「目覚めたようじゃな、異界の勇者よ」
「ああ……? 俺は……?」
トウマが目を醒ましたのは、朽ち果てたあばら屋だった。
穴の開いた天井から星明かりが漏れ、艶やかな銀髪と雪よりも白い肌と燃えるような赤い瞳が浮かび上がる。
一顧傾城。
廃墟同然なのに、彼女がいるだけでここが壮麗な王宮のように思える。
現実感のない美貌に、数秒トウマは呼吸を止めてしまった。
「夢……?」
「ふっ。だとしたら、悪夢ではないかの」
壁にもたれかかりながら、銀髪の美女が皮肉気に言い放った。
トウマとしては、彼女の存在が夢のようだったと感じただけだ。
ジルヴィオに殺されかけたことが夢だと言いたかったわけではない。
もちろん、それを忘れたわけではない。
だが、痛みも喪失感もなく。目の前の彼女があまりにも……。
あまりにも……。
「……痛くない?」
「それは重畳」
「もしかして……」
「うむ。治しておいたぞ」
雑草が侵入してきた床に寝かされていたトウマは、手をついて立ち上がった。
手をつけた。落とされた手が、マジックアイテムの指輪と一緒についている。
「急に、いかがした? まだ夢見心地かの?」
「助けてくれてありがとう」
体をほぼ直角に曲げ、率直に感謝を伝えるトウマ。
その生真面目な態度に、銀髪の美女は壁から体を離してぽかんとしてしまった。
「ふっ。はははははは。良い、良いな。それだけで、気まぐれの代価は得たわ」
「感謝をするのは、当然だと思うのだが」
「それが、妾のようなモノでも?」
「それはもちろん」
「今代の勇者は、傑物だの」
興が乗ったと、言葉を続ける。
「では、自己紹介といこうではないか。妾は、ミュリーシア・ケイティファ・ドラクル。魔都モルゴールの番人にして、吸血種ドラクルの姫である。いや、あったが正しいかの」
「ドラクル。やっぱり、魔族の……」
「我らは、自らを魔族ではなく源人と呼ぶが……。まあ、魔族で構わぬわ」
「ああ、そういうことか。やっぱり、光輝教会に騙されていたわけだ」
光輝教会から。正確にはジルヴィオから、“魔族”は悪の使いだと教えられていた。
だが、銀髪の美女――ミュリーシアはとてもそうは思えなかった。
その“魔族”に助けられたトウマ自身は、一体なんになるのか。
「俺は、稲葉冬馬。光輝教会に召喚された勇者。いや、元勇者で死霊術師だ」
「ほう。死霊術師。モルゴールのアンデッドを爆破したのは、死霊術師のスキルであるな? ふむ。そういうことか……」
「ああ。俺がもう少し慎重だったなら……」
トウマは、指輪をしている手をぎゅっと握った。
「アンデッドたちを解放してくれたことには、感謝しておるのだ。そんな泣きそうな顔をするでないわ」
「そうだな。泣いて済む問題じゃなかった」
「おい、真面目すぎるわ。あのアンデッドたちは、本国で罪を犯して処刑された者や様々な事情があった者のなれの果てよ。命令ゆえ従えてはおったが、気持ちの良いものではなかったのう」
「そんな事情が……。お互い、きれい事じゃ済まないということか」
残酷な現実に、二人は思わず顔を見合わす。
「せっかくの機会じゃ。光輝教会が、妾たちをどのように罵っておったか聞かせてくれぬか?」
「それは構わないけど……。まず前提として、神様が戦争をしたっていうのは事実でいいんだよな?」
ミュリーシアは、静かにうなずいた。
まるで北欧神話のラグナロクのようだった、神蝕紀の大戦。
根本的な部分に相違はないと確認して、トウマは続ける。
「それによる世界の荒廃は旧き神々の責任であり、その信奉者である“魔族”も同罪だって」
つまり、世界そのものへの反逆者。罪人であり、生きる価値はないというわけだ。
「我らも、人類種は創造主である神と世界への裏切り者だと伝えておるぞ」
「その世界が滅亡せずに済んだのは、異界の神が旧き神をすべて殺したかららしいが?」
「世界が崩壊するまでやるわけがないであろう。異界の神が介入しなければ、ほどほどで手打ちになっておったわ」
人類種は、自らが呼び込んだ異界の神が世界を救ったと思っている。
“魔族”は、ある程度で収まるはずの諍いがとんでもないことになったと考えている。
溝の底は見えなかった。
「そこで終わっておけば良かったのだがのう。神々の大戦――神蝕紀が終わった後、どちらからともなく戦争を吹っ掛けての」
「人間と魔族。どっちが世界の継承者になるか決める、継承者戦争だな。人類が優勢だって教えられたけど」
「うむ。そこは真実だな。元々住んでおったミッドランズから、かつて暗黒領域と呼ばれておった土地にまで追いやられておるわ」
暗黒領域。光輝教会からは、魔族領域と教わっていた地のことだろう。
トウマは、なんと言っていいのか分からなかった。
こじれにこじれた状況に、光明が見えない。
しかし、まだ話は終わらない。ミュリーシアは、密かにため息をついた。
「こんな時に言うのもなんだが。妾も、ちょうど同族から使い捨てにされたところでの」
「もしかして、あの爆発は?」
「トウマ――こう呼ばせてもらうが、察しが良いの」
鈴を転がしたような美声に名を呼ばれ、独りでにトウマの心臓が跳ねた。
けれど、そんな変化に気付かずミュリーシアは続ける。
「アンデッドが連鎖的に爆発をした時点で、妾は敗北を悟らざるを得なんだ」
難攻不落を誇った魔都モルゴール。とはいえ、万一の備えがないわけではない。
緊急通信用のマジックアイテムも持たされており、それを起動したところ……。
「実は都市の地下に仕掛けられておった巨大魔力核、闇の神晶の起爆装置だったわけよ」
「ああ、そうか。あの爆発はそれで……」
通信機器だと思って起動したら、自爆装置だった。
それは、忠誠もなにも一緒に砕け散って余りある。
「なにも言えないな、それは……」
またしても、二人は顔を見合わす。
お互い、完全に無表情だった。
世界の不幸を集めたら、きっとこうなるのだろう。
立ち直りが早かったのは、意外にも当事者であるミュリーシアだった。
「それで……立ち入ったことを聞くがの。これからどうするつもりかの?」
「それは……」
行く当てなどない。
レイナ、年下の幼なじみのことは心配だが、下手に会いに行くのもお互いに危険だ。
トウマにできるのは、首を横に振ることだけ。
「俺のことは気にせず、故郷に帰ってくれていい。なんとかするさ」
決して事態を甘く見ているわけではない。
だが、一度死にかけて良くも悪くも吹っ切れた部分がある。
なんとかなるだろうし、いずれレイナに会うという目的もある。決して自暴自棄というわけではなかった。
意外にも、当てがないどころか目的もないのはミュリーシアのほうだった。
「それは奇偶だの。妾にも、帰る場所などないわ。そもそも、モルゴールにおったのも、跡目争いで叔父にハメられたからだしのう」
「行く当てがないところまで同じでなくていいんだが?」
「仕方あるまいよ」
わははははと、ミュリーシアはついに笑った。笑うしかなかった。
閉月羞花。
そうしていても、月を恥じらわせ花も閉じてしまう美しさは健在。問題は、笑っている場合ではないということだけ。
では、どうするのか。どうしたいのか。
「希望のようなものは、なにかないのか?」
「そうよの……。もはや、源人――魔族も人もないわ。ただ、妾たちのようにどこにも身の置き場がない者の力になりたい。今となっては、それだけが望みよ」
吸血姫――ミュリーシアは、そう言った。
「それなら、国を作るしかないな。新しい国をさ」
死霊術師――稲葉冬馬は、そう答えた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!