「ここで暮らすにおいて、外出はどの程度出来る?」
それは、藤堂満が崎島碧にした多くの質問のうちのひとつである。尋ねられた時、崎島は藤堂の内肘に針を刺して、アメリカンチェリーのような色の血を抜いていた。
「うん? 自由にしてもらって構わないけど……ミツル、そもそもさして出かけられないじゃない」
藤堂は異能の副作用として光や眩しさに弱い傾向がある。なので太陽の出ている日中は勿論、街灯がたくさん灯る夜の道もなかなか歩けない。針が抜かれる感触を不慣れに感じながら藤堂は、
「だから、夜に出かけて暗いうちに帰ってくる」
と四角い絆創膏が貼られるのを待った。なるほどね、と崎島は言う。
ここは崎島が所属する研究機関の研究施設であり、異能と呼ばれる特殊能力を持つ者について研究をするのが目的の場所だ。藤堂も研究対象のひとりである。副作用持ちの異能力者という珍しい存在故に崎島に施設に招かれ、副作用の改善を条件に施設に入った。施設の面々で構成されるファミリーでは幹部を務めるほど藤堂の異能は強く、また副作用も強かった。
「ねぇ、聞いてもいい?」
抜いた血をなにやら移し替えながら崎島が話を振ってくる。藤堂は絆創膏の上を軽く押さえながら
「どうぞ」
「ミツル、どこか行きたいところがあるの?」
答えるべきか一瞬迷って、目を小さく逸らす。
「……海に行きたい」
「海?」
意外だなぁ、と崎島の目が眼鏡の奥で微笑む、嘲笑のそれでなく。
「なんだい、海辺で遊ぶの?」
「波の音を聴く」
「いいね。それで?」
「それだけ」
「それだけ?」
ふぅん、と崎島が興味深そうに呟いた。顔を見ると、なにやらゆったりとした笑みを浮かべていた。藤堂は些か落ち着かない気持ちになる。
「なんだその顔」
「いや、意外と繊細なことをするんだなと思って」
今日のメンテナンスは終わりだよと崎島が言うので、藤堂は研究室を後にする。今宵のことを密かに考えながら。
*
夜、灯りの少ない出口から外に出て、藤堂は早速出かけることを目論んでいた。言われてみれば、潮騒の音を聴きたいなんてセンチメンタルかもしれない。それでも聴きたいものは聴きたいし、行きたいものは行きたい。
「ミツル」
ふ、と呼び止めた声の方を向くと、ひらひら手を振った崎島がいる。何故ここに、と問うと
「ミツルが出てくるならこの出口だと思って」
なんてあっけらかんと言う。行動が読まれるというのは不思議な心地で、不気味ですらあるかもしれない。とはいえこの施設を管理しているのは崎島なのだから、どの出口がどうとかいう具合はよく知っているのだろう。
「なにか用か」
「連れて行ってあげる」
「は?」
「海。波の音、聴きに行くんだろう?」
崎島はよく見ると車に寄りかかっていて、つまり車を出してくれるということだろうか。藤堂は、ぱちぱち、と目を瞬かせる。
「来るのか」
「うん。ミツルの話を聞いていたら行きたくなってしまってね」
崎島は運転席の方から車に乗ってしまう。本当に車を出すつもりらしい。それなら足になってもらおう、と藤堂は助手席のドアを開け、車内のランプに顔をしかめながら、ドアを閉めた。
「シートベルトをしてね。私が捕まってしまう」
「こんな暗い中だ、見ていやしない」
「暗いからこそ見てるんだよ。ね、ミツル……」
そう懇願されては仕方ないからシートベルトをする。車の中は慣れない匂いが……崎島のそれであるような車のそれであるような……して、どうも落ち着かない。落ち着かないのは藤堂自身と車との兼ね合いにもあって、どうも脚の長さがつり合わずに狭苦しく感じてしまう。見兼ねた崎島は
「狭そうだね、ミツル」
と笑っただけで、なにをしてくれるというわけでもなかったけれど。
エンジンがかかる。
「忘れ物はない?」
「大したものは持って行かない」
「そう?」
慣れた様子で車を運転し始めた崎島のことを、藤堂はなんとなく見ていた。車に乗るなんて話を聞いたことはなかったし、そんなことを想像したこともなかったものだから、この横顔は新鮮だった。
崎島はそんな藤堂からの視線など知らないで、楽しそうに言う。
「じゃあ、潮騒を聴きに行こうか、ミツル」
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