「ふぅ~っ」
カランカラン♪ 今日何度も聞いたドアベルが夜風に当たり、静かな街へと響き渡ってゆく。少し冷たい夜風が労働を終え火照った体に染み渡る。そうして体が冷えると、少し冷静になりつつあった。頭がすっきりすると様々な思いが駆け巡ってしまい、正直このまま逃げ出してしまいそうになっていた。
「あぁ~明日から毎日がこんな感じなのかなぁ~」
(シズネさん達には悪いけど、マジでこのまま逃げようかな。たかがレストランだって、思ってたのが間違いだったなぁ~。まさかこんなに忙しいだなんて思いもしなかったし……)
そう思い逃げ出そうかと街明かりが輝く方を見たのだが、シズネさん達の顔が浮かび躊躇してしまった。
「シズネさん……」
「どうされたのですか、旦那様? このようなところでお食事も取らずに……」
カランカラン♪ ふと背後で店のドアベルが鳴り、思わず振り返ってしまう。そこに現れたのはやっぱりシズネさんだった。もう食事を終えて、俺のことが心配で来てくれたのだろうか?
「シズネさん、あの……」
(どうする? 今思ってることをシズネさんに話しちまうか? でもそれだと……)
『シズネの問いかけに何と答えますか? 以下よりお選びくださいませ』
『実は正直俺、辞めたいと思ってるんだ』全フラグをへし折る逃走バットエンド。
『それよりもシズネさんのお口周りが気になる』へっ?
「あの……シズネさん。こんなこと言いにくいけどさ、口の周り……大量のケチャップついてるよ」
「おや、これは失礼いたしました……」
きっと急ぎ俺の元へ駆けつけてくれたのだろうシズネさんの口周りには、ナポリタンに使われているケチャップがべったべたに付いていたのだ。一応メインヒロインなのだから、せめてビジュアル的にも食べる前に追い駆けてきて欲しかったよなぁ。
「んっ……さぁ、貴方達も早く自然へとお帰り♪」
俺がそれを指摘してやると、シズネさんはスカートから紙ナプキンを取り出して口元を拭っている。そしてちょい野生動物を保護して自然に帰すときのような言葉を口走りながら、夜風が吹くまま風に乗せゴミを投棄していたのだ。
「いや、シズネさん。しれっとそこらにゴミ捨てないでよ。片付けるの大変でしょ?」
「ま、大丈夫でしょ。それにビューっと飛んで行きましたから、やがては海へと帰るでしょうし……」
それは昨今世界的にも問題になっている環境破壊というヤツじゃないのかい? あと何でもかんでも、すべての物事が海起源発生だと誤魔化してんじゃねぇよ……ったく。
「それで……どうされたのですか?」
「はぁーっ。実はさ、レストランの仕事ってのがこんなに大変だとは思ってもみなくてね。今日一日だけでも大変で疲れたし……」
俺は正面向いては言いづらく、シズネさんに背を向けながら今思っていることを少しずつ語ってゆく。
「それでもう辞めようかと……シズ……ネさん?」
「(んっ)」
シズネさんは言葉の続きを察したのか、俺の背中へと頭をつけると持たれかけ、体重を俺に預けてきていた。
「あ、あの……シズネさん、一体何を?」
「(ふるふる)」
俺も突然のことで戸惑い、またシズネさんは顔を埋めるように背中に擦りつけると左右に動かしている。「これはもしや……」俺はそう思い、シズネさんに声をかけることにした。
「あのさ、シズネさん……いい加減、俺の服で口元拭くのやめてくれないかな?」
「……あっ、バレちゃいました?」
「うん、まぁ……さっき拭いてたのにまだ残ってるなぁ~っとは思ってたんだけど。まさか俺の服に着けるとは正直思わなくて……」
そうシズネさんは背中に持たれかかるフリをして、実は口元に付いたケチャップを拭っていたのだ。……主に俺の洋服でなっ!!
「旦那様、すみません……」
「えっ?」
シズネさんから突然の謝罪。だが先程の冗談とは違い、その声はとても沈んでいた。
「…………(ぎゅっ)」
「あ、あのシズネさん?」
そして今度こそ、シズネさんは俺の背中から抱きつくと顔を埋め、腕を前へと回して抱きしめてきた。背中に柔らかな温かさと共に、少し甘い女性特有の香りが鼻腔をくすぐり更に混乱してしまう。
「もう……お嫌になられたのですよね?」
「…………」
きっとそれは今日の仕事のことを指しているのだろう。俺は……
『シズネさんの手をとり、共に生きる』正規ルートへ
『シズネさんを拒み、手を振り払いここから去る』完結となり、連載打ち切りへ
「……シズネさん」
「旦那様……あっ」
俺は回されているシズネさんの手に、そっと自分の手を重ねた。そして今の思いを、そして考えをシズネさんに告げることにした。
「実を言うとレストランの仕事なんてダンジョンとは違い命の危険なんか全然無い、ただ料理を作ればいい楽な仕事だなんて、始める前までは高を括っていたのかもしれない。まぁ初日だから仕事に慣れないってのもあったけれども、正直ここまで大変だとは思いもしなかったよ」
「…………」
俺がポツリポツリと胸の内を口にしていく中、シズネさんはただ黙って話を聞いている。
「メニューがナポリタンの一つだけなのにあんな右往左往しちまってさ、それに接客も初めてだから上手くできなかったと思うし……」
「…………」
今日あった出来事を一つ一つ噛み締めるように、シズネさんへと話していく。
「でもね、ナポリタンを美味しそうに食べてるお客の笑顔っていうのかな、それを見てたら何だかさ、レストランの仕事もちょっとは楽しいかな? って思ったりもしてるんだ。それに……」
「…………」
俺は言い訳するように今日仕事を通して得た、『大変さ』と『楽しさ』について一つ一つを語っていく。
「それに今こうしてシズネさんに抱きしめられて、俺って必要とされてるんだなぁ~って思ったというか、なんというか…………シズネさん? あの、聞いてる?」
「ふぇ? ああ、はいはい。聞いてます、聞いてますぅーっ」
……若干シズネさんの反応が鈍いというか、むしろ眠たそうな声で反応してくれたというか、すっげぇ不安だけど俺は言葉を続ける事にした。
「それでね、俺は今まで誰からも必要とされてこなくて……」
「……あの、旦那様失礼ですが、すっげぇ回りくどいので短めにお願いできますかね? ぶっちゃけ眠くなります。あとあんま手、握らないでもらえますかね? セクハラで訴えちゃいますよ」
「あ、はい。すみませんでした……以後気をつけます」
(やっぱりお眠さんだったのかよ。チクショーめっ!! あと普通に訴えるのだけはご勘弁願いたい。でも自分から抱きしめてくれるのはいいのかな? 女性から男性へのスキンシップはセクハラにならないのかよ?)
俺はちょっとだけ重ねた手を浮かせ、訴えられないよう努力することに。そして言葉を続ける。
「だから俺どこまで出来るか正直分かんないけどさ、シズネさんの元に居ようと思うんだ。いいかな?」
「ふふっ、そうですね。これはもしもですが……例え旦那様が逃げようとしても、こうして私が後ろから抱きしめ、逃がしてあげませんからね♪」
「ぷっ。なんだかシズネさんらしいね……それもさ」
「でしょ?」
俺達は軽口を叩き、互いの気持ちを汲む。
「……ですが本当にお辛くなったら、いつでも言ってくださいね」
「えっ?」
「そのときは私も……この手を離しますので……」
「…………」
そう静かに口にするシズネさんは本気だった。最後は……ちゃんと俺に逃げ道を作っていると言いたいのかもしれない。
きっと明日も明後日も今日以上に大変になる。それはレストランを経営する事だけでなく、ギルドに喧嘩を売っていることも含んでいるのだろう。
「女の子が……」
「えっ?」
今度は俺の言葉でシズネさんが驚く番だった。
「いやね。女の子に……それもシズネさんみたいな美少女にそんなこと言われたら、俺一人だけ逃げ出すなんて出来るわけないよ。男だし、それに……俺はシズネさんの旦那様なんだろ? 妻を置いて一人じゃ逃げられないよ、違う?」
「…………ふっ。ふふふっ。そうですね。旦那様は私の旦那様なのです! お仕事でお疲れになったら、こうして私が抱きしめ癒して差し上げます。お辛いのなら、私がお慰めいたします。あと毎日毎日馬車馬の如く、働かせて差し上げます……これが真の主従関係というヤツですよね!」
「シズネさん……。ごめん、最後のところだけは大幅にカットしてもらえると嬉しいかな。もう最後なんて旦那どころか、人扱いされてないもんね! ぷぷっ。ふっはははっ」
「ふふっ。冗談ですよ、冗談。悪魔de半分ほどの、冗談です♪」
月夜に浮かぶ店の前で俺達は抱き締め合い、互いに冗談を言い合って笑い、そして明日からも一緒に暮らしていくことを約束したのだった。
「…………(ニッ♪)」
キィィィィッ、パタン。そんな俺達をそっと玄関ドアの隙間から覗き、少し口元をニヤケさせている赤い影がいたことを、俺もシズネさんも気付いてはいなかったのだった……。
【悪魔deレストラン 飲食店としてのホシュラン・ランキング 未だランキング外】
きっと馬車馬の如く働かせる部分だけは本気なんだろうなぁ~、などといらぬ詮索しつつ、お話は第39話へつづく
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