瑪瑙の教え

艱難辛苦を与え給え
松脂松明
松脂松明

南からの驚異

公開日時: 2022年2月8日(火) 18:52
文字数:2,781

 シリシャス教国の首都タイトは、少しばかり混乱気味の様相を呈していた。

 対岸の火事と言ってしまえば楽なのだが、むしろまだ火がこちらに来ていないからこそ人心を乱れさせるのだ。


 これまでタイトは多くの教団を受け入れて、緩やかに発展してきた。

 しかし、南方の国家を侵食しつつあるスジュラは一つの宗教で統一された国。火がおよべばタイトが抱えている全ての宗教関係者がどうなるか、想像を逞しくする材料はいくらでもあった。


 そして聖職者達の多くが驚いたことに、市場からは食料品……とりわけ日持ちがする物……がごっそりと無くなっていた。無論のこと、タイトの住人たちが買い占めたのだ。

 信徒は信徒であり、自分たちが導く羊のごとし。そうたかをくくっていた教団は、ここにきて大きな遅れをとることになる。あまりに長い平穏が、彼らの心に慢心を育てさせていたのだ。


 そんな中、アゲイト教の教会は……実にいつもどおりだった。



「神士様。これ、召し上がってください」



 一人の少女が籠をに詰めた麦色の物体を床に降ろすと、少しばかり床が揺れた気がした。かつて、屋敷を親類に占拠されて難儀していた子であった。その子が今や大重量を家から持ってくるとは随分と鍛え込んだと見える。



「良いのかな? この大変な時に」

「なにせ一人ですので、生きていくに不足は無いですから。留守中に奪われるより、こちらに捧げた方がずっと良いことです。それに私にとっては大変ばかりでも無いんです」

「と、言うと?」

「未練がましく屋敷の周りをうろついてた親戚が、皆消えましたからね。きっと今頃精神的優位に立った気分でいるでしょう」

「なるほど……結果的にすべてがおさまった。貴方の選択が功を奏しましたね。しかし、選択が時に悲劇を生むことも忘れないよう」



 その一言に、貴族らしい仕草で一礼した少女にかつての混乱はかけらも見られない。少女の縁戚はシリシャス自体が危険になったことで、少女が屋敷にしがみつく様をあざ笑うだろうが、今の彼女にそんな無様はあり得なかった。


 アゲイト教はこのように、信徒の数が少ない分、親密な関係が築かれる傾向があった。他の教会は百や千の信徒の顔を覚えるのは難しいからだ。それも無意識に自分より下の階層だと見下してもいる。だからこそ現在、難儀しているわけだが。

 そのことに感謝しつつ貰った食料から一種類ずつ選んだ作物を、アゲイト神の祭壇に載せていく。



「神士様は今度も戦に出られるのですか?」

「いえ、今回は出ませんよ。留守番役といったところでしょう」



 統括議長ブラッジからすれば、自由に動けるコライトの存在は必要だった。東のブルゾイと、西のマンインからしても南のコランがスジュラに占領されるのは避けたい。両国からしても、価値観や宗教観でスジュラとは相容れない。

 問題はこのブルゾイとマンインの二国が、シリシャスの領土を通過する許可を求めてくることだった。現状仕方ないことでもあり、止められることでもないが、ついでに蹂躙されるわけにもいかない。この監視をする軍隊が必要になる。

 兵力が減る分、国内の治安も悪化する。そこでコライトの出番というわけだ。



「海の都コランですか……私は行ったことないですけれど、神士様は?」

「二度ほど。海の匂いには慣れませんでしたが、活気のある良い国です。無事生き残って欲しいものですが……美しさを取り戻すには時間がかかるでしょうね」



 遠くに思いを馳せる。侵略というのはどこであろうと悲惨なモノだ。かつて只人であったコライトは祈りを捧げる。どうか彼らの選択に祝福を。



 しかし、その願いは叶わない。いや、正確には敵と味方の双方に祝福があれば意味がないのだ。


 コランの街、木々がまばらにある場所が今日の戦場だった。

 コランに所属する神士、アポフィ神のライトは異様な勢いで迫る兵たちに向けて、神の力で作ったつぶてをぶつける。その攻撃で敵の頭は弾けて、戦場を赤に彩る。



「キリがないねぇ……!」



 ライトは忌々しそうに顔をしかめた。他の部隊は通常の敵と交戦中。コランに侵入される原因となった強力な集団を、神士として一人で相手取っている。それはシリシャスでも推測されていた、神兵の部隊だった。

 戦いはライトが終始優勢だ。いくら強いと言っても、一人あたりで比べれば純粋な神士には到底及ばない。



「また補充されたね。余程あたしが好きと見える」



 だが、目の前の神兵部隊はいくら減らしても戻ってくるのだ。総数は100人程度だが、倒せばどこかの兵が操られるように部隊と合流する。その自動性こそが彼らの神士としての特性なのだ。

 最初に戦った揃いの制服を着た敵はほとんど残っていない。今は雑兵などが入り混じり、異様な集団と化している。


 やり辛いと感じる理由はまだあった。神による補強で常軌を逸した神士……狂戦士をライトは見たことがあった。しかし、この連中は真逆。何も喋らず、うめき声すらあげない。余裕があるライトにとってもおぞましいとしか言いようがない。


 どうかお願いしますアポフィ様。この哀れな者達の死を受け入れてください。

 柄にもなくそう願ってしまうほど、最強の兵士達は哀れだった。


 ライトの曲刀が踊る度に首が飛ぶ、次に敵側から完璧な連携の反撃が起こる。それを躱しながら遠距離攻撃で相手の勢いを削いで仕切り直す。この戦場はその繰り返しだ。

 スジュラの神は規則を己の民達に強制している。それが良いか悪いは誰にも分からないだろうが……



「気に入らないねぇ!」



 結局殺しているのは自分だという自覚がありながら、嫌悪感を止められないライト。なぜなら、死ぬ瞬間に自我すら無いなんてただの操り人形じゃないか。一体人間を何だと思っている。成っている連中は案外幸せなのかもしれないが、そこを含めて許せないと曲刀を振るい続けた。

 しかし、かつては非効率だと断じられた神兵達はスジュラの手によって、恐るべき完成度を有していた。それは現在、神士ライトがこの部隊にかかりっきりになっていることからも分かる。神士は強力だが、倒せばとりあえずその戦場ではもう出てこない。だが、神兵達は違う。いくらでも湧く。

 この場にはいないようだが、スジュラ側の神士と同時にかかってこられたらコラン軍は惨敗していただろう。スジュラの攻勢に対抗するためには最低でも二人は神士が必要になる。侵略される側のコランは神士達を一定間隔で配置していた。



「娘が生まれても、人形遊びは教えないだろうね」



 問題はスジュラに何人の神士がいるかどうか分からないところだ。一神教の国は祈りの規模が違うため、二人か三人か見当もつかない。海を挟んだ向こう側にも事情があるだろうことから、流石に全員を派遣してくることは無いだろうが……それでも一人は来るだろう。


 他の国の援軍が神士をどれだけ動かしてくれるか。それを期待しながら、コランの軍勢はじりじりと後退していった。

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