彼は僕をまるで仇のように睨みつけた。
「ん…うん…」
「ああよかった!目を覚ましたんですね!」
僕は自分が唸っている声で目を覚まし、目を開けると理子さんがそこに居た。彼女はほっとしたように僕を覗き込んでいる。
僕はそれに驚いたけど、彼女が居るということは、僕は家に居るということだ。
でも、自分の命が安全だとしても、これが確かめられない限り、僕の心はまだ戦場にある。
「戦場は…」
僕のその言葉に理子さんは、一瞬だけ悲しそうな顔をした。それから表情を繕い、彼女はこう言う。
「心配ありません。ハルキ様が現れ、すべてそれからはハルキ様の手で敵は一掃されたそうです」
僕は重く怠い体を腕で持ち上げて、ベッドの上に起き上がる。
「やっぱり…あれは、春喜…」
戦場で僕は、青い光をまとって宙に浮き上がっていた少年の後ろ姿を見た。
あれはやっぱり、僕の弟だったのだ。
「お体はどうですか?痛むところは?」
僕が考え込んでいるところへ、彼女は僕の顔を覗き込み、それから僕の体を確かめたそうにあちこち見ていた。
彼女はすっかり慌てて混乱してしまっているようで、僕はそれにびっくりしたけど、彼女は僕がなんともなさそうだと知ると、僕の顔をもう一度見つめ、嬉しそうな、悲しそうな顔をした。
そして、そのままうつむいてわっと泣き出す。
「…傷が…とても深くて…しばらく吹雪様がこちらにいらして、癒して下さっていたんです…私、どうしたらいいかわからなくて…」
僕は思わず彼女を抱きしめた。温かい彼女のぬくもりを、胸の奥に押し込むように引き寄せる。
彼女は僕を思って、過ぎたことにまで胸を痛めてくれる。
「もし僕がこの人を悲しませることになったら」と思うと今まで、触れることすら出来なかったけど、その時の僕は、自分を止めることが出来なかった。そんな必要を感じなかった。
今抱きしめてあげなければ、この人はもっと悲しむ。そんな気がしてぎゅっと抱くと、彼女は泣き止むまで静かに僕の腕の中で震えていた。
腕を解くと、彼女は恥ずかしそうに微笑んでいた。
それがとても美しいから、彼女の涙があまりに温かいから、それから先のことをまだしてはいけないように感じた。
「ありがとう」
それだけ僕は言った。彼女は何も言わず嬉しそうに笑って、僕はその時、幸せだった。
僕は一日だけ彼女と一緒にゆっくりと休もうかと思ったけど、やっぱり兵舎に行ってみた。仲間の兵士が心配だったからだ。
理子さんは、僕が起き上がる時からずっと心配そうだったけど、何度も「もうすっかり治ったから」と言い聞かせ、戸口で僕をまだ引き留めたそうな彼女に、「晩には帰るよ」と言った。
街を抜けて兵舎に近い通りに来ると、何か多くの人が言い争うような声が聴こえてきた。
それがだんだん近くなり、言い争いが軍で起こっているとわかったので、僕は急いで兵舎の中へ駆け込んだ。
中に入ると、二階からの怒鳴り声に混じって、一階の部屋のあちこちからうめき声が聴こえてきた。
まだ治っていない兵士が居るんだ。
「自分は真っ先に治してもらったのに」
僕はそう思って、「何があろうとも必ず僕が初めに戦場に行こう」と、そこでまた思った。
そして、喚き立てる兵士たちの居る二階へと向かった。
兵長室前には兵士が詰め掛け、中でも大きな声で争っていたのは、ロジャーと三班の兵士、アルベリッヒだった。
アルベリッヒは小柄な体からめいっぱい怒鳴り声を上げていた。彼はこう叫ぶ。
「だから!あの野郎がもっと早く来てれば済んだことなんだ!そうすりゃリヒャルトは死ななかった!みんなそう思ってるはずだろ!?兵長!出てきて下さい!」
そう叫んで兵長室のドアを叩こうとするアルベリッヒを羽交い絞めにして止め、ロジャーは彼を抑えるためにこう言った。
「待て!だからってそんなこと上手くいきやしねえよ!悪くすりゃハルキ様の意志一つで俺たち全員が殺されかねねえ!それはお前も知ってるだろう!?」
「うるせえかまってられるか!あいつに一矢報いるんだ!」
ロジャーはアルベリッヒのその台詞を聞いて、激昂した。
「お前なあ!勘違いしてんじゃねえのか!?リヒャルトを殺したのはあの馬鹿でかい馬鹿どもだよ!ハルキ様じゃねえ!」
そこでアルベリッヒは振り返って、兵士たち全員を睨みつけた。
その時、アルベリッヒには僕がすぐに見えたに違いない。
「でも、見殺しにした…!それは確かだろ…もっと前にも、やろうと思えば出来たんだからな…」
アルベリッヒがそう言い終わった時、僕は彼と見つめ合って、彼は憎々し気に僕を見ていた。
僕は目を逸らすことも出来ず、その目を見つめている勇気もなかったけど、アルベリッヒが泣き崩れたので、僕はわけもない罪悪感と、弟のために反論したい気持ちを堪えてうつむく。
軍がこんなことになっているなんて知らなかった。
僕の弟が、「救った」と思われず、「殺した」と思われているなんて。
すると、僕が上ってきた階段を誰かが急いで駆け上がってくる音がした。
「お兄様!」
現れたのは、オズワルドさんだった。彼はいつものローブをたくしあげ、急いで僕の近くまで来て息せき切ってこう切り出す。
「ここにいらっしゃると聞きまして…お話があります。どうぞおいで下さい」
彼がそう言った時、兵士たちは全員こちらを向いて、何人かは興奮した様子で駆け寄ってきた。
「こんな時に密談かよ!」
「ハルキ様の差し金だろう!?」
僕は、オズワルドさんの用も知らないのに詰め寄られて困っていたし、オズワルドさんも何も言いたがらなかったけど、兵士たちの後ろからロジャーが出てくる。
彼は落ち着いた様子で、オズワルドさんに聞いた。
「オズワルドさんよ。こいつはここの一番の兵士なんだ。借りていくからには、訳を言ってくれ」
ロジャーは兵士たちの気を上手く逸らした。オズワルドさんはちょっと言い淀んで言葉を選ぼうとしていたけど、どう言っても疑われると思ったのか、ありのままこう言った。
「ハルキ様が…お目覚めにならないのです。もう、三日になります…」
「ええっ!?」
どよめく兵士たちを背に、僕とオズワルドさんはもう宮殿へ向かっていた。
宮殿へ向かう道々、僕たちは話をしていた。
「春喜が目覚めなくなったってどういうことですか?」
オズワルドさんは青ざめていて、それでも駆り立てられたように、僕を連れて宮殿へ向かう門へと足早に歩いていた。
「わからないのです。私たちが宮殿の扉の前に立っても、扉は開きません。それで、貴方様ならもしやと思いまして…」
そう言ってオズワルドさんは僕を見たけど、僕にその扉が開けるかはわからないし、開けなかったとしたら、春喜に会えなくなるんじゃないかと思って、僕は怖かった。
扉は、開かない。僕が扉の前に立ってもそれは同じだった。
淡く光る白い扉はじっと動かず、オズワルドさんはがっかりして、さらに不安そうにうつむいた。
背の高い彼のうつむく様子で、彼の顔が真っ青なのが、むしろ僕にははっきり見えた。
僕は思わず気が逸り、両手で扉を押そうと手を伸ばす。
その時、青い閃光のような光が僕の体を包み、僕を扉の前から吹き飛ばした。
「ああっ!」
思わず痛みに悲鳴を上げる。全身が一瞬のうちに火傷をしたように、ビリビリと痛んだ。
「お兄様!」
慌ててオズワルドさんが駆け寄って来て、僕の傷を治そうと両手を伸ばしてきてくれた。
ああ、目の前が真っ赤だ。きっと僕は今、顔中が血だらけなんだろう。
春喜、どうして僕が来たのに扉を開けないんだ?お前は今、どうしているんだ?
僕は体中が痛み続けるのに喘ぎながらも、ベッドに横たわってじっと目を閉じている弟を思った。
失意と願いが混じり合い、体の痛みに打ちのめされ、僕はオズワルドさんが体を離すまでぼーっと横たわっていた。
僕の治療が終わった時、オズワルドさんはすっかりくたびれてしまったように地面に片膝をつき、重い頭を支えるように額に手を当てていた。
「すみません…」
僕はそう言ってオズワルドさんに謝ったけど、胸の中は春喜のことでいっぱいで、オズワルドさんはそれを察してくれていたのか、笑ってくれた。
「いえ、これしきのこと、なんともございませんよ。一旦…街へ戻りましょう」
「はい…」
僕はそれから、直接家に戻った。もう一度兵舎に行ったところで、争いに巻き込まれるだけだとオズワルドさんは言った。
それはそうだと思うけど、このまま仲間と心がはぐれてしまうのは嫌だった。でも、あの状態の場所に戻っても、僕は憎まれるだけだろう。
自分が逃げ腰なのは分かっていたけど、僕には方法が思いつかなかった。
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