D-Family 短編集

円ぷりん
円ぷりん

幹部様の美味しいオムライスと未知の賑やかな食卓

公開日時: 2021年7月13日(火) 13:29
文字数:3,982

 成長する度に食卓が嫌いになった。無邪気に「美味しい」と言えばいいわけでも、ありったけの語彙を駆使して感想を言えばいいわけでもなくなっていく家族の団欒はもはや苦痛を伴うものになっていて、食べることさえよもや嫌いになるかもしれなかった。実家を離れて今の居場所にたどり着いてからそんなことはなくなったのは救いだったけれど。

 今いるこの場所に共に暮らすのはかつてとは違うが確かな「家族」であり、花坂光はそれを享受している。血の繋がりだって無いし、友人だったわけでもなんでもない他人だ。寧ろ光にとってはそのくらいの人と「家族」である方が好ましいのかもしれない。近すぎる関係には息が詰まる。食卓を必ず共にしなくてもいい「家族」、自らが持つ「異能力」を隠し立てする必要のない「家族」は、大切にせねばならない圧力が無くて楽だった。光を含めたその「家族」がたとえ異能研究の研究対象であったとしても。

 暇を持て余した光が研究施設の中をうろついていると、ふと、なにかが焼ける匂いがした。良からぬそれではなく、どちらかというと美味しそうなもの。その匂いのもとを探って行くと見慣れぬ小部屋に着く。人がいるとは思えないほど暗かったので明かりをつけようかと思ったがすぐやめた、その長身な身体をぎりぎりのところで目に映したから。

「アーテル様、ですか」

 やっと姿が視認できそうなほど暗い部屋にいた男は、ルークスか、と振り向きもせず静かに言う。「ルークス」とは光のコードネームで、この施設にいるメンバーに必ず与えられているものだ。今、光が呼んだ「アーテル」という名もコードネームである。だから光はきっと存在するであろうアーテルの本名を知らない。

 皆にコードネームをつけたのは「デウス」と呼ばれるこの研究施設を管轄する男であり、光を含めた皆を研究している権威ある博士であるらしい。

 じゅう、と香ばしい音。そこで初めて光は、ここがキッチンであることに気が付く。アーテルが立っているのはコンロの前で、その横には調理台と流し場、より手前側にはダイニング代わりのテーブルと椅子が並んでいる。こんな部屋があったのか、とまだここに来て比較的日の浅い光は思う。

「どうした、俺かここに用事?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」

 沈黙。アーテルと改まって話をすることは光の立場では早々無かった。なんでもアーテルはこの「家族」の幹部であり……施設にいる面々で構成された「家族」は一種マフィアやギャングとでも呼ばれそうな組織めいたところがある……光はまだ新米のひよっこだ。幹部と呼ばれる役職の者がどんな役割を果たすのか知らないが、話をするとなると些か緊張する。

 ふわり、鼻をつく香りは卵を焼いているものだろうか、特段空いていたわけでもない腹がぐるりと鳴りそうになる。

「料理とかするんですね、意外です」

「するよ、気まぐれに」

 なにが意外って、アーテルの声が少し笑っていた気がすることだ。相変わらずフライパンを見ているのでその表情までは分からないが。冷酷なサディストであるらしいアーテルがこんな風に人と接するなんて、と正直驚きを隠せない。次の言葉が見当たらなくなった光が黙ってしまって、また暗闇に沈黙が漂うかと思ったが、

「ルークス、トマト嫌いだっけ?」

 とアーテルが尋ねてくる。

「嫌いです」

「トマトケチャップのことは許せる?」

「許せます」

「そう」

 アーテルが初めて振り向く。二メートルまであと十二センチのスマートな身体は薄暗い部屋の中でも黒い服に包まれていると分かる。

「今なら俺が作ったオムライスが食べられるけど、どうする?」

 オムライス、と小さく口の中で復唱する。またしても意外な言葉が飛び出してきたこと、その言葉に思いの外自分が嬉しくなってしまったことの両方に光は小恥ずかしくなる。どうする、と再び尋ねたアーテルに、食べますと言おうとして

「た、」

 別の男の顔が頭を過った。神経質そうに整った柔和な表情の男、デウス。光を「家族」に迎え入れてくれたその人は「家族」が口に入れるものについて口うるさい。断りを入れずに食べてもだいじょうぶだろうか、と、アーテルの気に障らないように尋ねたくて、

「怒られませんかね」

 なんて曖昧なことを口走ってしまった。頭をすぼめてしまう。この人にこそ怒られるかな、となんとなく思った。しかし目の前の男は、きっと白いのであろう歯を見せるようにして

「あの人に? 問題無いよ、あの人は俺の料理があれで好きだから」

 また調理に戻る。それは果たして答えになっているのだろうか。光は判断しかねたまま、しかしすっかりオムライスの気分になってしまった身体には逆らえず、いそいそと椅子につく。

 机上には既にケチャップライスと思しき山がよそわれた面長の皿とスプーンがひとつ用意してあり、誰かに振る舞う予定が無かったことを察する。

「ほんとにいいんですか、その、いただいてしまって」

「うん? いいよって言ってるんだから食べればいいんだよ」

 優しいような厳しいような口調。はい、と小さく返す。暗い部屋で完成を待つのはなにか罰を受けているようであるが、仕方のないことだった。

 アーテルには異能力による強烈な副作用があるらしい。そのひとつが「明るいことへの拒否反応」であり、自然光か否かを問わず明るい場所を生理的に受け付けないらしい。その感覚が光には想像しきれないけれど、眩しい、と思う光の度合いが自分とは違うだけなんだろうなと思うことにしている。だからアーテルのいる場所はいつでも暗いし、今のキッチンに豆電球のような微かな明かりしかついていないのもそれ故である。

「ほら、出来た」

 は、と眼前でケチャップライスにとろりと黄色く流れ込む。その上に心電図のような軌道を描いてケチャップがかけられ、光に皿が差し出された。

 顔を上げて目を合わせる。暗い中でも黒々としているアーテルの瞳。

「召し上がれ」

 アーテルは冷蔵庫に向かって卵を取り出す。これから自分の分をつくるのだろう。先にいただいていいのだろうか、と思ったが、出されたものを食べない方が失礼なので、手を合わせて「いただきます」と言う。

 ふわふわの卵が乗ったライスにはチキンやらグリーンピースやら豊富な具材が混ぜ込まれている。ほわほわと湯気を立てるひと口目を食べる。はふ、と漏れる熱い息。上顎を撫でるケチャップ、舌と絡み合う卵。

「美味しいです」

 飲み込んでからアーテルの方を見た。次のオムライスの為の卵を混ぜているアーテルは顔だけで振り返った。

「そう?」

 すぐに作業に戻ったが、光はまだぱちくりと目を瞬かせていた。今のアーテルの表情に完璧に面食らってしまった。あんな風に嬉しそうな顔も出来るんだな、とこの男に対する印象が心の中で変わっていく心地がする。

「あ~~いいなぁ幹部様のオムライス」

 突然背後からした声に身体がびくりと震える。咄嗟に振り向くと、にまにまと唇を歪ませた「家族」の一員、アルブムというコードネームの女の姿があった。廊下の照明を背中から受けて逆光になったしたり顔。

「良かったじゃんルークス、この人のオムライスなんてなかなか食べられないよ」

 ぽんと肩を叩く手は薄い。そうでなくともアルブムは吹けば飛びそうに線が細いので、触るのも触られるのもおっかない心地がしてしまう。

「アルブム、メンテナンスは終わったのか」

 じゅう、と先も聞いた卵の焼かれる音。

「ええ、今日は少し早めに。ちょっと針が痛かったですけど」

 言いながらアルブムは右肘の内側を摩っている。今日は採血があったのだろう、この施設ではデウスによる研究のほかに「メンテナンス」の時間があり、採血もその一だった。器用に腕を揉みながらアルブムは歌うように部屋に声を響かせる。

「あたしも食べたいなぁ、幹部様のオムライス。ね、洗い物したげるんで、あたしにも作ってくださいよ」

 光の隣に陣取るアルブム、その拍子にアンバーの香水がふわりと香る。

「残念だがライス切れだ。お前にやったら俺の分がなくなる」

「なぁんだ。じゃ、今度でいいです」

 図々しいことを言いながらアルブムは光のオムライスをひと口くすねて口に運ぶ。いつの間にスプーンを持っていたのか、と突っ込む暇もなく、とろとろ卵の端っこの方を美味しそうに堪能している。

 こういう時、なんと言うのが正解なのだろう、と光は思った。光は一人っ子で、きょうだいと囲むような食卓の経験は無い。給食は品行方正に食べさせるような学校でしか食べなかったし、家庭の食卓も両親が口うるさいばかりで茶目っ気はほとんど無かった。だから、自分の料理を食べる人になんて声を掛けたらいいのか、怒ればいいのか無視するべきなのか傷ついて泣き喚くべきなのか、光には分からない。

 その様子にやっと気が付いたアルブムも、光と同様一瞬固まる。しかしすぐにいつもの調子で

「え、そんなにショックだった?」

「いや……」

 少なくともショックではないのでやんわりと否定しておく。今の逡巡を説明するのも憚られて、もうひと口くらいどうぞ、なんて勧めてしまう。その言葉に素直に甘えるアルブムは光とは違った意味で美味しそうにふた口目を食べる。

「ん~~相変わらず美味しい。顔に似合わず繊細なお料理しますよねぇ、アーテル様」

「なんだ、折檻でも所望か?」

「なんでもございませぇん」

 光の知らない未知の賑やかな食卓だった。こんな時、どんな風に振舞ったらいいのか光にはやはり分からない。しかしなにか気負って演じる必要もないのだろう。ここの「家族」はそんなことを強要してこない。光にとってはそれは都合が良かったし、こんな食卓のことなら好きになれそうだし、幹部様のオムライスは美味しい。機会があればまたつくってもらいたいくらいだ。とりあえず今は目の前のひと皿を楽しもう、と、光は銀のスプーンを卵の黄色の中に沈める。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート