――診察の結果は、“異常なし”だった。
脱臼でもねん挫でも、打ち身ですらなかった。
「良かった」
診察室を出た鈴は、椅子に座って安堵している。
そりゃ、良かったんだけど。
「鈴、なんでもなかったじゃないか。いつもあれだけ動いているのに、足に異常が歩かないかくらい、自分で分からなかったのか?」
「だから、転んだ時に一瞬、足首が痛かったの! もし筋でも痛めてたらと思ったら怖かったんだもん。鈴はダンスで一等賞じゃなきゃいけないんだからね!」
鈴はダンスのコンクールでは常に一位だと聞いていたけど。
「そうは言っても、緊急を要するかどうかくらい分かるだろ? 本番前で、たくさんの人に迷惑をかけたんだぞ?」
「鈴は踊り続けなきゃいけないの! 一番でいなくちゃいけないんだから!」
プイッとふてくされる鈴。
繰り返しで埒が明かない。
今までなんでも明るく素直にオレの言う事を聞いていたけど、ダンスについてだけは聞く耳を持たないところがあった。誰よりも真剣で、練習も納得がいくまで何度も何度も繰り返していた。
そこには鈴が固執する、なにかがありそうだった。
「なんで、一番に拘るんだ?」
今回はラブデドールに突き飛ばされたことが原因だとしても、直前のキャンセルが続いてしまっては信用にかかわる。鈴の抱えているものを、オレも知っておくべきだと思った。
迷うように瞳が揺れたが、待っていると、ようやく鈴は重い口を開けた。
「鈴は、二人分なんだよ」
「二人?」
コクリと鈴は頷いた。
「鈴は双子だったの。鈴が先に、いっぱい栄養を取って生まれたから、蘭は病弱になっちゃって、生まれてすぐたくさん手術を受けなきゃいけなかったの」
蘭というのが、鈴の双子の妹だろう。蘭が手術を受けなければいけないのは栄養レベルの問題じゃなくて、先天的な疾患を持っていたんじゃないだろうか。
「蘭はずっと入院してて、鈴は毎日お見舞いに行ったの。鈴が踊ると、蘭はすごく喜んだんだよ。だからちゃんとダンスを習って、蘭に見せてたの」
鈴は病院にそぐわない、煌びやかな白いステージ衣装の短パンから伸びる足をぶらつかせる。
「だけどね、小学一年生の頃、胸が苦しくて、鈴は倒れちゃったんだ」
診断は、胆道閉鎖症という肝臓の疾患だった。
「鈴の場合は、臓器移植でしか治らないってお医者さんに言われたの。そうしたらね」
“蘭の肝臓を使って! ”
鈴の隣のベッドにいた蘭は話をすべて聞いていて、蘭から家族に申し入れたのだという。
血縁者であっても必ず適合性があるとは限らないが、一卵性双生児となれば別だ。拒絶反応が起こることはないという。
しかし。
「手術ってすごく体力使うんだって。蘭の身体はとても弱かったから、移植手術をすると命の危険があるって、お医者様に止められたんだって」
蘭は元々、一生病院から出ることのできない状況だった。
「でもね、鈴はそんなこと、全然知らなかったの。蘭が口止めしてたんだって」
蘭の強い要望で、移植手術をすることに決まった。
手術前に、蘭は鈴にこう言った。
“蘭が鈴の身体の一部になって、飛んだり跳ねたり、自由に動けるのが嬉しいの!”
そして蘭は鈴の手を握った。
“ダンスが上手でキラキラしてる鈴が大好きだよ! これからも笑顔で、誰よりもキラキラしていてね!”
移植手術は成功した。
しかし、医者が懸念していた通り、蘭の身体は肝臓を切り取る手術に耐えられなかったのだ。
数日後、蘭は亡くなった。
「分かったでしょ? 鈴は、誰よりもダンスが上手くなきゃいけないの! 怪我とか絶対許されないんだから!」
「鈴……」
今までダンスに拘り続けて来た理由が分かった。小さい体で、既に大きいものを背負っていたんだ。
「蘭はなんのために生まれてきたんだろう?」
鈴はつらそうに呟いて、胸の下を押さえた。肝臓の辺りだ。
「鈴にこんなのくれなければ、もっと生きていられたのに。鈴のせいで死んじゃったんだよ!」
鈴は膝を抱えて、顔をうずめてしまった。
「こんなのなんて言うなよ。それは、蘭なんだろ?」
「……そう、だけど」
鈴は膝に細い顎を乗せた。瞳は涙で潤んでいる。
「それに蘭は、ダンスで一番になってほしいと思ってないと思うよ」
「どうして?」
鈴が首を曲げてオレを見上げた。柔らかそうな丸い頬が、膝の形に潰れる。
「“誰よりもキラキラしてて”って言われたんだろ? トップに君臨し続けろなんて、言ってやしないじゃないか」
「ダンスの上手い鈴が好きだって言ったんだよ?」
「鈴は充分上手いよ。練習しすぎると怪我をしやすくなるし、そんな神経質になっていたら、ダンスを純粋に楽しめないだろ?」
「楽しくなくていいもん」
ダンスをしている時の鈴は、張りつけたような笑顔で前から少し違和感があった。ダンススクールで笑え笑えと言われるのもあるんだろうけど。
「楽しくなきゃ、キラキラできないじゃないか」
「あ……」
鈴が顔を上げた。
「鈴を追いつめるために、それをプレゼントしたんじゃないと思うよ」
病院から出られず、どこにも行けなかった蘭。元気な鈴の中で生きることを選んだんじゃないだろうか。
胆道閉鎖症といえば難病だ。蘭から肝臓を提供されなかったら、鈴の方が先に死んでしまっていたかもしれない。
これはきっと、命のプレゼントだったんだ。
そして、もしかすると蘭にとっては、自由になる儀式だったのかもしれない。
「蘭のためにも、これからもっとキラキラできそうか?」
「……うん!」
鈴はオレの隣に寄り添って、腕を絡めてきた。
「さすが、鈴のお兄ちゃんだね!」
「そう言ってもらえると、嬉しいけど」
オレはサイドテールにした鈴の小さな頭に手を置いた。
「今日みたいな騒ぎ、二度と起こさないって誓えるか?」
「誓うよ!」
鈴はビシッと揃えた手を額に当てて敬礼した。ぷるんと頬が揺れる。
「よし偉い」
ふにふにふにっ。
「にゃ~? 祐司ニイ、なにすんの?」
「うん、まあ、このほっぺが」
マシュマロよりは弾力のある鈴の柔らかい頬を触ってみると、なかなかいい感触で、手が止まらなくなってしまった。
「鈴っ、足はどうだったの?」
紫苑と結衣がやってきた。二人は私服に着替えている。
「全然大丈夫! お騒がせしました、ごめんなさい!」
鈴は立ち上がって、二人に頭を下げる。
「……そっか、良かった」
二人はホッと胸を撫でおろしている。
「撮影の方はどうだった?」
「バッチリよ! ね、結衣?」
紫苑は結衣を振り返る。結衣もコクリと頷いた。
「ありがとうな」
「どういたしまして」
紫苑はニッと笑ってウインクして、はっと思い出したかのような顔をした。
「そうそう、社長が至急電話くれって」
「あっ」
病院なので、携帯の電源を切りっぱなしだった。建物から出て、綿中さんに電話をする。
「待ってたよ祐司君。実は、タイアップの話が来てるんだよ。しかも、ドラマの」
「ええっ、タイアップ!?」
オレは思わず声を張ってしまった。喉から手が出るほど欲しかったタイアップだ。
「でもこれね、条件があるんだよ。ドラマのイメージに合わせて曲を書き下ろすことなんだけど、三日しかないんだ」
「三日……」
たとえ一日で曲を作ったとしても、ドラマの担当者からリテイクが来るかもしれない。かなり厳しい条件だった。それでも。
「やります、もちろん。やらせてください!」
「祐司君なら、そういってくれると思っていたよ。先方の担当者の連絡先を伝えるから、直接やり取りしてくれないか?」
綿中さんから教わった連絡先には、見覚えがあった。
「HKDテレビの旭山さんって、北海道に行った時、初めてゲリラライブをさせてくれた人だ」
早速旭山さんに電話をかけて話を聞いてみると、はじめは有名なアーティストにドラマの主題歌を頼んでいたのが、脚本家が歌詞にケチをつけ始めて土壇場で降りてしまったそうだ。そこでオレに声がかかったというのだ。
しかも運が良かったことは、地方局で企画したドラマなので、キー局でも放送をするけれど、制作は地方局。つまり、キャスティングに岩山豪の支配力が及ばないのだ。
オレは大急ぎで脚本を読んで曲と詞を書き、何度も繰り返される細かい直しの指示にもへこたれず迅速に従って曲を作り上げた。3JAMのスケジュールも調整して、レコーディングも間に合わせた。三日完徹したのは、高校生以来だ。
地方営業が実を結んで、オレたちは広域で放送されるドラマのタイアップを手に入れたのだ。
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