。
「ただ、初めて見たとき彼女――ミュリーシアがいればそれだけで華やかな王宮みたいになるなと思ったことからの連想で」
「……は? なんじゃと?」
黒くスリットの深いドレスを身にまとった美女が、よろめいて再び壁に体をもたれかからせる。本音以外のなにものでもない。それが、嫌と言うほど伝わったから。
「ミュリーシアの存在自体が華やかで、どんな場所でもここが王宮だと錯覚してしまうなと」
「繰り返せと言ったわけではないわっ。トウマよ、正直に言えばいいというものではないのだぞ?」
「嘘をつくのは良くないことだろう。もちろん、嘘ではないけど」
「そういうところじゃぞ!」
ミュリーシアに怒られ、トウマは少しだけ反省した。
年下の幼なじみ、レイナからも似たようなことを言われた記憶がある。
だが、今はそれどころではない。
「でも、建国というアイディア。それ自体が間違っているとは思えない」
「自信ありげだの。良い。語ってみせよ」
横暴にも思えるミュリーシアの言葉。けれど、不快感はない。ただ純粋に、似合っていた。逆に、へりくだられたら全力で止めただろう。
「どの程度、形にできるか分からないけど……」
軽くうなずき、トウマは建国と言い出した自分自身の思考をトレースする。
「まず、ミュリーシアの希望。俺たちみたいな人を助けたいというのは、とても立派だと思う。こんな状況で出てきたところが特に」
「それこそ、妾も深い考えがあっていったわけではないがの」
そう言いつつも、満更ではないという様子でミュリーシアは羽毛扇を振った。
「でも、助けるっていうのは、ただそれだけじゃだめで。ちゃんと自立して、生活ができなくちゃいけないよな?」
「生活……。まずは、食料かの?」
「それだけじゃないけど、最優先事項だな」
「血で腹がふくれぬ生き物は不便よな」
ドラクル――吸血鬼の言うことは一味違った。
「トウマの言に理があることは分かった。確かに、聖魔連邦と聖魔王の支配域から逃れる形になるだろうからの」
「聖魔王? 聖魔連邦?」
聞き慣れない単語に、トウマは瞬きをした。
「妾たち……というのも今さらじゃが、いわゆる“魔族”の集合体を聖魔連邦。互選で選ばれた指導者を聖魔王と呼んでおる」
「そうか、聖魔連邦か。それはそうだよな。自分で魔王軍なんて名乗るはずないよな」
言われてみれば、まったくその通り。
そもそも、聖魔王であって魔王ではないというのだ。
「国というよりは、“魔族”たちの寄せ集めだがの」
「光輝教会がそれを知らないはずないな。プロパガンダか」
「なに。聖魔連邦も、この世界の神々を殺し尽くした人間種を諸悪の根源のように扱っておるしの」
最悪の、どっちもどっちだった。
「何百年と続いておる対立よ。もはや、どちらが良いも悪いもないわ」
「……話を戻そう。その光輝教会からも聖魔連邦からも独立するとなると、誰もいない土地に移り住んで開拓することになるよな」
「であろうな」
恐らく。いや、間違いなく命懸けになるだろう。
そう言外に伝えると、ミュリーシアは赤い瞳に決意を宿した。
「そこは、妾が責任を持つしかあるまいて。とりあえず、妾が獣なりなんなり狩ってきて食わせるだけならできなくはなかろう?」
「ミュリーシアが言うんなら、できるんだろう」
その決意に水を差すのは嫌だったが、言うべきことは言わなくてはならない。
「でも、それじゃだめだ。言い方は悪いけど、ミュリーシアに依存するだけで終わってしまう」
助けるのはいいが、重要なのはその後。
トウマは、受験の小論文対策で憶えた人道支援の事例を思い出していた。
ただ食料を与えるのではなく、最終的には自分たちで生み出さなくてはならない。
「きちんと働いてもらうことと、その環境整備が絶対に必要だ」
「そのためには、国という形態が必要だと言うのじゃな?」
ミュリーシアが小首を傾げると、銀髪が夜の波のように揺れた。
思わず見とれてしまいそうになりながら、トウマは言う。
「それに、理念で言えば光輝教会の下で虐げられている人類も対象なんじゃないか? いるかどうかは調べてからになるけど」
「むむ。その通りだの。“魔族”も人もないと言ったのは、妾だからの」
思っていたよりも、壮大な望みだった。
そのことに気付き、ミュリーシアは下を向く。
なぜだか悪いことをしたような気がして、トウマは慌てて手を横に振った。
「難しいとか不可能と言ったわけじゃなくて、たくさんの人が対象だって指摘したかっただけだ」
「……ふむ。気を遣わせてしまったようじゃの。それで? 終わりではないのであろう?」
「ああ。そういう人を受け入れる器として、新しい国が必要なんじゃないかって」
「なるほどの。国を作るという意図は理解した……ように思う」
闇の中、赤い瞳をトウマへ向けミュリーシアは口から牙を覗かせる。
「じゃが、トウマよ。それだけなら、別に村でも町でも良かろう?」
「それは……確かに、そうだ」
光輝教会にも“魔王”にも属さない、新しい村がある。そこに移住しませんか。
それで充分ではないか。
納得しそうになり、その寸前でトウマは首を横に振った。
「いや、違う」
「どう違うのだ?」
「安心感が違う」
「安心感?」
訝しげなドラクルの姫に、元勇者は自信満々にうなずいた。
「国として移民を募集するのと、村があるから来ませんかじゃ大違いだろう?」
「なるほど、それはそうだの。民心のよりどころとしての新しい国……か」
雪よりも白い指で唇をなぞり、ミュリーシアが納得する。
「それにやっぱり、村じゃ駄目なんだ」
「どうしてかの?」
「つまらないだろ」
「……は?」
なぜ、そんな話になったのか。
驚きに、ミュリーシアは赤い双眸を瞬かせた。
「なにが面白くないというのじゃ?」
「せっかくだから、目標は大きなほうがいいじゃないか」
「狂人の戯言になりはせぬか?」
「目の前にでっかい紙がある。そこに絵を描くときに真ん中にちっちゃくじゃつまらないと思わないか?」
本気だ。
この元勇者は本気だ。
気付いたら、ミュリーシアは笑っていた。
「良い、実に良いな」
声には張り艶が出て、心も浮き立つ。
要するに、楽しかった。
「うむ。それはそうだ。どうせやるなら、面白いほうが良いに決まっておる」
いいように使い捨てられた者が、新たに国を作る。
どんなに小さくとも、国であれば光輝教会や“魔王”と同格だ。
なんとも、痛快ではないか。
「しかし、それが本当に可能かの? 世界そのものに、ケンカを売るようなものであろう?」
「ミュリーシアの理想を叶えるよりは簡単だと思う。それに、命を助けてもらったんだ。俺も、できる限り協力する」
「よう言うた。ならば、これから我らは“共犯者”というわけだの」
紅口白牙。ミュリーシアの艶やかな唇から、白い牙が覗く。
最初は、どこかで幸せになってくれればと思っていた。
だが、もう逃がしはしない。
このわずかな時間で、彼女の中では決定事項となっていた。
「そうなると、孤島に逃げ込んだ妾の判断は間違っておらなんだな」
「孤島? ここは島だったのか。そういえば、ここは一体どこなんだ?」
遅ればせながら、トウマは重要な疑問に思い至った。
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