藤堂満にその外見からは想像もつかない悪癖があると崎島碧が知ったのは、つい数か月前の偶然だった。
光と相容れない身体である藤堂に崎島はおおいに興味を持ったし、その身体と引き換えに扱える異能の強さにも好奇心をそそられた。他者を洗脳し、思い通りにできる能力。王たる能力とすら呼べそうなその異能を崎島は絶対に手中に置いておきたくて、副作用の改善という条件を持ち出してそれが叶ったのは良かった。
研究対象の強いところだけを見るのが研究者ではない。
ひどくショートスリーパーな崎島は誰もが寝静まるような時間に施設の中を歩いて回ることがあり、静かな廊下に自身のハイヒールの足音だけが響くその時間のことが好きだった。頭の回転がやまない崎島にとって唯一考え事をしなくて良い時間だったかもしれなかった。とはいえ実際、通りかかった「家族」の部屋のドアを眺めては思いを馳せていたので、彼が本当の意味で無心になれることなんてないのだろうけれど。
だからその夜、静寂を切り裂くような小さな呻き声を、崎島は聞き逃さなかった。
その声の主がいるであろう部屋の方に耳を澄ませていたらたどり着いたのは「Ater」とプレートが示す部屋で、崎島は目を丸くする。Ater、普段「アーテル」と呼ばれる男はその真の名前を藤堂満といい、到底先に聞いたような声を出す種類の男ではないと、崎島は判断していた。とはいえ聞こえたものは聞こえたものだから……。
こんこんこん、と三度ノック。中からは苦し気な呼気。
「開けるよ」
指紋の認証によって簡単に開いたドア、隙間から静かに身体を忍び込ませる。夜だからもあるが真っ暗な藤堂の部屋、崎島は己の視界の為に手持ちの小さなライトを付ける。
「う、」
ベッドの上でもぞりと後退る気配。部屋の主である藤堂は、顔を手で覆うようにしながらその長身を丸める。
「ミツル、具合でも悪いの……」
言いかけて、息を呑む。シーツに散っているのが赤い色だと認めたから。もう一度名前を呼んで、酷だと思いながらもその表情を見ようと顔に光を向ける。
藤堂の長い指にこびりつく生々しい赤。
「碧、か」
やっと声を聞けた安堵から光を宙に避けたが、藤堂のその姿は崎島の視界を嫌というほど支配した。目元を押さえては指を赤く染めて、ふぅ、と鋭く息を吐いている。びっしょりかいた汗が、縮めている身体が、事態の壮絶さを物語っていた。
「なにがあった、ミツル」
ぐるりと部屋を見渡すが誰かがいる形跡、いた形跡はなさそうだ。すると、藤堂のこの怪我は。
「もう、夜が明ける」
藤堂は言う。崎島には言葉の意味が一瞬分かりかねて、察した。夜が明ければ太陽が昇り、藤堂にとってより不便な時間がやってくる。
「想像するだけで眩しくて……碧のすべてを台無しにするようなことをした、俺は……」
手が外された藤堂の両目は赤く充血して、右の下瞼は爛れて血をぐずつかせていた。かたかた震える手をとるとひどく冷たい。きゅうと握る、血がつくのも構わずに。
「いいんだよミツル、そんな顔をしないで」
「……どんな顔をしている」
「苦しそうだ」
藤堂は、ふ、と笑う。真っ赤な目で、噛み締めた痕の残る唇で。
「碧に、人の苦しさを察知する力があったなんてな……」
膝だけでベッドに上がり、藤堂に近づく。暗い中覗き込んだ目はしかしそこまで重症というわけではなさそうだったが、衛生的にもこのまま放っておくわけにはいかないだろう。
「自分の目を潰そうとしたの」
「は、わざわざ聞くか、それ……」
「夜が明けるのは怖い?」
おいで、とそのまま手を引けば藤堂はよろよろとおぼつかない様子で靴を履いて立ち上がり、碧、と名前を呼んだ。
「怒らないのか」
「なにを?」
「これから俺の異能を研究するのを妨げたかもしれない、俺の悪癖を……」
悪癖か、と崎島は唇の端だけで笑う。悪い癖だという自覚があるのかということと、今日のこれが初めてではないんだなということ。申し訳ないと思っているんだということ。それほど藤堂にとって光は恐ろしいのかということ。そんなことが分かってしまったから。
「怒ったら、やめてくれる?」
上手く目が開けられないらしい藤堂の手を引きながら、まだ開ける予定のなかった研究室へ崎島は向かう。質問には答えなかったが、そうか、と静かに藤堂は言った。
「……夜は、明けたか」
薄暗い研究室に入りながら、藤堂の声がする。彼をそっと中に招き入れながら肩に触れた、優しく二度、撫でた。
「もう明けるよ。けれど、君は大丈夫だ、ミツル」
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