諸事情で遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
ドラクルの怪力と、親方の技術指導。それから、ゴーストたちの人海戦術で整えられた“王宮”は、三つの区域に分かれている。
ひとつは、建国祭が執り行われた円卓の間。
壁は他の廃屋を素材にして綺麗に補修され、荒れ放題だった床もゴーストたちが綺麗に掃除をしてくれた。
雑草など、触れるだけで腐り落ちて消滅してしまうので作業は実にスムーズだった。
天井も直ったため、逆に自然の明かりは入らない。
そのため、ミュリーシアはあまり必要としていないが、壁には松明もかけられるようになっていた。
元々、居間として使われた部屋の大部分は石の円卓で占められている。今後、ここで様々な議論が行われ重要な決定が為されることだろう。
ふたつ目は、そこに隣接する台所。玄関とつながっている、“王宮”の第一の間だ。
補修されたかまどには石の鍋がかけられ、湯を沸かしている。
岩をくりぬいて作った瓶に入れられた、近くの沢から汲んだ水。それを煮沸するためだ。非常時ならともかく、生水をそのまま口にするのはためらわれた。
その他、同じように食器棚や貯蔵庫が置かれている。
三つ目は、二部屋ある寝室。
こちらは、まだ万全とは言えない。とりあえず、天井と壁を塞いだだけ。
なにより、ベッドがない。
そのため、寝室は使用していないのが現状だった。
トウマはまだ影術の世話になっており、睡眠による疲労回復と悶々とした気分の物々交換を行っている。等価交換ではないのが、むしろ悩みどころだ。
「妾は、グリフォンの頭を早急に探索すべきと考える」
建国祭から、開けて翌朝。“王宮”の円卓の間で、ミュリーシアは宣言した。
いつもよりも、深刻な声と表情で。
「シアも、沸騰する海は気になるのか」
「うむ、それもある。じゃが、共犯者とは意味合いがいささか異なるかもしれんの」
建国祭の残り物を片付けたトウマが、石の皿から視線を上げた。
あの翌日だというのに、ミュリーシアが妙に落ち着いている。それほど、重大な話なのだ。
自然と、トウマは居住まいを正した。
「魔力異常で発生したのは、理解しているつもりだ。でも、今すぐにどうこうってこともないと思うんだが」
「そうなのです。いつからなのかは分からないですが、かなり暑いだけなのです。リリィには暑さが分からないですけど!」
使役霊としてなのか。それとも、単に、面白そうだからなのか。
リリィも会議に参加していた。
ただし、余計なことは口にしない。
暑いという言葉にも、他意はない。欠片もない。
トウマからミュリーシアへの呼び名が変わっていることに気付いても、ちっちゃな腕を組み、訳知り顔でうなずくだけだ。
「つまり、シアには海が不撓するという現象そのものよりも気になることがあると?」
「うむ」
円卓の反対側に座るミュリーシアは、重々しくうなずいた。
「魔力異常の結果、海が沸騰するようになった。これだけならば良い。魔力異常による地形や気候の変動。珍しいが、大騒ぎするほどのものではないからの」
「ミュリーシアの口振りだと、確かにそんな感じだな」
地球で発生したら、関係各所が発狂しかねない一大事だ。異世界との常識の違いを感じる。
「じゃがの、魔力異常が引き起こすのはそれだけではないのだ」
「ああ、確かモンスターが生まれる要因でもあったか」
「モンスター? お猿さんは見かけたのです」
「ヤシの実とか取るだけで、特に襲いかかられはしなかったな」
その意味では、マッスルースターのほうが余程凶暴だった。
「もし、魔力異常の原因がまだ残っておったら? その猿もいずれ、モンスター――魔物となるやもしれぬ」
「なるほど……。だけど、そんな簡単になるものなのか?」
「場合によっては、じゃな。ただでさえも、今の世は魔力に満ちておるからの」
「そうなのか? 神蝕紀のほうがよっぽど魔力が多そうなイメージなんだけど」
「その神蝕紀で神々の肉体が砕かれた結果、魔力が世界に拡散したからの」
「神は魔力でできていたのか」
それが世界中に飛び散った。
地球で言えば、恐竜が絶滅したようなインパクトだろうか。
「しかも、モンスターの発生だけで終わらぬ可能性もある」
「まだなにかあるのか」
「うむ。ダンジョンよ」
「ダンジョンっていうと、モンスターが発生したりマジックアイテムなんかが回収できる魔境だったか」
この辺り、多少はジルヴィオから聞いたことがある。
ただ、トウマは処分される予定で、向こうも真面目な教師ではなかったため体系的な知識は得られていなかった。
「うむ。万一ダンジョンが発生していた場合は、適度にモンスターを間引いて魔力を発散させねばモンスターの氾濫や魔境拡張などといった災害が発生しかねんからの」
「そいつは一大事だな」
ミュリーシアが深刻になるのも、もっともな話だった。
「建国祭が終わるまで、話を待っててくれたんだな。ありがとう」
「楽しみに水を差すのは、野暮の極みじゃからの」
せっかくたどり着いたグリフォン島が、人の住めない人外魔境になってしまう。
それは、絶対に避けねばならない。
「“魔族”が追いやられた暗黒領域はダンジョンが多くての。その対処に手を取られて、光輝教会に押されっぱなしになったというのもあるのじゃが……」
それは良いと、ミュリーシアは羽毛扇をぱっと開いた。
「過去は未来を予測する一助にはなるが、保証してはくれぬ」
「ああ。魔力異常の原因が残っているのか。調査しに行こう」
「共犯者なら、分かってくれると思っておったぞ」
方針は決まった。
トウマとミュリーシアは石の椅子から立ち上がり、“王宮”から出よう……としたところで、目の前にリリィがスライドしてきた。
そのすみれ色の瞳には好奇心が宿っており……どうやら、我慢の限界に達したようだ。
「そういえば、トウマトウマ」
「なんだ?」
「やっぱり、ミュリーシアは昨日トウマの血を吸ったですか?」
「ああ……」
「答えんでいいわ!」
ばんっと円卓を両手で叩き、悲鳴にも似た声をあげるミュリーシア。
絶世独立。並ぶ者のない美貌が、怒りと羞恥の入り交じった感情で歪んでいた。
「リリィも、なぜそんなことを知りたがるのだ」
「トウマは、リリィたちのご主人様ですよ?」
「それはそうじゃが……」
思わぬ正論。雨でぬかるんだピッチで勢いを殺されたボールのように、ミュリーシアの勢いが止まった。
そこへさらに、追い打ちが発生する。
「もっと、堂々としていていいと思うんだけどな。ドラクルにとっては、必要不可欠な行為なのだろう?」
「共犯者よ……」
異性から血を吸うのは初めて。
その告白の意味を一顧だにしないトウマの態度に、ミュリーシアは怒声を発しかけ……なんとか踏み止まった。
それは、自ら泥沼に飛び込むようなもの。
加えて、だ。
昨夜、地上へ戻った後。
『ところで、シア。血は吸わなくていいのか?』
『ふえ? あ、うむ。吸ったばかりじゃからな。そうそう何度も……』
『俺に遠慮は必要ないぞ。だって、共犯者なんだろう?』
『そうは言うがな……』
『要らないんなら無理にとは言わないが、せっかくの建国祭に我慢はして欲しくはないな』
『そ、そこまで言うのであれば……』
と、誘惑に負けて吸ってしまった。たくさん。
今回も我を忘れてしまい名前を呼ばれたのだが。「シア」と呼ばれたのがうれしくて恥ずかしくて。そこからさらに血を吸ってしまった。少しだけ。
トウマの血が美味しいのが悪い。
誘ってくるのが悪い。
無防備すぎるのが悪い。
そんな言い訳、できるはずがない。
「共犯者に血を分けてもらったからの。今の妾は万全よ。さあ、疾く魔力異常の原因を解明するぞ」
ごまかすように声を張り上げると、ミュリーシアはさっさと円卓の間から厨房を抜けて外へと出て行った。
振り返ることなく。いつになく早足で。
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