乙女ゲームなんて知らないので巻き込まないでください

~話を聞いてほしいならおやつをよこせ~
夢路すや
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1匹目:貧乏性な子猫は高価なお菓子をやけ食いできない

公開日時: 2022年11月14日(月) 06:30
文字数:2,433



木々の隙間から降り注ぐ秋の陽射しが、キラキラと湖面を煌めかせる。


ふかふかの芝生に敷いたピクニック用の絨毯の上で寝転がりながら、ジェマはゆらゆらと揺らめく湖面を眺めていた。


マグワイア魔導学園内にひっそりと存在するこの小さな湖は、景色はとても美しいが少々曰く付きなせいで生徒があまり近付かない。しかし平民なうえ曰くそんなことは気にしないジェマは、入学以来お気に入りのお昼寝スポットにしていた。



風は涼しく陽射しは暖かい。本日は絶賛のお昼目日和だ。


「ふわぁ」と大きなあくびをした背で、ぱたんぱたんとゆったりと尻尾が絨毯を叩いていた。



たまにチョコレートを摘まみ、ほんのりした温かさを保つ紅茶で唇を湿らせる。


チョコレートも紅茶もご令嬢方からの贈り物で、なんならマグカップも絨毯も貰い物だった。貧乏ではないものの、裕福でもない極一般的な平民の家で生まれ育ったジェマが持つにはどれも分不相応な品である。



「あ~めんどくさいなぁ」



十人いれば十人が可愛いと言う愛らしい顔を思い切り顰めて、ジェマは呟いた。


綺麗な景色を見ても心が癒されない。どんな景色を見ても現状は変わらないのだから当然ではある。けれど現実逃避すらうまくいかないのだからイライラが募る。



【幸運の猫ちゃん】と呼ばれていることは知っていた。しかしそれがこんな面倒な事態を引き寄せるとは――可能性は考えていたが、貰えるお菓子やお下がりに味を占めて少々調子に乗っていた。



「勢いで首を突っ込むんじゃなかった……」



ジェマのお小遣いでは気軽に買えないチョコレートをガツガツ食べることはできなくて、自分で作った安物のクッキーを頬にぱんぱんに詰めてみた。



「ぐっふ」



思い切り咽た。

 

馬鹿なことをしたことをさっそく後悔しながら、ジェマはここに至るまでの経緯について思い返していた。すべての始まりはこの学園に入学したことだったような気もしていたが、ジェマが自分が巻き込まれていることを自覚したのはもう少し後のことだった。



白湯を作って少し粉っぽいクッキーを流し込む。


はぁと大きなため息を吐き出して、ゆったりと流れる雲を見上げた。








――すべての始まりはこの日だった気がする。



「ねぇあなた。『星降る夜に捕まえて』ってご存じ?」


彼女を初めて見たとき、ジェマは思わず自分に似てるなと思ったことを覚えている。





入学して2か月ほど経ったある日のこと。


ジェマは購買でおやつを吟味していた。一流校の購買は平民でも買える値段ではあるが、ジェマ的にはそれでもお高め。真剣に悩んでいると、突然声をかけられて顔を上げた。


覗き込まれていたせいで予想外に顔が近く、ジェマの尻尾がぶわっと逆立つ。


ジェマに話しかけてきたその貴族令嬢は、ぼわぼわになったその尻尾を見てくすくすと笑った。



挨拶も謝罪もなく、ただ笑うだけの女子生徒に少しむっとして、ジェマはイライラと尻尾を揺らしながら数歩下がる。



「あれぇ、その反応。もしかして知ってるの? 『星降る夜に捕まえて』! ねぇ知ってる?」



ジェマはその女子生徒が何を言いたいのかはわからなかったが、とりあえず気に入らなかったので黙っていた。相手の身分がわからなかったのもあるし、きちんと返答をしてやる義理も見いだせなかったので。



すんっと表情を消したジェマを見た女子生徒もまた、釣られるように表情を消した。その後わざとらしくうっそりと微笑み、わざわざ同じくらいの身長のジェマを下から見上げるように上半身を傾ける。



「あは。やっぱり!」



その無邪気に笑みはなぜだかぞわりと気色悪い気配に撫でつけられたような嫌な心地がした。ジェマは尻尾をさらに逆立てながら飛びずさった。


肌を這いまわるような視線を送るその青い瞳が暗く濁っているような気がして、思わずケープの隠しにしまった短杖に手を添える。



ジェマは自力で変質者を撃退できる。貴族であれば防御系の魔導具を身に着けているだろうが、逃げる隙くらいは作れる。


そもそも貴族令嬢に杖を向けたら無事ではいられないが、そのことについてはすっかり頭から抜け落ちていた。



「あなたは知っていて乙女ゲームから逃げているのね? そうなのね! 趣味は悪いし理解もできないけれど、大丈夫よ。安心して。私ならあなたになれるから!」



彼女が話すたびにぞわぞわと嫌なものがまとわりついてくるような気がした。早口でまくしたてられているわけでもないのに、口を挟むことができない。


無意識に噛み締めていた奥歯がギリと鳴った音が頭に響いて、ジェマははっと我に我に返った。白くなるまで握りしめていた杖を離し、下がりそうになっていた足にぐっと力を入れて踏みとどまる。



「あ、これあげるわ。あなたはただの平民だものね。困ったことがあれば言ってね。何でもはしないけど話くらいは聞いて差し上げてもよろしくってよ?」



高慢に言い放ち「それじゃあね」とにこやかに笑った女子生徒は、可愛くラッピングされた小袋を傍の棚に置いて満足げに立ち去って行った。







ジェマはその小袋を触るのもおぞましいとばかりにじぃっとねめつけていた。


すんすんと小さな鼻を鳴らすと、その小袋の中身が金貨であると察しがついた。袋の大きさからして最低でも十数枚は入っている。



平民は月に金貨10枚稼げたら十分な高給取りと言える。ましてやジェマの出身である田舎町では月に金貨2枚もあれば平均的な家庭――家族4,5人で暮らしていける。


けれど、一方的に貶められた挙句に施してもらわねばならないほど落ちぶれてはいない。



(でもポンと捨てていけるようなはした金だと思っているなら貰っても……。いや、絶対めんどくさいことになるかぁ)



はぁと大袈裟なほど大きなため息を吐いて、ジェマはハンカチで包んでそれを手に取った。購買の扉の傍に控えていた警備員に「落とし物です」と告げて渡してしまうと、けれどほんの少し残念な気持ちになった。


ジェマはうきうきとおやつの棚の前を陣取っていたことなどすっかり忘れて、衝動的に購買で1番安い小さなマドレーヌを1つだけ買った。








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