「どうであったかの、共犯者。よく眠れたかの?」
「ああ。怖いぐらいぐっすりと」
「それは重畳。妾の影術も捨てたものではなかろう」
翌朝。
ミュリーシアがドラクルの種族能力――影術で作った繭から出てきたトウマは、手櫛で髪を整えてから頭を下げた。
「お陰で、変な夢も見なかった。ありがとう」
「ふうむ。共犯者は然程気にしておらぬ様子だが、こういうのはいつ何時再発せぬとも限らぬ。無理はせぬようにな」
情緒纏綿。細やかな配慮を見せるミュリーシアに感謝しつつ、トウマはあえて軽い口調で言う。
「大丈夫だ。今日から、忙しくてそれどころじゃなくなる予定だからな」
「ふっ、そうじゃな。共犯者の言が正しかろうて」
向かうべきは過去ではなく未来。
トウマとミュリーシア。共犯者二人は、一夜の宿とした廃屋を出る。
そして、目の前に広がるのは輝かしい未来――ではなく、廃墟となった街並みだった。
「荒れ果てておるのう」
「こいつは、ゴーストタウンってやつか……」
井戸から舗装された道が放射状に伸び、いくつもの家屋が連なっている。
少し離れた場所には、畑もあって農作業に勤しんでいた。
そんな村だったのだろうが、今では面影もない。
建物は朽ち果て、道には雑草が生い茂り、どこが農地だったのかも分からない。生活の痕跡は消え去っていた。
廃墟あるいは廃村。
完全なゴーストタウンだった。
「ふむ。国を作ろうというのだ。この程度、些細な違いでしかなかろうて」
「ゼロから始めたほうが、しがらみもなくていいかもしれないか。念のため、もうちょっと見て回ろう」
「それもそうだの」
朝の散歩ではないが、二人は連れだって集落を巡っていく。
少しは慣れたのか、ミュリーシアと一緒でも平静を保つことができた。もちろん、それどころではないというのもあるだろう。
「そういえば……ドラクルは吸血鬼だって習ったけど、太陽の光とか大丈夫なのか?」
「なんだ、そのようなことか」
朝だが、遮るものがなく陽光は強い。
詰め襟を着たままのトウマは、胸元を緩める誘惑と戦っていた。
「どうも、妾たちドラクルは夜の種族や不死種の一種と思われておるようだがの。陽光は、まったく問題ないぞ。闇妖精ダークエルフのような地下種族のほうが、よっぽど弱点だな」
「吸血鬼でなくても、それだけ肌が白くて綺麗だと大変そうだけど」
「う、うむ。心配する必要などないわ」
そこ、綺麗はいらんじゃろ――とミュリーシアは言うが、トウマには聞こえない。聞こえないように言ったのだから当然だが。
「それよりも、やはり人はおらんな」
「もしいるんなら、向こうからコンタクトがあるだろうし……。昨日見た限りだと、他に集落らしきものはなかったんだよな?」
「うむ。森林や山地はあったが、それらしきものはなかったの。無論、妾は夜目も効くぞ」
「見落としはないか。となると、いたとしても個人単位ってことになるか」
順次、朽ちて荒れ果てた家々を巡るが人間はおろかネズミ一匹見つからない。
夜だったら、完全にホラー映画の世界だったろう。
「これは無人島で確定かの、我が共犯者」
「ああ……いや。それは、人の定義によると思う」
「定義?」
集落の中心。
井戸がある広場に差し掛かったところで、トウマは足を止める。
井戸の前に10歳ほどの少女が立っていた。
今まで、なんの気配もなかったのに。
幼く、可愛らしい少女だ。にっこりと、太陽のような笑顔を浮かべている。
すみれ色の瞳で、金色の髪は三つ編みに結い上げられていた。
身長はミュリーシアの腰ほどだろうか。
水色で白い襟のワンピースに、綻びなどは見つけられない。トウマは、子供の頃に祖父と一緒に見た名作劇場を連想いた。
小さな子供を育てたことがない祖父は、情操教育に名作アニメが必要だと信じていたのだ。
「人の定義か。なるほどの」
「気付いたのか。さすがだな」
ドラクルの嗅覚。死霊術師の直感。
その双方が、少女は人ならざる者――ゴーストだと告げていた。
「俺は、稲葉冬馬――トウマだ。名前を教えて欲しい」
「共犯者、なにを? そうか、死霊術師であれば話が……」
「ア゙ア゙ッ゙――ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙ッ゙ッ゙――」
「通じないではないか!」
ゴーストから発せられた、ガラスを擦ったような奇声。
仙姿玉質。陽光の下でも美しいミュリーシアが、不快げに顔をしかめる。
しかし、ゴーストの少女の変化は、より劇的だった。
「ア゙ア゙ッ――ヴヴヴヴ――ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッッ――」
少女が苦悶の表情を浮かべると、顔にひびが走った。
まるで、自らの声で砕けてしまったかのように。
そのひびが全身に及ぶと、そのままこちらへ襲いかかってきた。
「未練に狂っておたか。仕方あるまい――」
「ミュリーシア」
鋭い声で名を呼ばれ、ドラクルの姫は動きを止めた。
権力闘争に敗れ、最前線に送られたとはいえ。いや、だからこそ修羅場をくぐった経験を持つミュリーシア。
そんな彼女を一言で押しとどめたトウマは、こちらへ向かって飛んでくるゴーストの少女を険しい視線で見つめている。
「俺に任せてくれ」
「手出し無用とな?」
気圧された。
それを気取られたくなくて考え込む素振りを見せたが、結論はひとつしかなかった。
「確かに、素人御者では馬車が目的地を通り過ぎかねん。良かろう。死霊術師のお手並み拝見といこうではないか」
「それは難しいかもしれない」
「は?」
幼く可愛らしかったゴーストの顔にはひび割れが走り、目は黒一色で塗りつぶされてしまっている。
恐ろしげな表情と怨嗟の声を上げて迫り来るゴースト。
それに対してトウマは――なにもしなかった。
「共犯者!?」
ミュリーシアは、ドレスから影を伸ばした。
闇や影を実体化させ操るドラクルの種族能力、影術。ミュリーシア自身が纏うドレスやトウマを包んで安眠をもたらしただけでなく、ジルヴィオにそうしたように攻撃にも使える。
ゴーストの一体程度、簡単に消滅させることができるだろう。
だからこそ、トウマは片手でそれを制した。
もう片方の腕で、首筋に噛みつこうとしたゴーストの少女を受け止める。
「分かっている。なにを望んでいるのかは」
「ア゙ア゙ッ――ヴヴヴヴ――ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッッ――」
「俺の生命力で良ければ、好きなだけ持って行くといい」
人類種や“魔族”が持つ、正の生命力。
一方、ゾンビやスケルトン、ゴーストなどの不死種は対極となる負の生命力で稼働する。
それを得るには、正の生命力を吸収して自らで負の生命力に変換するしかない。
片手でゴーストの少女を抱き留め、トウマは衝撃に備えて目をつぶった。
二人の接点から、精気が流れ出ているのを感じる。
昨日《ネクロティック・ボム》を使用したときほどではないが、体からなにかがごっそり抜け落ちていくような感覚に吐き気を憶えた。
足下も覚束無くなり――
「ミュリーシア……」
「この程度なら、手出しには当たるまい?」
――そんな元勇者を、共犯者と呼ぶドラクルの姫が支えてくれた。
「助かる」
「まったく、無茶をしおって」
生命力の流出が、徐々に穏やかになっていった。
それに伴い、ゴーストの少女にも変化が訪れた。
まるで逆再生するかのように凶相が穏やかになり、顔から全身に走っていたひびもなくなっていく。
真っ黒だった瞳に光が戻ったところで、トウマは問いかける。
「大丈夫か?」
穏やかで、心配そうな声音。
ゴーストの少女は涙を流し、トウマがそれに狼狽するよりも先に言った。
「リリィ……。お腹が空いた……のです……」
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