振り返るとそこには少女が立っていた。
身長は150cmと小柄で、歳は14、5歳くらい、赤茶色の髪を後ろで束ねている。意志の強そうな目には髪と同じ赤茶色の瞳が嵌っており、今は心配そうに目尻が下がっている。鼻筋はすっきりしており、唇は薄いながらも健康的なピンク色をしている。
体つきはスレンダーで、動きやすさを重視してか革の鎧に丈の短いパンツに膝上までのブーツを履いている。
そして、左手には小柄な彼女には不釣り合いにも思える、彼女の身長と同じくらいの長弓が握られている。武器には詳しくないがあれだけ長いと弓を引くだけでもかなりの力が要るのではないだろうか?
「あの、大丈夫ですか? 」
観察していたため返事を忘れていたからか、少女が再度声を掛けてきた。
「あ、失礼しました。危ないところをありがとうございます」
俺がそう返すと安心したのか表情が柔らかくなった。
「いえ、ご無事でよかったです。あっ! まずは手当てしてください」
そう言って腰のポーチから布を差し出してくる。
「ありがとうございます。使わせていただきます。薬草は手持ちがありますので」
そう答えて近くのカバンを指さす。
「では、手当てしていてください。私は血の匂いで他のクリーチャーが寄ってくる前に素材の剥ぎ取りをしてしまいますね」
そう言うと彼女は森山猫の方へ向かった。
俺は受け取った布を片手で四苦八苦しながら、なんとかナイフで適当な大きさに裂いた。次にカバンから薬草を取り出すと、膝の上に左手を置き、掌で擦り合わせる。本当はすり鉢などできちんとすり潰したほうがいいのだろうが、生憎とそんなものは持っていないので仕方がない。
なんとなくすり潰せたところで一番傷の深い左肩に薬草を貼り、貰った布で縛る。消毒したほうがいいかな、とも思ったがアルコールは持っていないのでとりあえずの処置だ。
処置を終えて少女のほうを見ると、森山猫の爪を剥いで、腹を切り開いているところだった。少女が獣の腹を捌くところなどあまり見たくないが、処理を任せてしまっているのでカバンを手に取り彼女に近付く。
少女は切り裂いた森山猫の腹に手を入れたかと思うと、何かを掴んで取り出した。その手には歪な形の丸い石が握られていた。少女は体格の割に意外と大きな手をしているようだが―それでも少女の手に納まる程度の大きさなので―直径は10cmくらいだろうか。
「これ、ありがとうございました」
俺が余った布を返すと少女は布の残りで手に持った石を軽く拭った。
血を拭き取るとそれはくすんだ緑色をしていた。俺が石を見つめていると、
「魔石と爪は剥ぎ取りました。本当は毛皮も素材になるんですが、ここで剥ぎ取るには時間が掛かりますし、森の外に運び出すのも難しそうですがどうしますか? 」
と聞かれた。どうやらこの石が魔石らしい。
確かにここで毛皮の剥ぎ取りまでしていると血の匂いで他の獣やクリーチャーが寄ってきそうだし、かと言って傷だらけの俺や小柄な少女では外までの距離は分からないが運べそうにない。そのことを伝えると、
「では少し勿体ないですが処分してしまいましょう」
と言って落ちている枝に先程魔石を拭った布を巻き付けた。次にポーチから何か液体の入った瓶を取り出すと、死骸と先程の枝に巻き付けた布に振り掛けていく。
そして、左手に枝を持ったまま右手の人差し指を立てて何か小声で呟くと、少女の人差し指に小さな火が灯った。
火を枝に近付けると布の部分が激しく燃え始める。彼女はそれを素早く死骸に投げると、死骸が一気に燃え上がった。どうやら先程の液体は油で、布を巻き付けた枝は即席の松明ということのようだ。
異世界の常識によると彼女が呟いていたのは、【灯火】という小さな火を灯す簡単な生活魔法というものらしい。
こんな森の中で大きな火を出して大丈夫なのか聞いてみたが、
「この森の木々は生命力が強いので心配ありませんよ。それでも本来は埋めた方がいいんですけどね」
と苦笑混じりに言われた。
「さて、いろいろとお話を伺いたいんですが、森の中だと落ち着きませんし、一旦森から出ませんか? 」
少女の提案に俺はありがたく頷くと、彼女は「着いてきてください」と言って北へと歩き出した。
「えっと、森を抜けるなら西に進んだ方がいいんじゃないですか? 」
俺がそう尋ねると、
「ああ、ここは大河の森の中でもちょうど平原に迫り出している場所なので、森を抜けるだけなら北に歩いたほうが早いんですよ」
と返された。事実、体感で1時間ほど歩くと木々の向こうに平原が見えた。何気にこの世界に来て初めて見る森以外の風景だ。
森を抜けて少し平原を歩いたところで、少女が立ち止まり、こちらを振り返った。
「ここまで来れば一先ずは安全ですよ」
そう笑顔で言われて足の力が抜けて地面に座り込んだ。慣れない森の中の散策と初めての戦闘は想像以上の疲労と緊張、恐怖だった。
「大丈夫ですか? 」
と少女が腰から外した水袋を差し出してくる。それを断り、自分の腰に結んであった水袋を外して水を飲む。水が食道を通り、胃の中へ落ちていくのが分かる。喉の渇きを忘れるほど張り詰めていたことに我ながら心の中で苦笑する。
一気に半分ほど水を飲み、落ち着いたのを見て取ったのか少女が話し始めた。
「改めまして私はこの近くの国境の町ウィーレストで冒険者をしているイリス・シャルールと言います」
そう言ってペコりと頭を下げた。つられて俺も軽く頭を下げ、
「先程は危ないところを助けていただき、ありがとうございました。改めてお礼を言います。俺はノブヒト・ニシダ、旅の者です」
と予め用意していた自己紹介する。
「ノブヒトさんですか? 珍しいお名前ですね。旅の方がどうしてあんな場所に? 」
まあ街道からも外れている森の中に旅人がいれば疑問に思うだろう。
「次の街に着く前に路銀を稼ごうと採集で森に入ったんですけど、奥まで入り過ぎて道に迷ってしまいまして……」
こちらも予め考えておいた言い訳を述べる。
「そうなんですね。ご無事でよかったです! 」
そう言ってイリスは笑顔になる。いい人そうで助かった。
「それでどちらまで行かれる予定なのですか? 」
とイリスが聞いてきた。正直目的地と言われても他の勇者候補がどの辺にいるか全くわからない。
「とくにあてはなくて。あっちこっちを見て回ってるんです」
と、濁して答えておく。
「そうなんですね。もう少ししたら日も暮れてしまいますし、良ければ今夜はウィーレストの街までご案内しますよ? 」
どうやら怪しまれたりはしなかったようだ。有難いことに街まで案内してくれると言う。
「何から何までありがとうございます。では街まで案内をお願いしてもいいですか? 」
「もちろんです。あっ、あと先程剥ぎ取ったした素材をお渡ししておきますね」
そう言って彼女はポーチから先程の魔石と爪を出そうとするので、慌ててそれを遮った。
「いえ、あのクリーチャーを仕留めたのはイリスさんですし、素材はそのままイリスさんがお納めください! 」
俺は受け取りを辞退する。
「ですが、あれはノブヒトさんの獲物ですし、横取りのような形になってしまったので、私は受け取れません」
と、彼女は彼女で受け取れないと言う。しばらくお互いに譲り合った結果、「街で換金して折半する」ということで落ち着いた。
「では、そろそろ移動しましょうか。街はここから西に一刻ほどですし、今からなら門が閉まる前に街に着けると思いますし」
彼女の言葉に頷いて俺は立ち上がった。
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