千草は草むらの陰で息を殺し身を潜めている。四組の家族のうち、戦後に入ってきた一組の住む家の近くである。式は出せない。神通力や刀気、妖気を察せられてはいけない。
子の正刻が近づいて来てもも全く動きがない。
ちらりと他の三組の家のある方へと視線を向ける。あちらも特に動きはないようである。
「さて……もうすぐ子の正刻……」
懐中時計を取り出し時刻を確かめた千草が小さなため息を一つついた。
その時である。
ゆっくりと静かに玄関の扉が開いていく。
玄関の扉から顔を出したのは、 この家に住む吉永家の長女の麻美であった。
麻美は左右を確認し、誰もいないことを確認すると忍び足で出てくるではないか。
固唾を飲み見守る千草。
麻美とはそこそこ仲が良いのである。その麻美がこんな夜更けにこっそりと家を抜け出し、どこかへと向かっている。
灯りもつけずに暗い夜の帳の中を、辺りに気を配りながら歩いていく麻美。少し離れ、後ろからついて行く千草。
見覚えのある場所へ来ると、麻美はまた左右を丹念に見回すと小さな声である人物の名を呼んだ。その名は千草どころか、村中の誰もが知っている名前だった。
名前を呼ぶ麻美に答えるように、古い傾きかけた小屋の陰から、一人の男が姿を現した。千草や麻美よりも少し年上の男。
『寛太じゃないか』
千草はその男を見て驚いた。
村主寛太。
この村の村長の長男である。何故、寛太が麻美とこんな夜更けにこんな場所で……しかも、二人きりで会うのだ?
千草は木の陰からじっと二人の様子を観察していた。もし、変な動きを見せたらすぐに阻止できるようにしている。
しかし、二人は千草の予想とは違う行動を取り始めたのだ。
歩み寄る二人は、互いの手を取り合ると、しなだれるように麻美が寛太へと抱きついたのだった。そして、そして、見つめあったかと思うと、顔を寄せ唇を重ねたではないか。
それを見て驚きを隠せない千草。
長い長い接吻であった。
確か……寛太には父である村長が決めた許嫁がいるんじゃなかったのか?
そんな疑問が千草の頭を過ぎる。
「麻美……何もかも捨てて僕とこの村を出ていこう」
麻美を抱きしめる寛太の口から思わぬ言葉が飛び出した。寛太の胸に顔を埋めている麻美がこくりと頷いた。麻美が震えているのが分かる。泣いているのだ。
「僕は……君と一緒ならどんな道でも歩く覚悟は出来ている……だから、僕と一緒に……」
「寛太さん……」
顔を上げた麻美の顔は涙でぐしょぐしょになっていたが、それでも嬉しそうに微笑んでいた。
『こ……これはっ……!!』
武道一筋で己を磨き上げてきた千草。しかし、そんな彼女は誰にも言えない秘密があった。それは、彼女が大のラブロマンス映画好きという事である。両親に、そして親しい友人達にも内緒で町に出て観に行く程であり、密かにラブロマンス小説もいくつか隠し持っており、それを読んでは恋に憧れている乙女であった。
『ゆ、許されぬ恋……正しく、ラブロマンスっ!!』
千草は食いつくように二人の様子を見ていた時である。それまで、夢見る乙女のような表情になっていた千草の眉間に皺がよると、小さな舌打ちまでした。
「ちっ……良かところやったばってん」
あからさまに不機嫌な顔をしている千草が二人のいる所から少し離れた草むらを睨んでいる。
その草むらの付近だけがゆらゆらとぼやけて見える。
「ふん、野暮な妖魔やなあ……人ん恋路ば邪魔する馬鹿は、馬に蹴られて死んでしまえって昔から言うやろうに」
脇に置いていた片鎌槍を手に取ると、千草は二人の邪魔をしないよう、物音一つ立てずに妖魔の方へと近づいて行った。
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