D-Family 短編集

円ぷりん
円ぷりん

恨めやしない眩しい地獄

公開日時: 2021年7月13日(火) 13:31
文字数:2,576

 初めて実験室に入った時が一番の地獄だったと、藤堂満は記憶している。

 明るい照明にそれを反射する白い壁、スポットライトのようにそこかしこにあるライト。藤堂にとってその明るさはまさに地獄だった。強力な異能の副作用として藤堂は光を生理的に受け付けない身体となっている。

 藤堂が異能研究者である崎島碧のもとに下ったのは、彼の研究によってその副作用を改善すると保証されたからだ。光を受け付けない身体というのは想像以上に不便で、外出は愚か室内にいる時も暗くしていないとしんどくて仕方がない。いくら異能が強力でもこれではどうにも、と部屋にこもるしかなかった藤堂に手を差し伸べたのが崎島だったのだが

「ああ、少し眩しいね」

 部屋の照明を少し落とすその崎島は、藤堂の身体のことを知っていながらなんてことないように言ってのけるものだから、さすがに憎みそうになる。分かっていてやるのだからたちが悪い。崎島でなかったら嬲り殺していたかもしれない。

「おいで、ミツル」

 崎島は白衣をひらりと靡かせて振り向き、いかにも診療所にありそうな大きな椅子を指し示す。藤堂にとってはまだ眩しい部屋をやっとよろよろと歩きながら椅子に座り、目を伏せる。眩しい。網膜に明るさが焼き付いたお陰で目を閉じても視界が明るくて苦痛だ。

「ミツル。先に言っておくけれど、これから少し手荒なことをするからね。君が暴れるかもしれないから身体を拘束させてもらうよ。大丈夫、殺しやしないから」

 そんなことを言いながら崎島は、足首と手首をそれぞれ革のベルトのようなもので拘束し、椅子の金具に括り付ける。「殺しやしない」という物騒なことを言われた時には既に作業はほぼ終わっていて、終いには首輪を着けられ椅子と身体をくっつけられてしまった。抵抗しようにも不可能だ。

「なにをするつもりだ」

「まず、どの程度の光なら大丈夫なのか確かめさせてもらおうと思ってね」

「は……」

 藤堂がなにか言いかけたのを崎島は無視して、歯医者にあるような大仰な照明を藤堂の顔の前にやる。まだ明かりはついていないが、そこが眩しく灯ることを想像しただけで吐き気を催しそうだ。

「つらいと思うけど我慢してね、これは君の為なんだよ、ミツル」

 ぱちん、と軽快な音と共に部屋の照明がすべて落とされ、真っ暗になる。永遠にこのまま暗闇なら良いのに、と藤堂は思ったが、崎島がそんなことを聞き入れてくれるはずがない。

「いくよ」

 ぱ、と眼前が明るんで思わず目を瞑る。顔を背けてもまだちかちかと明るくて眩しくて、脳味噌の奥の方から不快に支配されていくようだ。

「だめだよミツル、見て」

 崎島の大きな手が藤堂の頭を掴んで無理やり光の方を向かされる。未だ瞑り続ける瞼も、指を用いて強引に開かれる。刺すような光度に呻き声が出てしまい、一刻も早く逃げ出したいのに、そうはいかない。

「しんどそうだね。まぁ無理もない、私だって太陽をじかに見つめたら眩しいと感じるからね……」

 崎島の手が離れる、すぐに目を瞑ったが視界が真っ白でうまく眼が機能しない。既に息も絶え絶えで、痛いほど握られた拳の内側には手汗をびっしょりかいていた。身体ががたがた震える。

「少し明るさを下げたよ。これはどう? シャンデリアを見つめるくらいの明るさだと思うんだけど」

 崎島の手が再び頬に触れてつい避ける。それなのに容赦なく顎を掴まれて前を向かされ、反対の手が瞼をこじ開ける。事実として先より眩しさは落ちているのだろうが藤堂にとって苦痛であることに変わりない。脚ががたがた椅子を揺らす。叫び出したい気持ちになる。早く終わってほしい。

「つらいかい」

 頭の上の方で頷くと、崎島は手を放す。首輪が許す限り俯いて目を強く閉じた。爛々と瞼の裏を焼く明るさはどんな刃物より苦痛を与えてくる。髪の先から汗が滴り、スーツ越しの腕に落ちたのが分かる。冷や汗で身体が寒い。

「じゃあ、もう少し」

「まだ、やるのか」

「当たり前だろう? これじゃまだなんの結果も考察も得られないからね」

 イカれてる、と口をつきそうになって、またぱっと光が放たれたので引っ込んだ。もはや程度の低い苦痛なのかさえ判断出来ないほど藤堂は憔悴していた。崎島に頭を掴まれなくてもぼんやりと光の方に頭を向けるしか出来なかったし、目は閉じた状態と半開きを虚ろに繰り返している。涙が流れている気もしたが、汗かもしれなかった。もうなにも分からなかった。

「ミツル、大丈夫?」

 明かりが消され、瞼の上を崎島の手が覆う。眼球が闇を求めてぐるんぐるん暴走して、まだ落ち着きは取り戻せそうにない。

「大丈夫に見えるか……」

「見えない。ごめんね、やはり少し無理をさせすぎたかな」

 本当にごめんだなんて思っているのか怪しい口ぶり。藤堂は荒く呼吸を繰り返す。

「少し休もうか」

 崎島はその手で藤堂の頭を撫でる。この歳にもなって頭を撫でられるなんて、と屈辱めいた気持ちが湧きそうであり、もうそんな気力もなかった。

「なにか飲むかい」

「……いらない」

「そう? すごい汗だね、少し拭こうか」

 額に、頬に、ふわふわした感触。ハンカチのようなものでそのまま首筋を拭かれ、藤堂は自分が思っていたより汗をかいていたことに気が付く。

「開けるよ」

 一番上まで留めていたシャツのボタンがひとつ、ふたつと開けられ、ハンカチが潜り込んでくる。物理的に不可能ではあるものの抵抗する気にはならなかった。胸元をぐっしょり濡らした汗はハンカチをじゅうぶん湿らせたらしく、腋の方を拭かれる時には濡れ雑巾のようにぐしゃぐしゃになっていた。

「えらいね、ミツル。よく我慢している」

 幼子のようにボタンを留められるのを甘受しながら、だいぶ回復した視界の暗さで崎島の姿を認めた。藤堂の半狂乱など見ていなかったかのように涼しい顔をしている。恨めしい、と思ったところで、

「恨んでもいいんだよ」

 と、崎島が呟く。その表情はよく見えないが寂し気な微笑みに見えた。それに当てられるほど藤堂はお人よしではないが、それでも、これだってすべては明るさへの生理的嫌悪を改善する為で、崎島を恨めやしないのだ。

「……できるわけがない」

「はは、そうかもね」

 まるで藤堂の答えを予期していたかのように崎島は笑う。そして、

「ありがとう、ミツル。それなら、もう少し我慢して……」

 そんな飴と鞭を放っては、再び地獄のスイッチを入れた。

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