「生きてるって、素晴らしいな……」
久方ぶりに地面へ降り立ったトウマは、やや険のある視線を空に向けていた。
人類が憧れ続けた青空。しかし、それは届かないからこその憧憬ではないだろうか。
「共犯者の言に同意せぬでもないが、生き延びられるかはこれから次第ぞ」
「そうなのです。食べ物を探すのです!」
空を飛ぶことが当たり前な二人に、トウマはなんともいえない表情を見せた。
笑うと幼くなる顔に、似つかわしくない影が差す。
だが、それも一瞬。トウマは、現実に立ち返った。そろそろ、空腹も限界が近い。
「俺たちの目の前に、森が広がっているわけだが……」
具体的な種類までは分からないが、恐らくは広葉樹だろう。
樹木が密生し、青々とした葉が茂っている。
地球の植生とはまた違うのだろうが、森の恵みは豊かに思える。
「ところで、食べられる草とかキノコとか分かる人――」
「妾たちにとって、血液以外の食事は娯楽と変わらぬ」
「よく分からないのです!」
「――は、いないな。それはそうか」
ドラクルの姫。日本の高校生。記憶が曖昧なゴーストの少女。
どこをどうひっくり返しても、サバイバル知識が出てきそうにない。
「それに、キノコって栄養はあんまりないらしいしな……」
「獣を狩れば良かろう。焼けば、食えるであろう」
「この際、注文のない料理店で行くしかないか」
「その店は潰れているのではないか?」
「……確かに」
とにかく、質より量。味は二の次とするしかない。
「では、征くぞ」
「行くのですよー」
意気揚々と森へ分け入る二人を、トウマは慌てて追った。
物理的な制約がほとんどないリリィは元より、自然の森がまるで似合わないミュリーシアも歩みに惑いはない。
ついていくのがやっとで、周囲を観察する余裕などなかった。
そんなトウマに、ミュリーシアはふと思いついたように尋ねる。
「ところで、共犯者はどの程度使えるのだ?」
「どれくらい戦えるかって?」
剣を振るポーズで聞いてきたため、トウマにも言わんとするところは伝わった。
獲物を狩るとなったら、確かに必要な情報だ。
「そうじゃ。妾は、先ほどから見せておる通り影で一通りのことはできるぞ」
ドラクルの種族能力、影術。
鏡に映らなくなる代わりに得たという、影を実体化させ自在に操る力。
「影を杭とすれば金属の鎧も容易く貫き、盾とすればいかなる名剣も弾き返す」
「じゃあ、その影術同士が打ち合ったら?」
「力が強いほうか、数が多いほうが勝つに決まっておる」
「うん。それはそうだ」
楚人の商人にはできないばっさりとした答えに、トウマは屈託なく笑う。ミュリーシアらしくて、気に入った。
「物理的な干渉に限られるけど、ある程度万能だっていうのは理解した」
「うむ。このドレスも、影を編んで作ったものだからの」
「ええっ? ミュリーシアは裸なのですか!?」
誇らしげに言うドラクルの姫に、ゴーストの少女は素っ頓狂な声をあげた。
「裸ではないわ。ちゃんと、影で編んだドレスを着ているであろうが」
「でも、服を着てないのですよ?」
「じゃから、これが服じゃと」
「……影なんじゃないです?」
下生えを踏む音をさせ、ミュリーシアは立ち止まる。
そして、油が切れた蝶番を思わせる動きで首だけ振り向いた。
「のう、共犯者もそう思うであろう?」
「俺がどの程度戦えるかという話だったよな」
トウマは、ノーコメントを貫くことにした。
そのドレスと同じ素材に包まれて一晩を過ごした事実を思い出してしまうから。
少なくとも、事実を知る前と同じ気持ちでミュリーシアを見られる自信はなかった。
「その場にアンデッド化できる霊魂が残っていれば、使役することができる。それから、負の生命力を操って衰弱させたりっていうのが主なスキルかな」
「ふむ、妾に比べると搦め手だの。むしろ、アンデッドを爆破するスキルが例外というわけじゃな」
「トウマ……」
「しない、しない。直接攻撃手段もあるけど、アンデッドを強化するスキルのほうが多いから」
怯えの視線を向けるリリィに、トウマは安心させるように笑った。
単純な強化の他、同種のアンデッドを一時的に融合させるスキルもあった。燃費が悪すぎて、使う機会は限られるが。
「でも、必要だと思ったら遠慮なくやってほしいのです」
「リリィ?」
「やっぱり、死んでるリリィたちより生きてるトウマのほうが大事だと思うのです」
咄嗟に、答えが出てこない。
「あっ、そこの茂みが揺れたのです」
直後、リリィはまったくいつも通りの様子で前方の茂みへと飛び込んでいった。
ゴーストである彼女なら、危険は少ない。
とはいえ、まったく心配がないわけでもなかった。
固唾を飲んで見守っていると……リリィが茂みから飛び出してきた。
「トウマ、ご飯がいたのですよ!」
「ニワトリ!?」
「ケキョー! ケキョー!」
一羽のニワトリを伴って。
それは確かに、ニワトリだった。
ただし、ニワトリはニワトリでも、全身の筋肉が異常に発達したニワトリだった。羽毛がはち切れそうになっている。
そもそもなぜ、ニワトリが森にいるのか。家禽ではないのか。
疑問が渦巻くトウマに対し、ミュリーシアは冷静だった。
「ほう、マッスルースターではないか」
「マッスルースター? こっちじゃ、普通のニワトリなのか!?」
「まあ、害獣の一種じゃな」
魔力異常により、発生した存在をモンスターと呼ぶ。
生物や鉱物、残留思念など。ありとあらゆるモノと結び付き、狂わせ。暴力と破壊を世界へ振り撒く、魔力異常により生じたモノ。
人類種にとっても“魔族”にとっても不倶戴天の存在である。
一方、魔力異常とは無関係に我意となる存在は存在する。
それが、害獣などと呼ばれる。
筋肉質なニワトリ……マッスルースターは、後者に当たる。
つまり、強くて凶暴なので動物というカテゴリから外された存在。
「かなり美味だと聞くぞ」
異常に発達した下半身で跳躍したマッスルースターは大地を蹴り、周囲の木々を足場にした。みしりと幹がえぐれ、三角飛びをして死角から迫る。
雑食であるマッスルースターにとっては、ドラクルも異世界人も餌に過ぎない。
「ケキョー! ケキョー!」
しかし、今回は相手が悪かった。
交差する寸前。
手にした羽毛扇が影を纏い、刃となってマッスルースターの首をはねた。
「ケキョー……?」
死亡したことすら忘れて着地し、そのまま走り続け……木に衝突してもそのまま足は動き続けた。
それから数分も暴れ回り、ようやく生命活動を停止させた。
「ありがとう、ミュリーシア。また助けられた」
「ミュリーシアすごいのです! 早速、ご飯が手に入ったのです!」
「この程度で恩に着せる気はないが、獣がおるのに飢え死にしたのかえ?」
「後から移住してきた可能性もある。イノシシのような獣は、海を泳いで島に渡ったりするらしい。確か、熊も泳ぎが上手いんじゃなかったか」
「リリィたちが死んじゃったの、たぶん何百年も前なのです。きっと、トリさんも生まれてくるのですよ」
「タマゴとニワトリでニワトリが先なら、そういうこともある……はずないな」
やはり、どこからか渡ってきたのだろう。
このマッスルースターは、筋肉質過ぎて水に浮きそうにないが……。
「それ以前に、これを普通の人に狩れというのは難しいんじゃないか?」
「……そうかもしれんのう」
トウマの正論にうなずき、ミュリーシアは倒れたマッスルースターを回収に向かう。
止める間もなく。また、ためらうことなく首無しニワトリを掴む。
一笑千金。
振り返ったミュリーシアの微笑みには、宝石以上の価値がある。
やたらと筋肉が発達したニワトリをその手にしていても、それは変わらなかった。
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