「伊桜里さん、次は私がやるから……」
身の丈と差ほど変わりない刀身だけで三尺二寸、柄まで含めるとゆうに四尺三寸はあるかと思われる備前長船長光、通称、『物干し竿』を握りしめる雨月。
一三五センチ程のその身長に似つかわしくない刀気がその小さな体格に収まり切れず、全身より溢れ出てきている。むわんと噎せかえり息が詰まりそうになるくらいの刀気である。思わず隣にいた伊桜里が身構える程であった。
これが鬼怒笠家の刀気。
鬼怒笠の者は、刀気で妖魔を滅する……
そんな事は出来ないのであるが、それほどまでに鬼怒笠家の纏う刀気が他とは比べものにならない事を表している。
代々鬼怒笠家の当主は体格の小さな者ばかり輩出している。しかし、小柄な体格ながら備前長船長光と言う長物を使いこなす。それも、尋常ではない剣速だと言う。それも、この異常な程の刀気を身に纏う鬼怒笠家だからなせる事なのであろう。
しかも、歩を進める度にその刀気は濃ゆさを増している。その刀気のせいで小さな体格が何倍にも大きくみえ、雨月が自分と同じ年だと言うことを忘れてしまいそうになる。伊桜里はちらりと雨月に視線を送った。
「私は筆頭などに興味がない。私は私の道を進むだけだから」
初めて伊桜里と顔を合わせた時に雨月が言った言葉である。この四家の各次期当主達の顔合わせに筆頭を決めると言う意味がある事は伊桜里も知っていた。
四家筆頭。
金剛家の悲願。
正直な所、伊桜里も筆頭に興味がなかった。小さな頃より祖母や母から言われ続けられていた筆頭への夢。しかし、伊桜里はその先を見ているのだ。その思いは誰にも言わず胸の中へとしまい込んでいる。
「来るよっ!!」
不意に小鷹丸が叫んだ。そんな伊桜里の思いとはよそに、少し先の空間がぐにゃりと歪みはじめているのが分かる。しかも、一体ではない。二体……否、三体はいる。
「一人で充分」
ぎろりと睨みつけるような眼差しで歪む空間へ視線を向ける雨月。
「しかし……雨月殿……」
吽か心配そうに雨月へと話し掛けるが、その吽の肩を掴む玉藻のその目には、無言で手を出すなという圧力が、吽へとひしひしと伝わってくる。
「……分かりました」
吽がそう答えると、にこりと微笑む玉藻。あくまでも雨月と伊桜里、そして小鷹丸の三人で討伐しなければならないのである。
次第に腐臭が強くなり、ゆらゆらと空間の歪みがその形を顕にしていく。山のように大きな図体をしているのが、完全に具現化してなくとも見てわかる。
「雨月さん……」
伊桜里が動きのない雨月を心配そうに見つめている。すると、かちりと雨月が備前長船長光の鯉口を切った。
そして、すらりと鞘から刀を引き出すと、鞘を背中へと背負い、半身になると、鋒を後方へと倒し、刀身を自分の腰辺りに構えた。所謂、脇構え又は陽の構えである。
「大丈夫。伊桜里さん、あなたはゆるりとお茶でも飲んでいて」
さらりと雨月の黒髪が風に靡き、その髪の間から強い光りを湛えた瞳が見える。
今まで、その小柄な体から溢れていた刀気が圧縮されたかのように雨月の体の中に押し込められていた。まるで限界まで膨らんだ風船の様である。何かの拍子に割れそうな、そんな風船みたいに雨月の体の中でぞわりぞわりと蠢いているのが、伊桜里には分かった。
この刀気が一気に吐き出されたらどうなるのだろうか……見てみたい。
伊桜里はそんな雨月の姿を一瞬でも見逃しはしないと瞬きも忘れ見つめている。
鬼怒笠雨月を取り囲む様に具現化していく妖魔達。その姿がはっきりとしてきた。黒と青と緑の色をした三体の鬼の姿。
「鬼姿なんて趣味が悪い妖魔達ねぇ……酒呑がいなくて良かったわ。あの女が見たら激怒して、あの妖魔共を雨月達よりも先に殺っちやってたわよ」
あははっと笑いながら三体の妖魔達を見ている玉藻が楽しそうにそう言うと、吽が一つ溜息を着いた。
「何よ?」
「……いえ、なんにもありゃしませんよ」
そんな二人のやり取りをよそに、鬼の様相をした妖魔三体に囲まれている雨月。相変わらず動じる様子もなく、構えたまま妖魔をただ見ているだけである。
まだ刀気は雨月の小さな体の中で渦巻いている。
ゆらり……
一瞬だが雨月の体がぼやっと蜃気楼のように揺れた。伊桜里はそれを見逃さなかった。すっと雨月が一歩前へと踏み出し、下段に構えていた備前長船長光がきらりと光った様に思えたその瞬間、風切り音だけを残して、雨月の前にいた妖魔の体が四つに斬られていた。
ひらりとスカートの裾が舞い上がる。
そして振り向きざまに今度は右斜め上からもう一体の妖魔を斬りつけると、その鋒が地面へとつくと思われた時に、さっと刀を返し、今度は上へと跳ねあげた。
また、妖魔の体が四つに斬られた。
雨月の動きよりもワンテンポ遅れてさらさらと髪が動く。
伊桜里は必死になって雨月の斬撃を目で追っていた。しかし、追いつけないのである。あっという間に、妖魔が四つに斬られ、霧散して行く。雨月の足元に転がる二つの魂玉。
それに見向きもせずに最後の一体と対峙する雨月。
ぞわりと伊桜里の全身に鳥肌が立つ。
同じ世代にこんな女の子がいるなんて……伊桜里は嬉しくて堪らなかった。自分よりも小さな背格好をした女の子。その子が、自分の背丈と変わりない刀を扱い、目にも止まらぬ速さで妖魔達を斬っていく。
確かに、鈴鹿御前が用意した伊桜里達のレベルに合わせたB級の妖魔かもしれない。それでも、その妖魔達を遥かに上回るレベルで斬る鬼怒笠雨月。
伊桜里は効率良く具現化する前に斬る。しかし、雨月は敢えて妖魔を具現化させて、その圧倒的速さを生かし殲滅する。
全く討伐スタイルの違う雨月に、伊桜里が惚れた瞬間である。
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