オレがアイドルをプロデュースしたらこうなる

JUN
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第一章 オレ、アイドルのプロデューサーになる 1

公開日時: 2020年10月2日(金) 21:02
文字数:3,330

 地下鉄千代田線の赤坂駅。若干アクセスの悪いこの駅から徒歩十分ほどの、裏路地に入った六階建ての古い雑居ビルが、オレの目的の場所だった。立派なビルが立ち並ぶ表通りと違い、裏はアパートなどの住居や小規模のオフィスビルが乱立していた。

「ワタナカ音楽事務所」

 オレは小さく表札を読んだ。

 初めて来たけど、思っていたよりみすぼらしい建物だった。

 フロア案内板の文字は殆どが掠れていたが、四階と表示された『ワタナカ音楽事務所』の表札の字ははっきりと読める。

 オレは新調したばかりの黒いスーツの襟とネクタイを改めて正してから、四人乗ればいっぱいのエレベーターに乗り込んだ。動き出したエレベーターは、不安になるような大きな音がした。

 実はオレは今、就職活動中なのであった。

 大学四年の春が終わろうというこの時期、周囲では内定が決まり始めているのにもかかわらず、初めての会社訪問だった。

 一般職は募集も早いが、オレの場合は技術職。元々スタートが遅いというのもあるけれど、そもそもここは学校に求人が来た企業ではない。

母が所属していたこのワタナカ音楽事務所に就職することしか考えていなかったから、五月になって履歴書とオリジナル曲をいくつか入れたデモテープを郵送してみた。すると一週間も経たないうちに、事務所に来るようにと封書が届いたのだった。筆記試験や面接などと試験内容には触れておらず、日時の指定のみが書かれていた。一体なにをさせられるのやら。

四階で降りると、すぐ目の前にグレーのドアがあった。よくあるマンションのドアと同じシンプルなものだ。インターフォンを押すと「はい」と若い女性の声が聞こえた。

「本日十六時にお約束をしている、鳴海祐司です」

 十六時十分前。早すぎずで丁度いいだろう。

 すぐに内側から開錠する音がしてドアが開いた。事務員らしい女性に案内されて、十畳ほどの無人の部屋に通される。オレ以外に、学生は来ていないようだった。

 壁際にはLP・CD・DVDが並んでいたり、表彰楯やトロフィーも飾ってある。華やかさはないけど、結構有名な歌手が所属する事務所だった。歴史は長くはないものの、所属アーティストは中堅か大御所。つまり、若手はいない事務所だった。

「祐司君、よく来てくれたね!」

 トレイを持って現れたのは、上に伸びるはずだった栄養が主にウエストに集中した体型をしている、綿中社長だった。

 トップ自らコーヒーを持って来たので、オレは慌てて立ち上がって手伝おうとする。

「いいよいいよ、座っててよ祐司君」

 高めの愛嬌のある声、眉から離れたまんまるの黒目に大きな鼻、全体的にボールのような身体にふっくらとした腹が際立っている。オレは綿中さんを見る度に、クマのぬいぐみが擬人化したらこんな感じかなあと連想して癒されていた。

「うちなら大歓迎だよ! 愛ちゃんの愛息だし。私の携帯番号知ってるだろう? 直接連絡をくれたらよかったのに」

 愛ちゃんとは母の名だ。鳴海愛子、アイで芸能活動をしていた。

「僕は、コネとかそういうのが嫌で書類を送ったんですけど……」

 オレは唇を引き締めて、生真面目な表情で綿中さんを見た。すると慌てて、困ったように短くて太い眉を思い切り下げた。

「そういうんじゃないんだよ。うちでCDを出してるし、力量は分かってるから」

 ささ飲んで、とコーヒーを勧める綿中さん。オレは「いただきます」と言って、砂糖とミルクを入れてコーヒーを飲んだ。

「『バースデーソングス』ものすごい反響だったよね。愛ちゃんへの想いが伝わってくる、いい曲ばかりだった。特に最後の十八曲目ね。私は聞くたびに泣いてしまうよ」

 そう言いながら綿中さんは既に涙ぐんでいた。オレは内心で苦虫を噛み潰す。

 母が亡くなって葬儀が落ち着くと、綿中さんはオレが母にプレゼントしていた曲をアルバムにして発売しようと言い出した。母が亡くなった約一ヵ月後の誕生日に贈る予定だった曲を、母に聞かせなくて後悔していると、オレが綿中さんに言ったのがきっかけだった。

 本当はとっくにでき上がっていたんだ。母も曲を聞きたがっていた。だけどできていないふりをして聞かせなかったのは、そうすればバースデーソングを聞くために、意地でも長生きしてくれるんじゃないかと思ったからだ。だけど病は、意地や根性でどうにかなるような、甘いものじゃなかった。

 でもやっぱり、あの時のオレは、奇跡を信じていたんだよな。

 CD化の話を初めは断っていたんだけど、沢山の人が曲を聞けば愛ちゃんにも届くとか思いは伝わるとか、そんなことを綿中さんに言われた気がする。オレは母の死のショックでまだ頭が正常に働かなくて、とにかく一人になりたかったから、好きにしてくれと答えて音源を渡した。

 この行いを、すぐに後悔することになった。

 CDは母の誕生日に合わせて緊急発売され、随分と話題になって取材の話が殺到したそうだ。そこまでは連絡先はワタナカ音楽事務所になるので、取材NGにすればオレには関係がなかった。しかし、どうやって調べるのか、オレの家までマスコミがやってくるようになってしまった。電話もインターフォンの電源も落として居留守を使っていたらそのうち収まったけど、あれは結構嫌な体験だった。

 その後、届けられたCDを聞いて、再びオレは青くなった。

 曲はほぼ無修正で、五歳でプレゼントした曲から全て収録されていた。幼い頃の声変わり前の外れた音程の歌も、色気づいてコードをアレンジしていたり、チョーキング・ヴィブラートを奇妙に多用していたりするのも原曲のまま。気分で作っていたから、楽器もピアノだったりギターだったり打ち込みだったりとバラバラだ。

オレの黒歴史が詰まったCDは、累計十万枚を超えるセールスになったそうだ。

 消えたい。

「有名な音大を出てるし、届いた曲も良かったし、実績もあるわけだしね。祐司君ならもっと大手の音楽事務所にだって入れるよ。本当に、うちでいいのかい?」

 入社志望で来ているのはこっちなのに、なぜか綿中社長は縋るような目でオレを見ている。

「母が信頼していた会社ですから、僕も安心して働けると思って、希望しました」

「本当かい? じゃあ即採用だよ! 良かった、良かったよ祐司君!」

 社長はパアッと表情を明るくして立ち上がると、テーブル越しに手を差し出してきた。そのふっくらとした温かい手を握る。

「ところで祐司君」

 綿中さんはオレの手を握ったまま、黒目がちな目を向けてきた。

「今から、ここで働けないかな?」

「えっ!?」

 思わず身が引けるオレの手を両手で握り、お願いのポーズをする社長。

「学校には、研修を兼ねているとか上手くいって、アルバイトで通ってもらえないかい? 毎日じゃなくても大丈夫。どうしても人手が足りないんだ」

 拝むように頼まれて、考えるように視線を流しながら空いている手で窮屈な襟元を軽く持ち上げた。慣れないネクタイをきつく締めすぎたのか、少し息苦しくなってきた。

「来年の卒業作品提出さえできれば、そんなに大学に行かなくても卒業は出来ると思いますけど……」

 大学で作曲を専攻しているので、一月二月で三曲提出しなければならない。

「ありがとう! 祐司君は救世主だよ!」

 両手を広げてタプンタプンと首や腹を揺らしながら突進してきた綿中さんに、オレはムギュウと抱きしめられた。骨も肉体もあまり丈夫ではない身体がミシミシッと悲鳴を上げる。

「いたたっ、痛いです綿中さん。どうしたんですか?」

丁度目の前にある綿中さんのつむじを見ながら、オレは困惑した表情を浮かべる。顔を上げた綿中さんは、悲しそうに思い切り眉を下げていた。

「どうしても来年頭にはデビューさせたいアイドルグループがいるんだけどね。予定していたプロデューサーが、帰国できなくなっちゃって」

 名前を聞くと結構有名なプロデューサーだった。海外アーティストのプロデュースが思いのほか当たって、戻れなくなってしまったそうだ。

「代わりに祐司君がプロデュースしてくれないかな?」

「えええ――っ! プロデュース!?」

 なんだか、凄い話になって来た。

「サポートはするからね。久々に新人を出すから、外注にはしたくないんだよ」

 オレは弱って天井を見上げ、切りそろえている襟足を擦った。

 母さん、どうしよう?

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