BL
風邪引いた。
冬馬から来たそのメッセージにちょっとだけ驚く。だってこの数年の付き合いで冬馬が体調を崩したことなんてなかったから。そっかあいつも風邪引くんだな。そりゃ人間だし、引くか。
だいじょうぶか? お見舞い行こうか?
と送ったのが十五分前。今しがた
うん
と返事がくる。冬馬が「うん」だけ寄越すなんて珍しい。いつももっと整った文章を送って来るのに。よっぽど具合が悪いんだろうか。
お見舞いに行くといったはいいものの、手ぶらってわけにもいかないか。なにがあればいいかな、と立ち寄ったドラッグストア。とりあえずスポーツドリンクと、ゼリー飲料と、おでこに貼る冷却シート、とか? その他、見つけたものをぽいぽい買い物かごに放り込んでたら結構な量になっちゃったけど、まぁ余れば普通に食べてもらえばいいし、そうでないなら備蓄しておいてもらえばいい。ポイントカードにがっつりポイント還元を受けて、袋片手に冬馬の家に向かう。
小綺麗なマンションの一室、廊下の奥から二番目の部屋が冬馬の家だ。無難なインターホンを押すと、ぴんぽん、とチャイム音がする。しばらく待つが物音ひとつしない。もしかして寝てる?
「冬馬ぁー?」
こんこん、と軽くドアをノックするが返事がない。どうしようかな、となんとなく手をかけてみたドアノブ、がちゃり、と鈍い音。おいおい、防犯意識だいじょうぶかよ? 心配になりながらもちゃっかりあやかって中に入る。お邪魔しまぁす、の小声だけが響いて部屋は静かだった。足音を立てないように進んで、移ったら世話ないなと手洗いうがいをまず励行。荷物と共に部屋に向かって、きょろきょろ見渡しながら寝室の方に向かう。
「冬馬」
ベッドの上で布団をすっぽり肩までかぶった冬馬がそこにはいた。目で見て分かるくらい身体が呼吸で上下していて、明らかに熱があるとも分かる。うぅ、とうなされた声を漏らしていて、これはかなりしんどいだろうな。そばに寄ってもう一度名前を呼ぶと、
「あ、藤堂先輩……」
小さく目を開けた。つらいらしく眉間に小さく皺が寄っている。
「調子どう?」
「あはは、この通り……」
言いながら起き上がろうとするので制する、まったくどういうつもりだ。ベッドに寝直した冬馬は、ごめんな、と熱い息と共に漏らす。
「急に風邪引いたって連絡来たからびっくりしたよ」
「風邪なんて急に引くものだよ」
「心配させるなよな」
「心配してくれたの?」
冬馬は小さく笑っている。無理してそんな顔すんな、ばか。汗ばんだ髪が額に張り付いているのを少しどかしてやると涼しそうに息を吐いた。
「当たり前だろ。なんか食べた?」
「さっき粥作って食べた」
「その身体で?」
どんな無茶してるんだ。もっと早く呼んでくれれば良かったのに。なんでもつくってやったし、しんどいなら食べさせてやったのに。いや、俺がもっと早く来ればよかったのかな、心なしか部屋の中は温かくていい匂いがするもんな。
冬馬は身を捩らせて、綻ぶように笑う。
「いやー、弱った身体で料理するもんじゃないな……」
「無茶すんなよな。薬飲んだ?」
「あー……まだ」
言いざまに咳き込む冬馬、なんか嫌な音がする。
「薬、どこ?」
「そこの机の上……」
確かに置いてある。ご丁寧に三錠、蓋の上に出してまであるのに。忘れてしまっていたんだろう。
「やー、薬飲もうと思って飯作ったのになー……」
「ほら、起きれる?」
「ちょっ、と、待って……」
肘をついて、ゆっくり身体を持ち上げようとしているが、ふらふらしていて危なっかしい。頭が上手く持ち上がらないようで、だらんと喉を上向けたまま動けない。
仕方ないかな、と、水道水を一杯汲んでくる。
「いいよ、寝てな、冬馬」
ひと口水を含んで、とんとん、と冬馬の唇を指で叩く。ぼんやり開かせたそこを指で少し割っては、熱い息が触れた。
ぞ、と痺れが走ったのを無視して錠剤を押し込む。
熱い額と顎に手を添えて、唇を押し付けた。冬馬の苦しげな声ごと水を口の中に移して、しかし唇の隙間からこぼれた水が冬馬の首筋を伝う。
「んぐ、」
束の間暴れかけた冬馬の舌と、ぢゅ、と触れ合って頭の中がスパークした。やばい、これはまずい。でも冬馬の舌は熱くて、柔らかくて、唇はちょっとかさついてる。想像じゃない冬馬が、俺と触れ合っている。ごくん、と喉が鳴ったのを聞き届けた後も唇を俺は離せなくて、冬馬の手がとんとんと俺の胸を急いで叩いたところで我に返った。
「っ、」
飛び退く。は、と息を吐く。まだ感触を残した唇をかばいながら、俺は心臓がばくばく鳴っているのを感じていた。ぐったりと横たわったままの冬馬に
「ごめん、冬馬」
見つめられているのが、堪らなく恥ずかしい。俺は、俺はいったいなにしてんだよ。冬馬相手に……。
そんなことを思う俺を眺めている冬馬は、少し笑う。
「あんた、ほんと俺のこと好きな」
まるで俺の心を見透かしたみたいに。か、と顔が赤くなるのが分かる、病人の冬馬に負けないくらい。つい視線を返した、冬馬は苦しいはずなのに貼り付けた表情は余裕そうで、息を呑む。
「ぜんぶ知ってるよ」
シーツの隙間から伸びた手に腕を掴まれる、服越しでもその熱さが分かった。そんなに動いたら熱が上がるだろ。そう言いたくても、冬馬の視線に射止められてしまう。
「おい……」
「足りないって顔してる」
「冬馬、」
「いーよ、潤」
どく、と心臓が跳ねた。呼ばれた名前が致命的な甘さをもって俺に迫る。いや、冷静になれ。冬馬は今、風邪を引いている。うなされるほどの熱があるんだ。だからこんなことを……こんな戯言を言うに違いない。だから俺の方こそしっかりしろ、惑わされるな、相手は病人だぞ。
けど。
「潤」
もう一度名前を呼ばれて泣きそうになる。腕を引かれるがまま顔を近づけて、続き、と囁く冬馬に誘われて、唇を重ねる。
「ん……」
後頭部に冬馬の熱すぎる手が添えられて離れられなくなる。風邪が移るかもしれないと一瞬思ったがすぐどうでもよくなった。っていうか、冬馬から移される風邪なら別にいいや。寧ろ移して、冬馬。その方が、今のこのキスが本当だったって後から思えるから……。
訳が分からないくらい夢中で貪って、手が緩んだところで口を離す。唾液がひと筋糸になって伝ってはすぐ消えた。目線がかち合う。心臓がうるさく鳴る。やばい。なにしてんだろ俺。
げほ、と冬馬が軽く咳き込んだあたりで正気に戻って、小さく頭を抱えた。ほんっと、なにしてんの俺、冬馬は風邪引いてるわけだし、俺の気持ちに応えるなんて言ってもないわけなのに。
「ご、めん、冬馬」
冬馬は咳き込み終えてから俺を見る。濡れた唇が今の行為の確かさを物語っていて、まだ罪悪感と、確かな興奮が再来するようで。
「お前、風邪引いててつらいのにこんなことして……恨んでもいい、から」
「恨むわけないでしょ……」
よろよろ伸びた手に頬を撫でられるとついびくりと身体が跳ねて、俺の頬も相当熱くなっている。つうか、今どんな顔してんだろ、俺。だらしない顔してたらどうしよう。冬馬を見ていられなくて目を逸らす。
「ごめん、冬馬、病人なのに」
「っは、病人じゃなかったら、どうするつもりだった?」
冗談ぽい言い草に、か、と顔が熱くなる。ばっと見返すと悪戯っ子みたいに冬馬はにやにや笑い。その顔は病人らしく赤い。俺のそれとは違って。
どうするつもりだった、と聞かれて、こんな反応、下手に物を言うよりよっぽど正直者な気がして、察しの良い冬馬にはどうせぜんぶばれてて、俺は、もう、マジで合わせる顔なんてないっていうのに。
「大人しくしてろよ、熱、上がるだろ……」
やっと搾り出した台詞も情けないし、声も震えている。
「誤魔化すなよ」
と息で言った冬馬の方が気丈な声をしていたかもしれなかった。
「いいから早く寝ろってば」
「潤」
優しい声。なんで名前で呼ぶんだ。これまで何度ねだっても呼んでくれなかったくせに、絶対に「藤堂先輩」からぶれなかったくせに。なんでだよ、風邪引いてるから?
「……ずるい」
俺のその言葉を聞いた冬馬は何故か満足そうに微笑んで、そのまま落ちるようにすぅと眠り始めた。規則的な寝息。俺が吐くのは溜息、特上の。
もう乾き始めた唇を触る。まだとろけるようにじんじんとして、口の中は燃えるように熱い。
「……ずるいのは、俺の方か……」
抱えた膝に顔を埋める。かっかと火照る身体は罪悪感と羞恥でぐるぐるに縛られてしばらく動けそうになかった。でも、もし次に冬馬が起きたら、どんな顔すればいいんだ? それがまったく分からなくて、でも置手紙やチャットメッセージのセンスもない俺は、たぶんここで冬馬が起きるのを待つのが一番マシなんだと思う。それがいつになるかは分かんないけど。
「そういうとこだよ」に続く
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