BL、「気持ちごと口移し」の続き
「先日はどうもお騒がせしました」
インターホンを押されたのを受けてドアを開けてやるなり、そう言い放った冬馬に俺はつい目をぱちぱちとさせる。俺、冬馬になんかされたっけ。思ったまま口に出す。
「俺、あんたに看病させたでしょ」
「あー……」
そういえば。この前、珍しく体調を崩した冬馬の看病に行ったっけ。看病らしいことが出来たかどうかはさておいて。
束の間の沈黙。吹く風は少し冷たい。
「立ち話もなんだし、とりあえず入る?」
「ん、お邪魔します」
手慣れた様子で上がる冬馬、もう何度も来ているわけだし当然か。
「また風邪引いたら笑えないから、手洗いうがいを励行します」
「うん、それがいい」
「あ、待って」
振り向きざまに箱が渡される。白、受け取るとほんのり冷たい。
「これ、お土産」
「マジ? ありがと、なんだろ」
「シュークリーム」
「おお~」
「ちょっと冷やしといた方がいいかも」
「おっけ」
冷蔵庫に箱を放り込み、ついでにアイスティーでも注いでおこう。ハンカチで手を拭きながら部屋に来た冬馬がローテーブルを挟んだ向かい側に座る。
「おー、ありがと」
「いーえ」
両者共一口ずつ呷って、グラスがほぼ同時に置かれる。
「で、藤堂先輩」
切り出した冬馬の口ぶりがやけに神妙。
「ん?」
「先日はどうも」
「もういいって」
「そうじゃなくて」
ふ、と触れた温度の正体が分からない。追って視界に広がった景色の理解にも時間がかかった。俺に伸びる冬馬の腕、手が、触れている、唇に。
俺の、唇に。
「こっち」
下唇に埋まる指の腹の感触に一気に回想が加速した。看病が看病らしくならなかった原因、どういうわけか、いや完璧に俺のせいなんだけど、キスに雪崩れ込んでしまったあの時。思い出すと身体が固まってしまう。
「あ、えと」
喉から零れる声が情けない。する、と撫でられるとあの時の感覚を追体験させられている気持ちになって……指の腹と唇じゃ比べ物にならないけど……ますますどうしたらいいか分からなくなる。
「……あんたが俺のこと好きなのは知ってたけど」
冬馬の指はしかし離れてしまうと物寂しい。縋るように目で追ってしまった気がする、冬馬は平然と俺を見つめ返している。
「そこまでだとは思ってなかった」
「そこまで、って」
「顔真っ赤」
好きな人に触られてそうならない方がどうかしてる。それでもやっぱり恥ずかしいし、冬馬にぜんぶ見られていると思うと隠したくなってしまう。そんな手立てはないけれど。
「すっ、げえ恥ずかしい……」
「今更恥ずかしがることある?」
「あるだろ、普通に……」
間を持たせたくて触れたグラスは少々結露していて妙に冷たい。俺の手が熱くなっているからかもしれない。なのに冬馬はあまりにいつも通り、そう、あの時だって風邪を引いている以外、冬馬はずっとこんな感じで、はぐらかすみたいに飄々としていて。
「え、つーかさ……」
冬馬が相槌代わりに小さく首を傾げる。
「俺にあの時、ぜんぶ知ってる、って言ったじゃん」
「うん」
「なに、知ってたの?」
「知ってた」
「……俺が冬馬を好きってこと、知ってたわけ」
「うん」
あっけらかんとした返事。逆にどんな顔すればいい?
「な、え、マジで言ってんの」
「マジ」
「え、お前、俺に好かれてるって知ってて俺と喋ったり、看病に呼んだり、今日も菓子折り持って来たりしてんの」
「そう」
「それって、どういうこと……」
そわそわしてしまう自分が恥ずかしい。これじゃ期待しているみたいだ。
「別に」
「別にってなに」
「別に、は、別に」
「意味分かんねえんだけど」
「藤堂先輩は俺のこと好きなんだなって、それだけ」
期待、するだけ損? それにしても意味は分からない。
「……悪い、なに言ってるかさっぱり分かんねえ」
「だから、藤堂先輩が俺のこと好きってだけであとは別に……なにも無いでしょ」
「なにも無いってなんだよ」
「逆にそれ以上なんかある?」
言いたいことが山ほどありすぎる。思うことも多すぎる。主に恐怖と、やっぱり残ってしまうちょっとの期待。
「……たとえば、嫌、とか」
「嫌だったら今こうやって来はしない」
「そ、だよな」
「うん、嫌というわけでもない」
「ってことは、別に良くもないってこと」
「良くもないって言うと語弊あるけど、まぁ、ふうんって」
「なんだよ、ふうん、って」
「だから、それ以上は別に、なんも無いって」
「……俺の気持ちに応えてくれるわけでもなければ、俺を拒絶するわけでもないってこと?」
「まぁ、そういうこと?」
「なんで疑問形なんだよ」
「そこまで考えてなかった」
なんだよそれ。
「俺を藤堂先輩が好きでも、俺としてはそんなに影響ないの」
「好きだって言ってんのに?」
声が潤む、情けない。そのことすら冬馬は看破したようにちょっと目を開く。
「……もしかして俺、藤堂先輩にとってめちゃくちゃ酷なこと言ってる?」
「ちょっと泣きそう」
「言いながら泣くなよ……」
ぽろ、と頬に生温かさが伝う。情けない。拭うのも違う気がしてそのまま放って流させておいて、襟とか机の上とかに雫が垂れる。冬馬はそれをやっぱり眺めながら、でも声はちょっと恐る恐る
「俺のせい?」
と聞く。そうだよ。喚きたくなるけどしない。
「あーもうマジ情けない……」
袖口でごしごし涙を拭って、二回くらい鼻をすすって、滲みの残る視界で冬馬に向き直る。
「いっこ聞いていい?」
「なに?」
「なんでキスしたの?」
余談だけど、あのキスの後、案の定華麗に風邪が移った。幸い熱もそんなに上がらなかったし、一日おとなしくしてればほぼ治ったけど。物理的な熱に浮かされながら日がな一日あの時のことを考えているのは良くも悪くも夢見心地で、別の意味で病むかと思った。
「藤堂先輩が先にしてきたんでしょ」
あれはそもそも薬を飲ませる為でその後のことは計算外……と言おうとして、なんだか言い訳がましくてやめる。
「いや、まぁ、そうかもしんないけど」
「物欲しそうな顔してたから」
「……それだけ?」
冬馬は復唱がてら頷く。マジで言ってんの?
「なに、物欲しそうな顔してたら冬馬は誰とでもキスするの」
「誰とでも、とまではいかないけど……」
なにその沈黙。釈然としない。
「もういっこ聞いていい」
「どうぞ」
「なんで、潤、って呼んだの」
これまでに何度か「どうせタメ口なんだし、藤堂先輩じゃなくて潤って呼んでよ」と打診しても「でもあんたは先輩だし」と頑なにそこは曲げなかったくせして。やっぱり風邪引いてたから?
冬馬は、ぱちぱち、と二度瞬きをして、さらっと言ってのける。
「あんたが、俺のことめちゃくちゃ好きって顔してたから」
どんな顔だよ……。小さく頭を抱える俺に
「するよ、あんたはそういう顔」
と冬馬は小さく笑う、今笑うのずるい。そういうのずるいからやめて。
「あんた、自分で思ってるよりも俺のこと好きだよ」
「……よくそういうこと言えるよな」
「だってそうだし」
冬馬はあくまでいつも通り、俺だけがペースを乱されている。身体は火照るし、会話も完全に主導権を握られているし、頭の中もぐちゃぐちゃだし。つい溜息。
「俺、なんで冬馬のこと好きになっちゃったんだろ……」
「後悔してる?」
「できるもんならとっくにしてる……」
「そっか」
「……そういうとこだよ、お前、ほんと」
また小首を傾げる冬馬。とぼけてるのか、ほんとに心当たりがないのか、マジで分かんないからタチが悪い。俺が悩んでいる間にぱっと冬馬は顔を上げて
「あ、そろそろいいかな、シュークリーム」
なんて、宣う。マジ、そういうとこ。
「はいはい……」
俺は重い腰を上げる。見送ってくれる冬馬はあまりにいつも通り。俺がどんなに冬馬を好きでも、どう足掻いたとしても、ってことは現状維持? それって寂しいような、いやそれはそれで幸せなような……まだ俺の中では決着がつかない。
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