オレがアイドルをプロデュースしたらこうなる

JUN
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序章 突然の告白

公開日時: 2020年10月1日(木) 20:02
文字数:4,861

「祐司、あなたのパパは、生きているのよ」

 白い病室の白いベッドで上半身を起こしている母親は、好物の生菓子をチマチマと食べながらオレに言った。あまりにさりげない口調だったので、花瓶の花を入れ替えていたオレはあやうく「ふーん」と聞き流してしまうところだった。

「えっ、ええっ!?  今、なんて?」

 オレは慌てて母のベットに駆け寄った。広い個室には、まるで自室のように家具やら冷蔵庫やらが完備されていた。初夏の強い日差しは窓のカーテンで遮られて、ベッドまで届かない。

「嫌だわ祐司、耳が遠くなっちゃったの?」

 母は形のいい眉を困ったようにハの字に下げ、細い指で頬を押さえた。

 ヒラヒラのピンクの寝間着を着ている母は、三十三歳という年齢よりももっと若く見える。ふわふわの巻き毛だった明るい髪は、寝たきりの上に週に三回しか風呂に入れないせいで萎んでいた。

「じゃなくて! 父さんが生きてるって?」

「そう。今まで嘘ついていて、ごめーんね」

 年甲斐もなくテヘペロをする母。しかしこれが似合っていて、息子のオレから見ても可愛らしいのだから、元アイドルというのは伊達じゃない。

「父さんて、誰なの?」

 オレは固唾を呑んで、母の言葉を待った。

 物心ついた頃に、父親は事故で死んだと母に聞いていた。母は女手一つで十七年間、オレを育ててくれた。といっても、母は父が死んだショックで鬱病になり、思うように動けない身体だったから、家政婦さんが毎日通って来て家事全般をしてくれたんだけど。

 あれ? 父が死んでないなら、鬱病のきっかけも違うのか?

「まあヤダ、祐司ったら。そんなに身構えられたら言いづらいじゃない。じゃあね、当ててみて」

 さもいい事を思いついたとでもいうように、母は大きな黒目がちの瞳を輝かせた。

 突然そんなことを言われても、見当もつかない。

「答えは、岩山豪さんでしたぁ」

「早っ!」

 考える間もなく、今をときめく音楽プロデューサーの名が母の口から飛び出した。入院していても変わらずマイペースな母親だ。

「岩山豪って、プロデュースした歌手やアイドルが、みんなヒットするっていう……あっ」

 長い間トップに君臨していて、日本人ならその名を知らない人がいない程有名なそのプロデューサーは、母が現役アイドル時代のグループ・シュガービーナスをプロデュースしていた。

 オレが思い浮かべたことを見透かしたように、母は頷いた。

「ママは十四歳でデビューしたでしょ。小さい頃に両親が他界していたし、親身になって世話を焼いてくれた豪さんに、甘えるようになっていたのね。当時豪さんは奥さんと上手くいっていなかったみたいで、別れるからって一緒になってくれって、ママはプロポーズされたのよ」

 別れるからって……、そんな簡単に騙されないでくれよ母さん。

「四歳の息子さんと三人で、よく一緒に遊びに行ったりしたのよ。プライベートビーチだったり会員ホテルだったり、コソコソしないで楽しめる高級な場所ばっかりだったわね。さすが長者番付に載ってたぐらいのお金持ちよねぇ」

 母は思い出しながら、変なところに感心している。

「ママは一六歳の時にあなたを身ごもったのだけど、認知してくれなかったわ。奥さんと仲直りしたみたいね。グループも解散することになって、そして翌年あなたが生まれたの」

「なんだよそれ、勝手な男だな」

 ムカムカして、オレは目にかかっていた前髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。

つか、岩山豪って今、七十歳ぐらいのはずだ。母さんに手を出した時っていくつだよ。節操なしのロリコンめ!

オレはベッドサイドの椅子に乱暴に座った。足を組むと、ピンチェックの高校の制服のスラックスがくるぶしまで上がった。

「母さんが鬱になったのって……」

「うん。捨てられちゃって、なんにもやる気がなくなっちゃって。家でダラダラしてたら、お医者様が鬱病だって」

 兄弟のいない母さんは相談できる親しい親戚がいなかったんだろう。実際、家に来るのは家政婦さん以外に、母の事務所の社長の綿中さんぐらいだった。母は仕事なんて殆どしていないのに、度々母の様子を見に来てくれていた。

 母は鬱病だっていうのに誰に当たることもなく、穏やかな生活をしているように見えた。それは体調が悪い時は部屋にこもって、誰にも迷惑をかけないようにしていたからだと思う。ストレスを溜め込むタイプの人だから、いつしかお酒に逃げるようになっていた。オレはそれに気づかず、肝硬変で入院した時にそう分かったんだ。その延長で今、癌センターに入院するはめになっている。

 母をこんな状態にした原因の発端は、岩山豪だったのか。

「訴えなかったの?」

 オレは怒りで無意識に拳を握りしめながら尋ねた。

「うん。代理人だっていう人が来て、いっぱいお金くれたからね。回りくどい言い方をしてたけど、口止め料も入っていたみたい。ママ動けなくなっちゃったから、あなたを育てるにもお金は必要でしょ? 素直に受け取ることにしたの。……あっ、あなたのせいじゃないからね。ママは自分で思っていた以上に、豪さんが好きだったのよ。訴える気にはならなかったわねぇ」

 のんびりと白湯を飲む母。長い睫毛を伏せると、大きな瞳に蛍光灯の影が落ちた。その表情は穏やかだけど、顔色は青白かった。一時期黄疸で顔も含め全身まっ黄色になっていたので、その時よりもましな顔色に思える。

 あの時は眼球までまっ黄色で、その頃の母は鏡を避けていた。手の平の水が零れるように、綺麗な容姿が徐々に失われていくのは、母にとってオレが想像もできないくらいつらいだろう。しかも今は、それ以上に……。

 オレは思い浮かべた言葉を消し去るように、首を左右に激しく振った。

「オレ、そいつを病室に引きずって来るよ。母さんが癌になったっていうのに、見舞いにも来ないなんて。連れてきて、謝らせる。土下座させてやる」

 母はオレの拳に小さな手を乗せた。その手の甲には点滴の針が刺さっている。通常よく点滴をされる肘の皮静脈は、刺され過ぎた血管のダメージによって、もう針が通らなくなっていた。

「来るわけないわ。それに、会わなくていいのよ。綺麗な頃のママの記憶を、こんな皺々な姿で上書きしてほしくないもの。逃した魚は大きかったって、一瞬でも思い返すことがあったら、それで充分よ」

 全然充分じゃないよ。

オレは悔しくて、下唇を強く噛みしめた。

「今日、午前の授業が終わり次第病室に来るようにって言ってたのは、この話をするため?」

 話だけなら、いつだって出来る。オレは毎日、学校が終わってから病室に顔を出しているんだから。

「話の事もそうだけど、ママがなんとか歩けるうちに色々な名義変更とかしなきゃいけないから、一緒に手続きに行こうと思って。先生からは外出許可をもらったのよ。死んじゃってからじゃ、面倒みたいだしねぇ」

「やめろよ」

 それじゃなんだか、まるで。

「一応よ? どの道必要な手続きなんだし。それに話もね、これから強い抗癌剤になるから、記憶が白濁しちゃうかもって、先生が言うんだもの。祐司にはちゃんと伝えておかなきゃってねぇ」

 母は微笑みを浮かべながら鞄の中から着替えを出している。元々細い身体だったけれど、寝間着越しに背骨の凹凸が痛々しい程に浮き出している。まるで飴細工のように脆く、今にも崩れてしまいそうだった。

「母一人、子一人だもんね。ママ結婚して、祐司に兄弟を作ってあげれば良かったね。天涯孤独になっちゃうね。ごめんね」

「そういうこと言うの、マジでやめてよ」

 どんな顔をしていいのか分からない。

 主治医から、余命宣告を受けていた。入院時に半年と言われ、残すはあと三ヵ月だった。

先生の話は母と二人で聞いていたけど、現実味がなかった。むしろ、治るに違いないと思い込もうとしていた。

母はその言葉を聞いた時、表情を変えなかった。後からポツリと、「ごめんね」と苦い笑みを浮かべてオレに謝った。

母はいつも、自分よりオレを優先する。マイペースで飄々としている姿は、実は自由に動くことのできなくなった悲しみやジレンマを、オレに気づかせないようにしているんだと思う。

鬱病のせいで家から一歩も出なかった母の体調に異変が起こり、何度か通院して検査をすると、肝癌だと診察された。既に他の臓器に既に転移していて、開腹手術ができないと言われた。癌細胞を全て取り除くことができないから、手術をしても無駄だという意味だった。

なぜ母ばかりにこんなに不幸が降りかかるのか。オレはすぐに検査の結果を出さなかった医者に怒った。もっと早く分かっていれば、癌が広がらずに済んだはずだと思ったんだ。オレがもっとしっかりしていればと後悔して、それから世の中には神も仏もいないんだと嘆いた。

「仕方がないわ、奇跡でも起こらない限り、ママは治らないんだもの」

母はナースコールを押した。

「そうそう、今年のバースデーソング、もうできてる?」

 ニッコリと笑った母は、話を変えた。

 オレは毎年母の誕生日に、バースデーソングをプレゼントしていた。初めて贈ったのは五歳の時で、コードもメロディーも殆ど『ハッピーバースデートゥーユー』と変わらない、つたない曲だったけど、母はとても喜んでくれた。嬉しかったオレは味をしめて、それから母の誕生日には毎年、曲を贈っていた。今年で十三曲目になる。

「考えてるけど、まだ誕生日まで四ヵ月あるだろ」

「今年は早めに聞きたいなぁ」

「ダメ」

「祐司のケチー」

 母はぷっくりと頬を膨らませた。

その時トントンとノックがして、ガラリと横開きの扉が開いた。姿を現したのは白い看護服を着た若い看護師の女性だった。

「鳴海さん、お呼びですか?」

「着替えるの、手伝ってくださいます? ほら祐司、出て出て」

 犬を追い払うような仕草をされて、オレは母に背を向けた。生死の話題をしているのに、母は緊張感がない。余命三ヵ月だなんて、到底思えなかった。

「そうだ祐司、大事な話があったわ」

「なに?」

 振り向くと、母は今日一番の真剣な表情をしている。ドアに手をかけていたオレは、ベッドサイドまで戻った。

「祐司の小学校の頃の卒業文集を読んでいてね、これだけは言いたかったの。将来の夢の事よ」

 幼稚園と小学校では、歌手になりたいと書いていた。母が元アイドルだった影響だ。

 母はオレに、グイッと顔を近づけた。頭蓋骨の形がはっきりと分かるほど顔面の肉が削げ落ちていたが、それでも元来の美しさを失っていなかった。

「歌手は儲からないわよ。せっかく作詞作曲ができるんだから、シンガーソングライターになりなさい」

「……」

 次の言葉を待ったが、本当に言いたいのはそれだけらしい。

 オレは内心呆れて、無言のまま肩をすくめると、再び母に背を向けた。

「真面目な話よ! あなたはママに似て身体が弱いんだから、自分でスケジュール調整できる仕事に就くのよぉ」

 どこまでが演技で、どこまでが素なんだろうか。

 

 優しくてちょっと天然のこの母親は、その年のオレのバースデーソングを聞かないまま、三十三歳の若さでこの世を去った。

 葬儀の日、コチョウラン、グラジオラス、ユリなど白い八千本の花とキャンドルで、祭壇は豪華に飾られた。アイドルを引退してからエッセイ本を出したり、ちょっとしたコメント取材を受けていただけで世間に殆ど顔を出していなかったにも関わらず、音楽業界関係者がかなり多く集まって驚いた。

 特に喪主のオレをサポートしてくれたのは、母の事務所の綿中健一社長だった。葬儀で号泣しながらも、オレより動き回って準備に挨拶に奔走してくれた。母は友人らしい人が少なかったが、この綿中さんだけは慕っていた。

 岩山豪は、葬儀に姿を現さなかった。

 

 岩山豪が母を捨てていなければ。

 せめて、別れた後の対応が違っていれば。

 母はこんなに早くこの世を去ることはなかったはずだ。

 

 オレは連日こっそりと泣きに泣いて、それでもなぜか枯渇しない涙で瞳を潤ませながら、綺麗な祭壇の中央にある、溌溂とした笑顔を浮かべている母の遺影を見つめた。

そして、決意する。

 絶対に母の墓石の前で、岩山豪に土下座をさせる、と。

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