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夢路すや
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3匹目:思い出のアップルパイはもういらない 2

公開日時: 2022年11月16日(水) 06:30
文字数:3,252



突然の突拍子もない話に、ジェマは口をぽかんと開けたままアンジェリカを見た。くすりと笑ったアンジェリカに気にしないで食べるようにと促され、タルトをもぐもぐと頬張る。



「以前から好かれてはいなかったけれど。ランズベリー男爵令嬢が現れてから、エリオットがわたくしのことを完全に敵視し始めたの」



エリオットがアンジェリカのことを疎み、リリアンに入れ込んでいるという話はよく聞く。ジェマは今年入学したばかりで以前の2人の関係性は知らなかったが、昨年までは悪評が立つほどあからさまではなかったらしい。


しかし今年――リリアンが入学してきてしばらくしてから、エリオットは表面上取り繕うことすらしなくなった。



「これまでは一応婚約者としての関係はあったのよ、それなりにだけれど。手紙も一応は返ってきていたし、贈り物のやり取りもあったし、定期でお茶会もしていたの。でも最近はそれもなくなってしまったどころか、いちいちランズベリー嬢と比べられて嫌味まで言われて……」



『君もランズベリー嬢から愛嬌というものを学んではいかがか』


などと言い放たれたそうな。


そこまで言われて、アンジェリカが一方的に我慢をする義理もない。けれど家族に相談しても『もう少し優しくしてあげたら』『学生の間くらい自由にしたいのだろう』と言われてしまう。



そして先日、リリアンがと手作りのクッキーをプレゼントしようとしたあの事件が起きた。



「言い訳に聞こえてしまうかもしれないけれど、わたくしは厨房になんて入れてもらえないもの。手作りのスイーツを贈るなんて、発想にすらいたらなくても当然ではなくて?」



困ったように首を傾げるアンジェリカに、ジェマも頷いた。



そもそも貴族令嬢が手作りするプレゼントの定番と言えば、刺繍したハンカチやネクタイ、もしくは自作の魔力結晶を使ったアクセサリーである。それもハンカチやネクタイは購入したもので、アクセサリーへの加工もプロへ依頼するものだ。


素人の手作りスイーツなんて、逆に気味悪がって食べない人の方が多いと言う。


アンジェリカにそんな発想がないのも当たり前だし、それを食べさせて何かあったときのことを考えるとその労力は完全に無駄である。むしろいきなりそんなものを強請るエリオットの方がおかしい。



しかし真面目なアンジェリカは、兄から『もう少し優しくしてあげたら』と注意されたこともあって頑張ってしまった。



そして先ほどの突拍子もない発言に戻る。


まだ仲が悪くなかった幼いころ、エリオットが好きだったアップルパイを思い出したのだ。エリオットは甘いスイーツはあまり好きではなかったが、甘酸っぱいアップルパイだけは頬張るように食べていた。


他に積極的に食べているスイーツも思いつかなかったアンジェリカは、母親とシェフに頼み込んでアップルパイを作った。



「初めは簡単なクッキーや焼き菓子にしたらと勧められたのだけれど、ただ作るだけじゃ駄目だと思ったの」



予想外に難しかったアップルパイ作りは、大公子息に出せるものを作れるようになるのに少し時間がかかってしまった。




あのクッキー事件から2週間後。

手作りとしてはかなり上出来なアップルパイを用意して、久しぶりに定期交流以外でのお茶会に誘った。しかし。



『君はランズベリー嬢のクッキーを踏み潰したそうじゃないか。バレていないとでも思っていたのか? こんな茶会まで用意して、君は恥というものを知らないらしい。どうせこれも君が作ったわけではないのだろう』



そう勝手に納得したエリオットは、アップルパイの乗った皿をひっくり返し、わざわざこれ見よがしに踏みつけて帰っていった。


そのアップルパイと一緒に、理不尽に嫌われてなお歩み寄ろうとする婚約者アンジェリカの心まで踏みにじって。








ゆっくりと語り終えると、アンジェリカは静かに息を吐いた。


するといきなり、もうぬるくなっていた紅茶をごくごくと飲み干し、かちゃんっと音を立ててカップを戻した。



ジェマは自棄やけになっているようにしか見えないアンジェリカを見て目を丸くした。


まだちまちまとタルトを食べていたフォークを置き、新しく熱い紅茶を入れて差出した。


けれどアンジェリカは、ぽちゃぽちゃといくつも角砂糖を入れ、紅茶の風味がわからなくなるくらいにミルクをたぱたぱとたっぷり入れて無理やり冷まし、またぐいっと一息に飲み干す。



(おぉ……。これはだいぶやばい)



今度はジュースを出してみると、それもまたぐーっと飲み干してしまう。


お酒じゃないんだから、と内心少し呆れていたが、貴重なタルトの分、飲み物を出すくらいなんでもない。地元にいたとき、こんな風に自棄酒を飲む出戻り姉さんを酒場で見た。アンジェリカもあれと同じだろう。


満足するまで飲ませてやろうとまた紅茶を入れ、お茶請けにカフェテリアで買ったドーナツも並べる。



取り皿に添えたナプキンを無視して手掴みでドーナツを頬張り始めたアンジェリカは、とうとうぽろぽろと泣き始めた。嫌な予感がすっかり的中してしまって、ジェマも泣きたい気持ちになる。


公爵令嬢と大公令息の婚約問題の裏話を聞いた挙句泣かせたとなれば、最悪の場合は学園に居られなくなる可能性もある。



しかし貴重なタルトの誘惑に負けた時点で引き返す道は無くなった。


もうどうにでもなれ。


ジェマはそっとハンカチとナプキンを置いただけで、自分も黙って残りのタルトを食べた。





しばらくして、5つあったドーナツがすっかり無くなった。ジェマの小さな両手を合わせたくらいの大きさがあったが、アンジェリカが4つも食べた。


食べ尽くしたことは良いのだが、甘いものはあまり好みでないと聞くアンジェリカが、チョコレートやアイシングのかかった激甘ドーナツを4つも食べたことに驚いた。さすがのジェマでも一気に食べることはしないくらいに甘いのに、よく食べたものだ。


自棄になった人間は怖いなぁとぼんやりしながら、アンジェリカが口を開くまでジェマは静かにおやつを食べていた。




ジェマは知らないことだが、余計なことを言わずただ話を聞いてお茶とお菓子を勧めてくるだけというこの態度が、相談者が減らない理由の1つでもある。


ジェマは貴族令嬢の悩みに対して、嘘でも同調も同情もしない。前者は立場が違えば感じるものも違うだろうと思っているからで、後者は同情することすら無礼であると考えているからである。




アンジェリカの涙も止まり、彼女は少し熱いハーブティーの注がれたカップを静かに持ち上げた。いつものように香りを楽しんで口元を綻ばせると、虚ろだった目に生気が戻る。


知らずジェマも緊張していたらしい。アンジェリカに入れたお茶と同じものを自分のカップにも注ぐと、ほっと息を吐いた。




少し弱くなった雨が湖面を叩く音が、まるで歌うようにリズムを刻んでいた。ジェマもいい加減おやつを食べ終わり、静かに湖を眺めるアンジェリカの横顔を眺める。


目元は赤くなり、化粧も所々剥がれて髪も乱れている。けれど先ほどまでよりもずっと力強く綺麗に見えた。



(お坊ちゃん捨てられるんじゃないの、これ)



婚約が決まった事情なんてジェマは知らない。


しかしエリオットの方が婿入りするらしいという話は聞いている。現時点ではエリオットの方が地位は高いのだろうが、アンジェリカの機嫌を取るフリくらいした方が良い立場なのではなかろうか。


アップルパイがアンジェリカの手作りではなかったとしても、わざわざ踏みつける必要性を感じない。ついでに言えばリリアンのクッキーはまだ食べられる状態だった。


本当にアンジェリカがリリアンのクッキーを踏みつけたとしても、エリオットがアンジェリカにしたことの方が酷い。


彼にとってはすでに、自分の婚約者の公爵令嬢が作った(と言っている)アップルパイより、ただの学友である男爵令嬢が作ったクッキーの方が価値があるのだろう。



あのリリアンのどこにそれだけの価値を見出しているのかさっぱり理解できない。ジェマは温かいハーブティーの入ったカップを両手で持ち、ふぅと小さく息を吐いた。






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